テスト

ーーーーペルセポリス 

 紀元前6世紀のアテネス朝ペルシャ大帝国の都の遺跡 

紀元前550年

イラン アテネセス朝ペルシャ ペルセポリス遺跡は アッシリアなきあと 古代オリエント世界と統一した大帝国

西はエジプト 東はパキスタンに及ぶ広大な領土を統治していた 帝国は異文化も柔軟に取り入れた

またペルセポリス遺跡は①ヨルダンのペトラ遺跡 ②シリアのパルミラ遺跡 と並び中東3大遺跡の一つ

(アバダーナ)
高さ7メートルの人の顔が彫られた彫刻 兵士たちに囲まれた巨大な階段などがあった

ペルセポリス 大階段
ペルセポリス 階段
ペルセポリス遺跡 階段レリーフ2
ペルセポリス遺跡 階段レリーフ
ペルセポリス  馬
ペルセポリス 柱
ペルセポリス 百柱の間
ペルセポリス タチャラ(冬の宮殿)柱のみ

(王宮跡) 広さ300×430メートル 中には13の大きな建物があった1万人の人が入れる大広場もあった

ペルセポリス 王宮跡
ペルセポリス 王宮跡
ペルセポリス 大広場

発見された碑文から王宮は各時代の複数の王により造られたことが分かった

王宮は王が変わるたびに増築を繰り返していった 

紀元前300年代 アケメネス朝ペルシアの最後の王 ダイオレス3世のころ

ペルシャ帝国は王政ではあったが民主国家を形作っていた 宗教はゾロワスター教を信仰していた

ペルセポリス ダイオレス
ダイオレス3世
ペルセポリス ダイオレス王
ペルセポリス アルタクセルクセス2世 王墓

帝国中から1万人が集まり王のため(王に謁見する)の儀式が行われた 

ペルセポリス 謁見の様子

壁画の彫刻にも大勢の異民族が行列を作る様子が描かれている 

サカ人やアッシア人は馬車を引いて アラビア人は尖った帽子をかぶりラクダを連れてやってきた

ロバを連れてやってきたのはインド人一行だった 23の民族が王にみつぎ物を持って集まった

騎馬民族のスキタイ人は軍事力でペルシャ帝国に貢献 エチオピア人は象牙をインドからは砂金がもたらされた

地中海のフェニキア人(今のレバノン当たり)ほか 彫刻には様々な民族が たった一人の王に使える様子が彫られている

フェニキア人

 また公用語は支配者のペルシャ語を使わず あえてアラム語を使っていた(※他民族の文化を尊重するため) 

