テスト

宝物殿(トプカプ宮殿内)

スルタンの休憩所が いつの間にか財宝を収める蔵となった場所

権力の象徴として残された財宝が多く残る

部屋の装飾には金や宝石が押し目もなく使われている

宝物殿
トプカプ宮殿内の財宝
トプカプ宮殿のダイヤ

 スルタンの甲冑(よろい)も展示されている

トプカプの短剣は86カラットのダイヤで出来ている

短剣のつかみのところは直径3センチを超えるエメナルドが3つ詰め込まれている

短剣には 18世紀 ロンドンで作られた小さな時計が はめ込まれている

トプカプの短剣に埋め込まれたエメナルド
トプカプの短剣 (2)
トプカプの短剣 (4)
短剣に使われたエメナルド(トプカプ宮殿)
トプカプの短剣
トプカプの豪華な短剣 (2)
トプカプの豪華な短剣 (1)
トプカプの短剣 (3)

エメナルドの宝石を使った盾

盾に使われていたエメナルド

スルタン(王)が巻いたクジャク型のターバンにも金や宝石が使用されていた。

スプーンダイヤ

スプーン職人のダイヤモンド

スプーンダイヤはダイヤの価値がわからなかった一般人が市部でダイヤと3本のスプーンを交換したことからその名が付いた。

スプーンダイヤ
スプーン職人のダイヤモンド

スルタンのダイヤ

スルタンが頭につけるターバンの飾り物として使用されていた

スルタンのダイヤ

スルタンの甲冑(トプカプ宮殿)

スルタンが身にまとった黄金の甲冑(かっちゅう)

甲冑には宝石がふんだんに使われている

盾と鎧
甲冑(鎧)
スルタンの甲冑につけられた宝石類
スルタンの甲冑 (2)
スルタンの甲冑と盾

スルタンの玉座(トプカプ宮殿)

8万枚の金貨を溶かして作られた重さ250キロの黄金の玉座

椅子全体にクリスタルライトの宝石が埋め込まれている

スルタンの玉座2
スルタンの玉座
スルタンの玉座(トプカプ宮殿)
スルタンの黄金の玉座に腰掛けるスルタンの様子
スルタンの玉座に埋められた宝石
重さ25キロの黄金を使った玉座2
重さ25キロの黄金を使った玉座

高級水差し(トプカプ宮殿)

蓋のところに黄金と宝石を使用

高級水差しのふたの部分(トプカプ宮殿)
高級水差し(トプカプ宮殿)
高級水差し

銀細工が施された景徳鎮の香炉(トプカプ宮殿)

銀細工が施された景徳鎮の香炉
銀細工が施された景徳鎮の香炉(トプカプ宮殿)

スルタンの系統樹(トプカプ宮殿内)

オスマン帝国のスルタンは600年間一度も途切れることなく続いた

歴代のスルタンの家系図を一つの大木にに建てたスルタンの系統樹

一番太い みきの元に初代スルタンの顔が描かれている。その先にいくつかに枝分かれしていく様子が描かれている

開祖オスマン(スルタンの系統樹)
スルタンの系統樹2
スルタンの系統樹

ハレム 又はハーレム(トプカプ宮殿内)

ハレム(上空から)
ハーレム(上空から)

