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20世紀初頭 領土争奪編 日露戦争勃発

日本VSロシア(ロマノフ朝) 第2ラウンド 

1904年~翌年  中国東北部を占領した帝政ロシア(ロマノフ朝)は当時 日本(明治政府)が占領していた朝鮮半島にまで攻めてきた。 

日本(明治政府)は国土防衛のために立ち上がった そしてそこに日露戦争が勃発した。

日本は9万もの犠牲を出しながらも 何とかロシアの侵略を食い止めた。ギリギリの勝利であったが世界的に日本の知名度も上がり得たものは大きかった。

そのとき幕末に結ばれた不平等条約も ようやく改正された。

日本はこの勝利でロシアから中国東北部(満州)の領有権と さらに樺太の南半分の領地(現ロシア領)を獲得した

日本はさっそく極東の新領地に旧樺太神社と言う大きな神社を建てた。


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20世紀初頭 第一次大戦勃発!

辛亥革命とロシア革命!大国が次々と崩壊する時代!!

1912年 アジアの大国 清(中国)は欧米諸国や日本に次々と領地を奪われた 挙句 多額の賠償金を請求されていた 

ついに清(中国)の国民の怒りは頂点に達し 清は国内勢力(中華民国)の辛亥革命により滅亡する 清王朝は日本の徳川王朝と同じ260年以上続いた長寿国であった

モンゴルがすっぽり中国の中に入った中華民国の地図

また このころまでに日本が欧米諸国の植民地化を防げたのは 清が少なからず欧米諸国と戦ってくれたおかげかもしれない

中国大陸では その後 清を倒した革命勢力(国民党と共産党)が政権を取るため争い内戦状態となる

1914年 第1次大戦後 敗戦国となったドイツはマーシャル諸島とミクロネシアを日本へ譲り渡す
日本は当時4万人しかいなかった島に日本から85000人の日本人移住者を送った 結果 人口爆発と経済発展が起こった

 第2次大戦後 ミクロネシア マーシャルはアメリカの植民地となる

1917年 第1次世界大戦が勃発する 戦場は主にヨーロッパと中東 日本はアメリカやイギリスと連合を組みドイツと戦った。

対戦の決着をつけたのは 後から参戦してきたアメリカだった。

戦勝国となった日本は当時ドイツが占領していた中国 山東省 青島(※チンダオビールが有名)の領地を獲得する。 

戦後 敗戦国となったオスマントルコ(中東からヨーロッパ)とハプスブルク帝国(ヨーロッパ)の両大国が崩壊する

同年 ロシア革命(市民革命)が勃発する 日本もロマノフ王朝(帝政ロシア)を支援のためにシベリアに出兵する

ロシア革命
シベリア出兵

しかしロシア国民の結束は強く革命は成功する そして300年以上続いた。帝政ロシア ロマノフ朝は崩壊する。

1917年 第一次大戦の影響で沖縄の第一次産業であった砂糖産業が不況に陥った

そのため沖縄の人々はソテツ地獄と言う未曾有の苦境に陥った 米やイモも食べれず毒のあるそソテツを食べるような苦しみからそう呼ばれた

その苦境から脱するため日本本土へ出稼ぎに行く人が20倍に増える

しかし沖縄の人は日本(本土の)人から身なり習慣や話す言葉の違いから家をかさないなどの差別を受けた

大正から昭和にかけ沖縄の日本化が急激に進んだ

1922年 帝政ロシアに代わり新国家ソビエト連邦が建国される


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20世紀初頭  日中戦争勃発! 

日本陸軍VS中華民国(中国新政権)

   
1931年 日本陸軍は中国大陸への領土拡大を目指してか 当時 革命を成功させたばかりの新政権 中華民国(国民党=現台湾)と戦争をしたがっていた。

そこで日本陸軍は大義名分作りの為 当時日本の占領下であった中国東北部(日露戦争で得た領地)で鉄道の爆破事件を起こす。

事件は中華民国の仕業だとして そこに偽造事件を切っ掛けにして起きた紛争 満州事変が起こった。

さらに日本は辛亥革命により滅ぼされた清朝の皇帝 溥儀(ふぎ=ラストエンペラー)を担ぎ上げ 中国の東北部に日本の傀儡(かいらい)政権による満州国を建国した。

辛亥革命

満州事変をきっかけにして始まった紛争は やがて中国大陸(内部)に広まり日中戦争にまで発展した。 

日中戦争

当時 中国では政権争いから起きた(中国共産党VS台湾国民党の)内戦状態であったが日本という外敵と戦うため両軍は結束した。

1933年 中華民国はアメリカ イギリスなどの国際社会に訴えた 中国大陸に進出した日本は国連から非難を受け 日本は国連を脱退する 

アメリカは日本の中国進出をやめさせようと日本への石油輸出を止めるなど経済制裁を行った。

当時 まだ中東では石油は取れず日本は8割の石油をアメリカから輸入していた。日本は その後 石油を求め東南アジアにまで進出することになる

1940年 国連を脱退した代わりに日本は 当時ヨーロッパで次々と領土を広めていたドイツ(ナチス)やイタリアと同盟を結んだ


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20世紀中頃   第2次世界大戦勃発   

ナチスドイツと日本の快進撃!

