テスト

今から71年前 戦争が終わってもアメリカ軍の空爆により日本各地の都市や町は跡形もなく消え去りそこには焼野原だけが残ってました。
そんな中 同じく焼け野原となってしまった渋谷でも人々は食べていくのに精いっぱいとなり いつの間にかあの平和だった頃の事を忘れていました。
そうですそれは日本中に犬フィーバーを起こしたハチ公がいた時の事です。

そして廃墟(はいきょ)と化した渋谷を立て直そうと商店街の人々が中心となって町作りの第一歩となる新ハチ公像の再建計画が持ち上がりました。
そんな中アメリカ軍の空襲で命を落とした父の代わりに新ハチ公像を作りたいと名乗りを上げたのが初代ハチ公像を手掛けた彫刻家 安藤さんの息子でした。

安藤(息子)さんは父が初代ハチ公像を造っている間よくハチのお世話をしていたそうです。そのため肌感覚でハチをなでた時の感触を覚えていたのでした。
さらに安藤さんの父が りりしさや力強さを表現したハチ公像(初代)を造ったのに対して安藤(息子)さんは優しさ穏やかさを象徴したハチ公像(2代目)を造り上げたかったそうです。

それはきっと安藤(息子)さんの平和へ願いが込められているのだと思います。
新ハチ公像の制作は順調に進み原型の粘土像は完成そしてあとは型をとって銅を流し込むだけとなりました。

しかしそこで大きな問題が発生します。戦後の物資不足は深刻で十分な量の銅を集める事が出来ませんでした。このままではハチ公像の再建を諦めなければならなくなります。

そこで安藤さんは苦渋(くじゅう)の決断をします。そのとき新ハチ公像 再建の切り札となったのは なんと父が残した遺品でした。
安藤さんは涙ながらに父の形見でもある大作〃大空に〃を溶かし新たなハチ公像の材料としました。そうした苦労を乗り越え新ハチ公像は見事に完成しました。

以前よりずっと優しい表情になった2代目ハチ公像
2代目ハチ公像を手掛けた安藤さん
彫刻家の安藤(父)さんの大作〃大空に〃

ーーーこのあと新しく造られたハチ公像が多くの人に大きな影響を与えることとなります。    つづきをどうぞ