最盛期には奴隷としてハレムに連れてこられた女性が2000人もいた。

トプカプ宮殿の奥に建つ建物 もともと宮殿内にハレムはなかったが後から付け加えられた施設

ハレムの平面図
ハレム 入口
ハーレム内部(中庭)
ハレム(部屋)
ハレム内部
ハレムの内装2
ハレムの内装

内部は当時 貴重だったイズミックタイルがふんだんに使われている 

トプカプ宮殿のイズミックタイル
トプカプ宮殿 ハレム イズミックタイル
トプカプ宮殿 ハレム内
トプカプ宮殿 ハレム内2
ハレム内の肖像画

ハレムは禁じられたという意味 もともとはスルタンと王子以外の男性は立ち入り禁止であった。

16世紀 第10代スルタン スレイマン1世により建てられた 

その後 ムラト3世により増改築が行われ さらに大きくなった。

スレイマンの浮気相手 ウクライナ人女性 ヒュッレムのために造られた施設がハレムの始まりとなった。

ウクライナ人女性 ヒュッレム

その後何度も増改築が繰り返されハレムが完成した。

ハレムはスルタン(国王)の家族と奴隷となった女性が暮らしていた施設 十代の女性は自分の意思にかかわらず強制的に連れてこられた。

大半の人はキリスト教徒であったがハレムの中でイスラム教徒に改宗させられた。

近くには馬車の門や宦官たちの宿舎があった

宦官たちはハレムの警備と女性たちの監視を行っていた。

宦官の多くはアフリカやエジプトから強制的に連れてこられた奴隷が多かった

女性たちは昼夜問わず宦官たちの厳しい監視を受けていた。 

宦官(かんがん)は女性に性的興味を持たないよう 下腹部のタマタマを切り取られたものがあたった。

黒人の宦官長

女性たちはハレムの中で8年間 トルコ語と音楽や刺しゅう 舞踊を習った。女性たちの食事は1日 2回女性たちに給料も支払われていた。

スルタンの母親がハレムの女性の中からスルタンの相手を選んでいた。

スルタンの母親の部屋

ムラト3世はハレムとの女性の間に50人の子供をもうけたとされている。

夏 女性たちが水浴びをし楽しんだプール スルタンは女性たちが水浴びをしているのを のぞき見するのが好きだった

また のちの時代 ハレムがスルタンの堕落の帝国の衰退を招いた

なおハレムは 今だ一般公開はされていない部屋が多い

イベリアルホール(トプカプ宮殿内)

ハレム 大量虐殺

スルタンの命により300人の女性が袋詰めにされ海に流された事件もあった。

皇子の幽閉所(トプカプ宮殿のハレム内)

別名 黄金の鳥かご

16世紀 ムラト3世が皇帝に即位するとすぐ兄弟を皆殺しにした。

17世紀以降 そういった残虐行為が行われなくなった代わりに皇子を幽閉する施設が作られた。

ハレムのはずれに女性たちが立ち入る事の出来ない 皇子(王子)の幽閉所が作られた。 現在は土台のみが残っている

建物を作ったのは一人の脅迫概念にとらわれたスルタンだった。

後継者となる王子はスルタンになるまで幽閉所の中で孤独な生活を送った。

皇子の監視には鼓膜を破られ舌を切られ宦官があたった。王子の生活は秘密となった。

4歳で監禁され55歳になったときに やっと解放されスルタンとなる  幽閉生活で精神に異常をきたし即位1年で王座を追われたスルタンもいた。

スルタンが王子の幽閉所に処刑人を送り王子を殺害したこともあった

何も知らないスルタンがトップを務めることとなり 帝国は どんどん衰退していった。

オスマンの女帝 キョセムの部屋

1640年 第18代 スルタンにイブラヒムが即位した 

しかしイブラヒムは長らく幽閉されていたため精神がやんでいた。

そこでイブラヒムの母親(ギリシャ系)が帝国の政治を担う事となる

ハレムの中にはイブラヒムの母親が使用したハレムの中で一番大きく日当たりのよい部屋が今も残っている

オスマン3世の部屋

1754年 オスマン3世は50年間 幽閉されたのちスルタンに即位した

トプカプ宮殿内には年老いたオスマン3世が建てた明るく大きな部屋が残されている 

きれいな網目模様の窓が特徴

宮殿の終焉

1853年(又は1856年) オスマン帝国の王族の住まいがトプカプ宮殿から別の宮殿へと移される 

トプカプ宮殿内にあったハレムの新たに作られた西洋風の宮殿に移された。

1909年 ドルマバフチェ新宮殿に移されたハレムが解散する。


<目次>
1イスタンブールの基本&レストラン情報
2アヤソフィア
3ブルーモスク
4トプカプ1(豪華な宮殿の内部)
5トプカプ2(宝物殿とハーレム)
6ドルマバフチェ宮殿とヴァレンス水道橋
7ガラタ地区(金閣湾)
8ボスポラス海峡とテオドシウス大城壁
9イスタンブールの博物館&モスク
10市場(トルコ絨毯)
11イスタンブール郊外