1941年 第2次世界大戦がはじまる 開戦当初 ヨーロッパではナチスドイツが次々と領地を拡大していた。

ナチスドイツ

一方 アジアでは日本軍が 中国大陸では手こづっていたものの 東南アジアや太平洋では快進撃を続け次々と領土を拡大していた 

しかしそれは あくまでも超大国アメリカが参戦する前までの事だった

アメリカは当初 参戦には悲観的だった しかし当時アメリカはイギリスに多額な資金を提供していた。

アメリカは もしフランスイギリスが負けたら そのお金が戻ってこなくなることに気づく

そこでアメリカは大義名分(自国民を納得させるための理由作り)の為に日本にハワイ(真珠湾)を攻撃させ上で戦う事にした。

アメリカは まずハルノートと言われる 挑戦状を日本に たたきつけた。

日本は まんまとその挑発に乗ってしまい アメリカ領ハワイで真珠湾攻撃を行う

真珠湾攻撃

待ってましたと言わんばかりに反撃に出たアメリカだったが…反撃の相手は日本ではなくドイツだった

ヨーロッパ戦線はアメリカの参戦により戦局は一気に変わりナチスドイツは敗北を重ね ついに降伏 ナチスと同盟を結んでいたイタリアも降伏した

ドイツは第1次大戦 同様 またしてもアメリカの 後出しじゃんけん に敗れる結果となった


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20世紀中頃 地獄を見た硫黄島決戦と沖縄での地上戦! 

東京大空襲! 血も涙もない

アメリカ軍の無差別爆撃により東京は焼け野原に

ドイツの降伏によりヨーロッパで戦線での戦いを終えたソ連兵が中国戦線に参戦してきた 

一方 ドイツを降伏させたアメリカは最後に残った獲物 日本に牙を向けた

そして日本がイギリスから奪い取ったアジア太平洋の領地は すべてアメリカに奪い返されてしまった。

1945年

東京都 小笠原諸島の硫黄島では島民は避難し島民と入れ替わるように2万人の日本兵が島に上陸した。日本兵は島に深さ20メートルの穴を掘り塹壕を築いた。長さ18キロの塹壕の中には病院まで作られた。

アメリカ軍の硫黄島攻撃が始まった。空と海から合計5700発の爆撃を受けた硫黄島は太陽のように真っ赤に燃えた その攻撃により島の形はすっかり変わってしまったとも言われている。

その後 6万のアメリカ軍が上陸し島にガソリンを放水し火をつけた穴の中にいた日本兵を焼き放った さらにアメリカ兵はアメリカから持ち込んだ建築機材を使い硫黄島に飛行場を建設した。

そのころグアムサイパンを飛び立った戦闘機は硫黄島上空と通り越し東京へ向かった。東京上空では無差別爆撃が行われた。しかもその時落とされた爆弾は焼夷弾と言う日本家屋を最も効率よく燃やすために開発された爆弾を落としていった。アメリカ軍機が去ったあと東京は東京は焼け野原となっていた

