テスト

英世は南米エクアドルで壮大な送別会が開かれたのちメキシコ ペルーと中南米の各地を訪れ黄熱病研究の功績をあげていきました。
そして英世は中南米の行く先々で人々から大歓迎を受けるのでした。さらに中南米各地に英世の功績をたたえる記念品が作られました。

エクアドルの国立研究所の壁には英世の業績を刻んだ銅版があります。さらにエクアドルには英世が訪れた事を記念してアベニーダ ヒデヨ ノグチと言う名前の通りまであります。
そしてペルーでは英世の不屈の精神力を見習いたいとして付けたれたヒデヨ ノグチ学校があります。

そして中南米での黄熱病に関する任務を終えた英世は研究所のあるアメリカへと戻ります。
しかしそのときはまだ人々は英世が開発したワクチンは まだまだ未完成だという事に気づいていませんでした。

1922年(94年前)英世のもとに思わぬ来客がありました。それは22年前 英世が日本を立つ際 2度も大金を準備してくれたあの医者の恩人チワキさんでした。   
英世は久々の再開に大喜びして何日間も朝から晩までチワキさんに付きっきりでアメリカを案内して周ったそうです。

チワキさんが講演するときには英世が通訳を買って出て〃私の大恩人のチワキ大先生です〃と紹介していたそうです。さらに忙しいスケジュールの中を大統領にまで会わせたそうです。

別れ際そのチワキさんは英世に対して〃君が若い頃は色々と世話をしてあげたが今度は大変世話になった。これでお相子だな〃と言ったそうです。

その言葉に対して英世は〃私はアメリカに長く生活してきましたが人の恩を忘れるようなことは決してしません。どうか昔のように清作(英世の旧名)と呼び捨てて下さい。
その方が私にとってどんなにありがたいか知れません〃との言葉を返したそうです。

エクアドルの国立熱帯医学衛生研究所の壁に掲げられた英世の銅板

英世と英世の恩人チワキ(医者)さん

ーーーこのあと英世の人生最後の決戦地となるアフリカへと向かいます。 

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