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マーシュランド(イラク南部) マアダン族(沼の民)

マーシュランドの様子
マーシュランド

アシの生い茂る湿地帯 過酷な自然環境を克服し人類最初の文明の基礎を築いた

紀元前3500年 シュメール文明(メソポタミア文明=人類最初の文明)の発祥の地

マアダン族はアラブ人がイラクへ入って来るよりもずっと古い 5000年以上もずっと同じ場所に住み続けている マアダン族は伝統的に女性が家業を継ぐ女系社会

マアダン族
アマダン族の生活
マアダン族の生活

今までずっと水上生活をしてきたが 近年 陸に引っ越した

アシの木を組んで作られた民家 マフィフ(マディフ)と言う かまぼこ型の民家

水辺に生えるアシを組んで作られている 民家の屋根はアシを牛の糞で固めて作られたている

わらのようなアシの植物を束ねて作られた建物

15年に一回建て替えられている

アシの木を固めて作られた民家
マディフ
マディフ (2)

船もシュメールのころと同じ作りになっている

またシュメールは農業の分野でも優れていた

記録によれば まいた種の70~80倍の収穫があった

ちなみに18世紀の産業革命当時はまいた種の10倍程度の収穫だった

それは種のまき方と農機具の発明によるものだった 白人が同じものを作ったのは18世紀に入ってからの事だった

紀元前3000年ごろ 古代のビールが発明される

麦は彼らの主食であり 麦からパンや お粥が作られた それらの麦を使った食べ物から偶然 ビールが発明された

その昔 数多くの棒のようなストローが突っ込まれた大きな壺があり 

その壺を複数の人が取り囲むようにしてビールを飲む姿が粘土板に描かれている

ビールを飲むシュメール人

ビールの銘柄は30種類あったとされる 穀物の増産 家畜の飼育 シュメール人は豊かな生活を送っていた

人口の増加とともにジックラドと言われる神殿も多く建てられた それが都市を形成する 始まりだった

神殿などの遺跡や ダムや川などの灌漑(かんがい)設備もアシの木を使い行われた

紀元前7世紀  イラク南部 新バビロニア王国の遺跡(イシュタル門)

紀元前7世紀の末から6世紀中ごろにかけて栄えた新バビロニア王国の遺跡

高さ14メートル 門には神話上の動物が描かれている

門は19世紀 ドイツの探検隊によって持ち去られた 本物はドイツベルリンの博物館にある

イラクにあるものは2004年に原寸大の大きさで復元されたもの

イシュタル門
ベルリンのイシュタル門2
ベルリンのイシュタル門
イシュタル門のライオン
イシュタル門4
イシュタル門3
イシュタル門 (2)
イシュタル門 (1)
イシュタル門
2004年に復元されたイシュタル門

7世紀  イスラム教徒同士の宗派対立
イラク南部(カルバラ)のアッパース霊廟

イラク南部(カルバラ)バビロンの西45キロ バグダッドの南100キロのところにある 

途中 砂漠でラクダの群れと遭遇することもある 

そのイラクのカリバラでカルバラの悲劇と言われる大事件が発生する

その事件はイスラムシーア派トップ(4代目カリフのアリー)の息子兄弟 フサインとアッパースがウマイヤ朝に殺されてしまう

初代カリフ アル アッバース

その時殺害された フサインとアッパースの霊廟がここにある そのアッパース霊廟は 今でもイスラムシーア派の聖地としてパキスタンやイランからも多くの人が訪れる 

聖地カルバラ
シーア派の聖地カルバラ
カルバラ

ナジャフ(イラク中南部の都市 نجف‎ Najaf)バグダッドの南約180キロ

クーファ(湖がある町 Kūfa كوفة) シーア派 正統カリフ アリーはクーファに来て新政府を樹立しようとした

しかし661年 暗殺されてしまう その暗殺現場も今じゃ観光名所となっている

ナジャフに建つ 黄金モスク
ナジャフ黄金モスク
クーファ
ナジャフの霊廟

ナジャフの墓

 イスラム シーア派の聖地 地平線の果てまで見渡す限り墓 シーア派(イラク人)たちは 皆ここに墓を作りたがる

バスに乗ってしばらく走った後も 外は一面墓の景色が続く このあたりの景色は水路はあるが植物は全く生えていない

ナジャフ
シーア派の聖地 ナジャフの墓
ナジャフの墓
ナジャフの墓 (2)

イラクの名所 【もくじ】
1イラクの基本情報
2首都バグダッド
3イラク北部
4イラク南部