硫黄島空爆
アメリカ軍戦闘機 B29
硫黄島空爆

1944年 最後の砦となった沖縄では およそ8万人の日本兵が配備された

1945年 ついにアメリカ軍が沖縄へ上陸してきた

日本人なら敵の兵士が近づいて来たとき玉砕(自滅)しろと教えられていたが 沖縄の人々は抵抗もせず次々とアメリカ兵の捕虜となっていった

日本兵はアメリカ兵にとらわれた沖縄の人がアメリカのスパイになるのを恐れた

もともと日本兵は沖縄の人に偏見を持っており 日本兵はより一層 沖縄の人を疑うようになっていった

多くの日本兵や沖縄住民はガマと呼ばれる洞窟に避難した 日本兵はガマの中で沖縄住民を追い出したり 強奪や殺害も行った

沖縄戦では沖縄住民だけでも10万人が犠牲となった


20世紀中頃   ついにアメリカの最終兵器 

原子爆弾が2発続けて投下された

戦争の最後の決め手となったのはアメリカの最終兵器原子爆弾だった 

原子爆弾

当初 原爆はドイツに落とす予定であったが ドイツが先に降伏してしまったので 仕方なく日本へ落とすこととなった 

しかもアメリカは原爆の威力をハッキリ知りたいため わざと戦争被害の少なかった広島と長崎にそれぞれ違った種類の原爆を落とした。

原爆の その破壊力はすさまじく たった一発の爆弾で 町を丸ごと一つ壊滅させ さらに一回の爆発で数十万の人が亡くなった。

原爆は その後 朝鮮戦争でもアメリカが中国に落とす予定があったが見送られた。


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20世紀中頃  終戦 

そして日本はアメリカの支配を受けることとなる

日本は4年間で200万以上の戦死者を出しながら滅亡寸前のところで無条件降伏した。

戦後 中国から日本兵から引き揚げ その過程で一部は日本兵はソ連兵に連れ去られシベリア抑留となった  

再び中国は内戦状態となり 結果 中国大陸(共産党)と台湾(国民党)の2つの国に分かれることとなる。

また日本の統治下であった朝鮮半島も北朝鮮と韓国の2つの国に分かれる

かつての覇者イギリスも大戦に勝つには勝ったが被害は大きく すっかり国力を落としてしまった。

一方 戦場にならなかったアメリカは戦後 経済 軍事の面で世界の頂点にたつ 

日本も戦後7年間 アメリカ主導の連合国に支配されることとなる アメリカ主導で戦後日本の国作りが行われ経済的な恩恵を受ける 

憲法も 今現在に至るまでアメリカ人が制作したものを使用 

さらに日本国内に数か所 アメリカ軍基地が起これることとなった 戦後70年以上たった今も同じ

在日米軍基地


戦後も続いた 沖縄人の悲劇

第二次大戦後 沖縄はアメリカの占領下におかれた

やがて東西冷戦がはじまると沖縄は極東におけるアメリカの重要な軍事拠点となる

1951年 戦争から6年がたち日本はサンフランシスコ条約によりアメリカからの独立を果たす

ただし 復帰したのは日本本土だけであって 沖縄は 以前 アメリカの統治下におかれた

その時 一応 アメリカ人となった沖縄住民だったが 沖縄住民の人権は日本はもちろんアメリカの憲法でも保証されない状態となった

アメリカは強引に沖縄住民の民家を取り壊し基地を作っていった アメリカ軍兵士のひき逃げや盗難など犯罪が多発し 

アメリカ統治下の沖縄では犯罪を犯したアメリカ兵は罰せられることはなかった 

それに対して 島ぐるみ闘争と言う 基地建設の反対運動も起こった しかし全く聞き受けてもらえなかった

その結果 沖縄の面積の10%以上がアメリカ軍基地となった 沖縄住民に日本復帰の意識が高まった

1950年代 日本本土ではアメリカの援助もあり未曽有の経済発展を遂げる

日本本土でも沖縄を日本へ取り戻そうと言う意識が高まる

1965年 日本政府はアメリカと良好な関係を保ちつつ沖縄返還を望んだ

1968年 沖縄の復帰と沖縄の基地撤去を望んでいた沖縄は日米安保条約に反対していた

日米安保条約を結べば沖縄に基地がそのまま残ってしまうためだった

1969年 沖縄返還に関する日米共同声明が出されたが 沖縄の米軍基地に関する事は何ものべられなかった

その後の選挙により与党 自民党が圧勝した その結果 沖縄の人の基地をなくしたいとの思いは日本政府と日本国民に受け入れられなかった

1970年にはコザ暴動が発生しアメリカ軍と沖縄住民が直接衝突した

さらに沖縄では米軍基地撤去を訴えたストライキが発生した。戦後最大の10万人以上が参加した。

日本の国会では沖縄の米軍基地の問題には何も触れないまま沖縄返還の強行採決が行われた 

1972年 沖縄は米軍基地を残したまま日本へ復帰っすることとなった

日本では祝賀ムードだったのに対して 沖縄では返還内容に不満があり抗議する人のデモが起こった

現在 日本全体の米軍基地のうち75%が沖縄に集中している

沖縄米軍基地


戦後日本の経済成長

1964年 東京オリンピックが開催せれる 同年 東海道新幹線が開通 翌年には名神高速が開通となる

1968年 国内総生産(GDP)は西ドイツを抜き世界第2位になる

1970年代半ばまでに目覚しい経済発展を遂げる 同年 大阪万博が開催される
 
しかし21世紀に入り20年余り日本経済は不調つづきとなっている 


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