テスト

20世紀

1902年 ロンビエン橋(ハノイ) フランス人がパリのエッフェル塔をモデルに5年間かけて造った橋

ロンビエン橋 エッフェル塔と制作者が同じでエッフェルと形も似ている 

1910年 中国 雲南省とベトナムをつなぐ鉄道が開通する

1911年 ハノイ歌劇場はパリのオペラ座に習って10年かけて建てられた。

ハノイ歌劇場

1914年 第一次大戦後 フランスの防衛力の低下を見計らってグエン朝(ベトナム)がフランスに対しクーデターを計画するが

計画段階で情報がフランス側にばれ失敗に終わる グエン朝の11代皇帝はアフリカの島へ流された

1930年  ホーチミンが香港でベトナム共産党を立ち上げる

ホーチミンはフランスで共産党思想に染まり フランス共産党に入党しロシア革命ではレーニン協力した。

またホーチミンは中国でも活動していた 中国名は胡志明

ホーチミン

1931年 カイディン帝廟 グエン朝末期 フランス植民地時代に建てられた グエン朝12代皇帝のお墓

カイディン帝廟

1936年 ハノイからサイゴン(ホーチミン市)までの鉄道が開通する 統一鉄道と呼ばれている

ベトナム 南北統一鉄道

1940年 フランス本土はナチス ドイツの手に落ちたためインドシナ(ベトナム ラオス カンボジア)はナチスと同盟を結んでいた日本軍が駐留することとなった

当時は まだ日米開戦には至っていなかったが中国大陸では日中戦争が繰り広げられていた。

中国の支援に回ったアメリカはベトナムの港で陸揚げされた物資を中国大陸に輸送していた 

その輸送ルートを援蒋ルート(蒋介石を援助する道)と言う 日本は そのルートを断ち切るのが目的でベトナムに入った

援蒋ルート

1941年 ホーチミン(革命家)はフランスと日本に対抗すべくベトナム民族独立同盟 ベトミンを結成する

ベトミンはベトナム共産党だけでなくカンボジア共産党とラオス共産党が合併したインドシナ共産党として活動していた

ベトミンはアメリカと中華民国からの支援を受け日本軍とゲリラ戦をし戦った(抗日ゲリラ活動)を行う

ベトミン兵士

1944年 日本はベトナム人から大量の米を買った その年 ベトナムに干ばつが襲った

1945年 明号作戦 日本軍とインドシナに駐留するフランス軍との戦い 結果は日本軍が圧勝しフランス軍はアジアから完全撤退した。

日本軍の協力の元 グエン朝の王族からなるベトナム帝国が建国される

日本はベトナム同様 ラオスとカンボジア(シアヌーク)にも同様の独立国を建国させた。

ベトナム帝国 国旗

同年 ベトナムで大飢饉が発生し40万から200万人が犠牲となった 日本はベトナム人から反感を買い またベトナム帝国の弱体化に繋がった

同年 日本の降伏により第2次世界大戦が終わる  日本軍撤退ののちベトナムには連合国軍が駐留する。ベトナム北部には中華民国軍が入り ベトナム南部にはイギリス軍が入った 

そんな中 ベトナム帝国(グエン朝)はベトミンの攻撃を受け 結成から たった半年で滅亡する またグエン朝も その時 崩壊した。

同年 9月2日 ハノイでベトミンがベトナムの独立宣言を行う

東南アジアに最初の社会主義国家 ベトナム民主共和国(共産党国家)が建国された。

ベトナム民主共和国

1946年 インドシナ(ベトナム ラオス カンボジア)から撤退していたフランス軍が第2次大戦後 再び戻って来た

同年 フランスはベトナム民主共和国(ホーチミン)に対抗すべく南ベトナムにコーチシナ共和国と言うがフランスの傀儡(かいらい)国家を立ち上げる

コーチシナ共和国

独立を目指すベトナムと独立を阻止するフランスとの間で第一次インドシナ戦争が勃発する 

第一次インドシナ戦争ではラオス王国はフランス側に付き北ベトナム軍と戦った 

一時はベトナム民主共和国(ホーチミン)の首都 ハノイがフランス軍に占領されるも その後 奪還する。

第一次インドシナ戦争

1949年 フランスは南ベトナムに新たな傀儡国家 ベトナム国を立ち上げる ベトナム国の君主にグエン朝の最後の皇帝がついた。 またコーチシナ共和国(フランスの傀儡国家)はベトナム国(フランスの新たな傀儡国家)に吸収合併された。

1954年 ビエンビエンフーの戦い 北ベトナムを支援していたソ連と中国は物資をラオス経由でベトナムへ運んでいた

フランス軍はそれを阻止するためにベトナム北部のビエンビエンフーに大きな滑走路を造った そこには1万6千人のフランス軍が駐留していた

4万のベトミン軍(ベトナム)はビエンビエンフーの滑走路に大砲を打ち込む 滑走路は穴だらけになる

またベトミン軍は地下に穴を掘り 地下からフランス軍が待機する滑走路目がけ攻撃する 1万のフランス兵がベトミンの捕虜となった フランスは6千の死者を出した そしてフランス軍は降伏した

