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メソポタミアとイラクの歴史 【もくじ】へ

7世紀 東ローマ(ビザンチン帝国)対サーサーン朝ペルシャの戦争 (602年-628年) 

一度はビザンチン軍にサーサーン朝の首都クテシフォンを奪われるが すぐに奪還する

しかし この戦争が原因でササン朝ペルシャの国力は低下し衰退していく

7世紀 イスラム教の誕生  ササン朝ペルシャの滅亡 ウマイヤ朝(アラブ帝国)が誕生する

7世紀 アラブの商人ムハンマドが起こしたイスラム教は わずか15年でアラビア半島全域に及んだ

次第にに武力を強化し 東ローマ(ビザンツ帝国)の領土も奪っていった

638年 イスラム2代目カリフ(指導者)は当時ビザンツ(東ローマ)が統治していたエルサレム(現イスラエル)に入場する

ちなみにイスラム シーア派ではトップはカリフ(指導者)だがイスラム スンニ派ではスルタン(王)と呼ぶ

642年 ゾロアスター教を信仰するササン朝ペルシャはイスラム教徒(アラブ人)により滅ぼされる

680年 イスラム教が誕生して間もないころ北アフリカから中東 

ヨーロッパはスペインまで多くの領土を支配していた世界初のイスラム王朝 ウマイヤ朝(首都はダマスカス(シリア))であった

7世紀 ウマイヤ朝の支配地域

7世紀  イスラム教徒同士の宗派対立
イラク南部(カルバラ)のアッパース霊廟

イラク南部(カルバラ)バビロンの西45キロ バグダッドの南100キロのところにある 

途中 砂漠でラクダの群れと遭遇することもある 

そのイラクのカリバラでカルバラの悲劇と言われる大事件が発生する

その事件はイスラムシーア派トップ(4代目カリフのアリー)の息子兄弟 フサインとアッパースがウマイヤ朝に殺されてしまう

初代カリフ アル アッバース

その時殺害された フサインとアッパースの霊廟がここにある そのアッパース霊廟は 今でもイスラムシーア派の聖地としてパキスタンやイランからも多くの人が訪れる 

聖地カルバラ
シーア派の聖地カルバラ
カルバラ

ナジャフ(イラク中南部の都市 نجف‎ Najaf)バグダッドの南約180キロ

クーファ(湖がある町 Kūfa كوفة) シーア派 正統カリフ アリーはクーファに来て新政府を樹立しようとした

しかし661年 暗殺されてしまう その暗殺現場も今じゃ観光名所となっている

ナジャフに建つ 黄金モスク
ナジャフ黄金モスク
クーファ
ナジャフの霊廟

ナジャフの墓

 イスラム シーア派の聖地 地平線の果てまで見渡す限り墓 シーア派(イラク人)たちは 皆ここに墓を作りたがる

バスに乗ってしばらく走った後も 外は一面墓の景色が続く このあたりの景色は水路はあるが植物は全く生えていない

ナジャフ
シーア派の聖地 ナジャフの墓
ナジャフの墓
ナジャフの墓 (2)

ムハンマドの友人の霊廟

 ドーム屋根の内側はイスラムタイルの装飾がされていて奇麗

屋根の下にはアルファル氏が眠っている 

ムハンマドの友人の霊廟内
ムハンマドの友人の霊廟 内部の天井

→続きを見る11 紀元8世紀 
イスラム帝国(イラク)VS唐(中国)との戦争

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