テスト

英世は東京のある研究所で働く事になります。いよいよ細菌学の勉強に慢心(まんしん)する事が出来ると思ったのですがそのとき英世の行く手を阻(はば)んだのは学歴という壁でした。
英世は職場で自ら研究の機会を与えられず大卒研究者の下働きをさせられる始末でした。

しかし思いがけないチャンスが なんと海の向こうからやって来ました。それがアメリカ人の細胞学者サイモンフレクスナーの来日でした。
英世は渡米の希望をそのアメリカ人細胞学者に訴えました。すると難なく承諾(しょうだく)を得ることが出来ました。 

そのとき英世は飛び上がって喜んだそうです。そして知人たちの援助で渡航費用を集め早速アメリカにわたる準備をします。
しかし英世は相変わらず金銭感覚が全くなく留学前にチワキ(同僚の医者)さんからもらい受けた500円という大金(※当時は)を芸者を呼ぶなどしてすべて使い切ってしまったそうです。

当時の500円は大よそ今の価格で200万円くらいだそうです。もちろんしばらくの間 英世とチワキさんとの関係は悪くなります。
それでもチワキさんは英世の才能を信じて新たに留学資金の500円を準備したそうです。そのとき英世は涙を流して喜んだそうです。

1900年(116年前)英世はアメリカに到着しました。ペンシルヴァニア大学へ行き早速 細胞学者のフレクスナーを探します。
そして英世とフレクスナーは久しぶりの再会を果たすも本当に来るとは思ってなかったフレクスナーは急に訪ねてこられても英世に与える仕事はありませんでした。

英世はフレクスナーに必死に頼み込んだ挙句やっと彼の助手として雇ってもらう事が出来ました。その代わりその月給はたった8ドルでした。
さらに英世に命じられた仕事は蛇の毒を搾り取る物でした。左手に障害を負った英世にとってその仕事は命取りとなる危険性を伴うものでした。

英世とアメリカ人細胞学者フレクスナー
英世がアメリカで最初に行った仕事

ーーーーこのあと名門ロックフェラーへで働くことが決まりやっと念願の研究が始められます。

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