ビエンビエンフーの戦い

第一次インドシナ戦争(休戦)

8年間に及んだ第一次インドシナ戦争(ベトナム独立戦争)はホーチミン率いるベトナムの勝利

戦闘はベトミン側が勝利するもベトミン側の戦死者は約50万にも達した
 
(同年)  ジュネーブ協定によりベトナム北部の独立が認められた 

しかし 大国(アメリカ 中国ソ連等)の思惑でベトナムの南北分断は その後20年間続く

南ベトナムにはフランスとアメリカの傀儡国家ベトナム共和国(旧名コーチシナ共和国)が建国された

1955年 フランスが去ったあと今度は大国アメリカがベトナム(共産党)退治にやって来た そこに米軍をはじめ多くの国が参戦したベトナム戦争が始まる

ベトナム戦争

アメリカはアメリカ在住経験のある親米の人物ゴジンジェム(ベトナム人)を南ベトナム ベトナム共和国(アメリカの傀儡国家)の大統領に置く

ゴジンジェムは熱狂的なキリスト教徒で あったため仏教徒を極端に嫌っていた

そのため仏教弾圧を行う 政府に抗議の意を示すため焼身自殺をする僧侶が相次いだ

国民の支持を得られないゴジンジェム政権の存続は危ういと考えたアメリカはCIA(アメリカのスパイ組織)を使って南ベトナム軍にクーデターを起こさせた

そしてゴジンジェム政権は倒れ 代わりに軍事政権が誕生するが またしても その軍事政権が国民を弾圧する

その後もアメリカは次々とクーデターを起こさせた

1960年  南ベトナムに反米組織 民族解放戦線が立ち上がる アメリカは その反政府組織をベトコンと言う差別用語で呼んだ 

反政府軍(解放戦線)は地下にいくつかのトンネルを掘り その中で暮らしながらゲリラ戦をしながら戦った 地雷を仕掛け最新式のアメリカの戦車も爆破した

クチトンネル 戦車
クチトンネル

米軍と南ベトナム政府軍はベトコン(反政府軍)に連戦連敗を重ねる

それでもアメリカは次々と兵を派遣し最終的には50万の米軍兵がベトナムに集まった

アメリカが軍事介入しベトナム戦争は泥沼化する 

昼間は農作業を行うベトナム人 しかし夜はベトコンとなって米軍施設を襲撃した

米軍は敵のベトコンと敵ではない農民との区別がつかなくなり 無差別殺人を行うようになる

1961年~1971年 ゲリラ戦を嫌ったアメリカは枯葉剤(化学兵器)を空から放った その結果 樹木が枯れた だけでなく人体にも影響を及ぼし奇形児も多く生まれた

枯葉剤の中には人体に害を及ぼすダイオキシンが入っていた

ベトナム人だけでなくアメリカ兵にも大きな被害が出た

枯葉剤を浴びたアメリカ兵に癌が多く発生した 

枯葉剤の被害者となった ベトちゃんドクちゃん 日本で分離手術を行った

1964年 トンキン湾事件が起こる  

南ベトナムで行われていたベトナム戦争(アメリカVSベトナム)の戦火は北ベトナムまで広がることとなる。

切っ掛けはアメリカと北ベトナム(ホーチミン)双方の領海線の認識の違いが生んだ事件だった

1回目 北ベトナム(魚雷艇)が領海侵犯をしたアメリカ(駆逐艦)に攻撃を加えた 

2回目 アメリカは2度目の攻撃があったと 嘘の報告をする (実は米軍が北ベトナムを攻撃したいが為に作った でっちあげの事件)

アメリカは北ベトナムを攻撃する材料が十分にそろったとし北爆(北ベトナム空襲)を行う  8万トンの爆弾(原爆4個分)の空爆を行う 

B52戦闘機はジョットエンジンを8基積み さらに重さ225キロの爆弾を一度に108発運ぶことが出来た 第2次世界大戦の4倍の量の爆弾がベトナム戦争で使われた

実に東京大空襲の50倍の爆弾を落とした タイのウドンタニーや沖縄や横須賀の米軍基地からも戦闘機が飛び立ち爆撃に加わった

やわらかい土に落ちた爆弾が 今も そのまま爆発しずに残っている 不発弾が今でも土の中に眠っている

4万2000人以上が不発弾でなくなっている

北爆2
北爆

<目次>
ベトナムの歴史1(紀元前~13世紀)
中国王朝からの独立と蒙古襲来まで

ベトナムの歴史2(14~19世紀)
大越国の躍進とフランス支配

ベトナムの歴史3(20世紀)
インドシナ独立戦争とベトナム戦争

ベトナムの歴史4(20世紀)
ベトナム戦争とカンボジア内戦