テスト

ガーナ到着の一年後 1928年の1月 英世はとうとう自分自身が黄熱病患者となってしまいます。感染から一週間後 英世の体調は一旦回復し研究を再開します。
しかしその4か月後の5月 英世の体調は再び悪化します。英世は見舞いに訪れた同僚のヤング博士に〃君は大丈夫か?〃と尋ねられます。

英世は〃どうも私には分からない〃と無念の言葉を発したそうです。結局その言葉が英世の人生最後の言葉となってしまいました。
そして野口英世は未練を残したまま未開の地ガーナで51歳の生涯を終える事となってしまいました。さらに同僚のヤング博士もその一週間後 黄熱病感染のため無念の死を遂げます。

英世が亡くなってから2年後の1930年 南アフリカのウィルス学者マックスタイラーによって黄熱病のワクチンは開発されます。

結局 黄熱病の原因は当時の顕微鏡では絶対に見ることの出来ないとっても小さい物質でした。その正体はインフルエンザでお馴染みのあのウィルス菌でした。
英世が毎日 顕微鏡で覗いていた細菌は1ミリの千分の一でウィルスはその細胞のさらに千分の一の小ささだそうです。ということはウィルスは百万分の一ミリと言う事になります。

英世の死後30年後やっと電子顕微鏡が開発され そのときやっと肉眼でウィルスの姿 形がハッキリと見えるようになりました。

英世と妻メリーは現在アメリカニューヨーク郊外のウッドローン墓地の墓で静かに眠っているそうです。
そしてそのお墓には英語で〃野口英世 科学への敵身(けんしん)により 人類のために生き 人類のために死せり〃の文字が刻まれています。

さらに福島県にある野口英世記念館では英世が一歳のときに誤って転落した囲炉裏(いろり)や自己の決心を刻んだ柱さらには母シカが英世に送った手紙が当時のまま残ってます。

福島が生んだ英雄 野口英世を詳しく知る事で世の中 決して完璧な人などいない事を改めて思い知らされました。
そして失敗を恐れずどんな困難にも立ち向かおうと千円札の肖像画が毎日みんなを勇気づけているような気がします。

アフリカの大地に涼む夕日(世の中決して沈まない太陽などないと毎日千円札の肖像画が教えてくれているような気がします。)