テスト

イラクの大まかな歴史

紀元前の大昔 イラク北部をアッシリア イラク南部をバビロニアと呼んでいた バビロニアにはアッカド人(サウジアラビア アラビア半島の方から)とシュメール人が入って来る

彼らはもともと遊牧民であったがユーフラテス川の川沿いに かんがい技術を発達させ定住生活を始めるようになった

それに伴い 中央政権的な組織と首都国家が出来上がった

紀元前5000年 紀元前50世紀

推定 紀元前5000年ころにはイラク南部にウル民族が存在していた

ウル

(バビロン 現バグダッド郊外)紀元前3000年(紀元前30世紀)ごろ(又は約5000年前)にはもうすでにバビロンに町があった

紀元前40世紀頃 イラクを支配していた4つの王朝

紀元前4000年 紀元前40世紀

(メソポタミア文明)紀元前4000年~紀元前500年代(紀元前6世紀) シュメール人がユーフラテス川とチグリス川の間で起こした文明の一つ  エジプトよりも古い世界一番古い文明とされている

シュメール人の都市国家の地図
ユーフラテス川とチグリス川を示した地図
メソポタミア文明が及んだ地域

農業が盛んな肥沃な土地 麦がとれビールやパンなどが作られた

シュメール時代の農作業の様子

山や海に囲まれてない地形から交通の便が良く多くの民族が集まり交易が盛んになった

シュメール時代に交わされた契約書

メソポタミアとは川と川の間と言う意味 今のイラン イラク イスラエル レバノン パレスチナのあたりが すべてメソポタミア文明の影響を受けた

メソポタミアはインダス文明(現パキスタン)と貿易を行っていた 詳しくはこちらをご覧ください。

マーシュランド(イラク南部) マアダン族(沼の民)

マーシュランドの様子
マーシュランド

アシの生い茂る湿地帯 過酷な自然環境を克服し人類最初の文明の基礎を築いた

紀元前3500年 シュメール文明(メソポタミア文明=人類最初の文明)の発祥の地

マアダン族はアラブ人がイラクへ入って来るよりもずっと古い 5000年以上もずっと同じ場所に住み続けている マアダン族は伝統的に女性が家業を継ぐ女系社会

マアダン族
アマダン族の生活
マアダン族の生活

今までずっと水上生活をしてきたが 近年 陸に引っ越した

アシの木を組んで作られた民家 マフィフ(マディフ)と言う かまぼこ型の民家

水辺に生えるアシを組んで作られている 民家の屋根はアシを牛の糞で固めて作られたている

わらのようなアシの植物を束ねて作られた建物

15年に一回建て替えられている

アシの木を固めて作られた民家
マディフ
マディフ (2)

船もシュメールのころと同じ作りになっている

またシュメールは農業の分野でも優れていた

記録によれば まいた種の70~80倍の収穫があった

ちなみに18世紀の産業革命当時はまいた種の10倍程度の収穫だった

それは種のまき方と農機具の発明によるものだった 白人が同じものを作ったのは18世紀に入ってからの事だった

紀元前3000年ごろ 古代のビールが発明される

麦は彼らの主食であり 麦からパンや お粥が作られた それらの麦を使った食べ物から偶然 ビールが発明された

その昔 数多くの棒のようなストローが突っ込まれた大きな壺があり 

その壺を複数の人が取り囲むようにしてビールを飲む姿が粘土板に描かれている

ビールを飲むシュメール人

ビールの銘柄は30種類あったとされる 穀物の増産 家畜の飼育 シュメール人は豊かな生活を送っていた

人口の増加とともにジックラドと言われる神殿も多く建てられた それが都市を形成する 始まりだった

神殿などの遺跡や ダムや川などの灌漑(かんがい)設備もアシの木を使い行われた

→続きを見る 2 紀元前35世紀 
イラク(南)ウルやウルクの都市国家
(人類最古の文字)

メソポタミアとイラクの歴史 【もくじ】へ