黄金のリング

紀元前4~5世紀 製造(発見は19世紀) オクサスの違宝

見事な黄金のリングなど工業技術ではローマやギリシャの上を行っていた

今はイギリスの大英博物館に展示されている

ペルシャの金細工の数々
黄金のリング
黄金のリング2
黄金のリング3
金のリングを運ぶ人々

黄金の馬車

手に乗るほどの小さな工芸品 先頭には4頭の馬 後方の荷台には手綱を引く小さな人と体格のいい王様が乗っている

馬の背丈よりも大きな車輪は長距離の移動でも揺れが少なく乗り心地がいい 王の移動はこのような馬車が何台か使われリレー方式で行われた

王の命令も馬車のリレーを使い領土の隅々まで届いた 歴史書にも この世にペルシャの郵便ほど早いものはないと絶賛された

黄金の馬車もイギリスの大英博物館に展示されている

また王は税制の入り具合や反乱の気配がないかなどの情報を しっかりと把握していた

巨大な帝国は23州にわかれていた 23州の長官に さまざまな命令を下していた

 帝国の端から端までは2400キロ それぞれの州を結ぶ道路が整備された のちの時代のシルクロードの基盤となる道  

しっかりと封印された手紙を7日以内に長官に手渡した。 当時もうすでに他国にない優れた連絡網を築いていた

黄金の馬車に乗った王と手綱引き
黄金の馬車
黄金の場車

くさび型文字

イラン ペルセポリス遺跡でも くさび型文字が発見されている 

大ペルシャ帝国でも 人類最古の文字くさび形文字が使われていた

17世紀 一人の旅行家がペルセポリス遺跡の石柱の上の方に書かれていた

くさび形文字を発見しヨーロッパに伝えたのが文字解読のきっかけとなった

当初は文字ではなく 装飾模様だと考えられていた

19世紀初め ドイツ人がペルセポリス遺跡で見つかった くさび形文字を元に解読作業を行った

そこには ① 古代ペルシャ語 ② エラム語 ③ バビロニア語 の3種類の言語が書かれていた

ペルセポリス遺跡に書かれたくさび形文字
ペルセポリス遺跡で見つかった3つの言語で書かれたくさび形文字

まずはクセツクセス王の名から解読作業を始めた

クセルクセス王の名

イラン西北部 ブヒストン

紀元前5世紀 

切り立った岩山にはライオスが戦に勝った祝いの彫刻が彫られていた

彫刻の下には くさび形文字で祝いの言葉が書かれていた その文字が解読に大いに役立った

イラン軍事顧問をしていたローリンソンにより文字解読が行われ成功した。

4人の解読者が それぞれ同じ解読結果を出し より完璧なものへとなった

ブヒストン

アレクサンダー大王

しかし紀元前330年 ギリシャ マケドニアのアレクサンドロス大王 により帝国は滅ぼされてしまう

アレクサンドロス大王
 

アレクの顔を掘った彫刻

アレクは王宮に火を放ち ペルセポリスは火の海に包まれた 

その後アレクはペルセポリスの遺跡に長年のペルシャに対する憎しみを込めた彫刻を掘っている

またアレクはペルセポリス以外にペルシャが支配していた9つの州を支配していた

その後 廃墟となったペルセポリスは 2000年間も放置される 発掘調査が終わっているのは王宮のみ

 まだ 大部分が土の中に埋まっている

(万国の門)高さ21メートル 

ペルセポリス  万国の門
ペルセポリス 万国の門4
ペルセポリス 万国の門3
ペルセポリス 万国の門2

<郊外1>(ナグシェ ロスタム)歴代ペルシャ王の墓とゾロアスター教神殿 遺跡

ナグシェ ロスタム3
ナグシェ ロスタム2
ナグシェ ロスタム

(ナグシェ ラジャブ)

ナグシェ ラジャブ

(クルアーン門)

クルアーン門2
クルアーン門

<郊外2>(シーラーズ)薔薇の産地

(シャーチェラーグ廟)内部は万華鏡のような美しさ 基本 イスラム教徒のみ入場可能 ただ検査はない

シャーチェラーグ廟3
シャーチェラーグ廟
シャーチェラーグ廟 内部

(アリー エブネ ハムゼ聖廟)内部は万華鏡のよう 来客にお菓子がふるまわれる

アリー エブネ ハムゼ聖廟 内部
アリー エブネ ハムゼ聖廟

(マスジットヴァキール)

マスジット ヴァキール (2)
マスジットヴァキール3
マスジットヴァキール2

(ハマーメ ヴァキール)

ハマーメ ヴァキール2
ハマーメ ヴァキール

(バーザーレ ヴァキール)

バーザーレ ヴァキール2
バーザーレ ヴァキール

(キャリーム ハーン城塞)町の中心にある要塞

キャリーム ハーン城塞
キャリーム ハーン城塞 応接室

(マスジェデ ナスィーロル モスク)

マスジェデ ナスィーロル モスク

<郊外3>(パサルガダエ)ペルセポリスから40~50キロ離れた場所にある 帝国最初の首都

パサルガダエはキロス2世が一代で築いた帝国 キロス2世の墓も残っている

キロスは多民族をまとめることで争いをなくそうとした

石碑にはキロスの言葉が3つ(バビロニア語 古代ペルシャ エラブ語)の言語に訳され書かれている

パサルガダエ
パサルガダエ遺跡
パサルガダエ遺跡 キエス2世の墓
パサルガダエ2


<もくじ>
1イランの基本情報
2イランの歴史と国際情勢
3テヘラン(首都)
4イスファハーン
5シューシュタル
6カーシャーン アブヤーネ村 コム
7タブリーズ 
キャンドヴァーン村 サルエイン温泉

8イラン西部 その他の名所
9ペルセポリス
10バム遺跡
11ヤズド
12イラン東部 その他の名所
13ペルシャ料理