テスト

ハチが亡くなった時 日本国内はもちろんフランスアメリカそしてドイツハンガリーまでもが新聞でその訃報(ふほう)を知らせたそうです。

そして忠犬ハチ公物語のその美談は新聞だけでなく小学校の教科書にも語り継がれていく事になります。

しかしハチが生きた昭和初期は日本というよりかは世界が戦争に傾きつつあった時代でした。
そのため忠犬ハチ公物語もただ単にハチ上野先生を思う気持ちだけでなく国への忠誠心を重視する内容へと書き換えられて行きました。

ハチが亡くなってから数年後の事 とうとう第2次世界大戦(太平洋戦争)が始まってしまします。当初 日本は太平洋の島々とアジア諸国の戦線において連戦連勝でした。
しかし戦争が長引くにつれヨーロッパ戦線で一応のめどがついたアメリカ太平洋戦線に本格的に参戦します。すると形勢は一気に逆転され日本は苦戦を強いられます。

そしてさらに戦局が長引くと国内の金属不足が深刻化し ついに金属類回収令が発令されます。
すると寺の鐘や銅像だけでなく東京 丸の内にあった徳川家康像仙台の伊達政宗像までもが回収され次々と溶かされて行きました。

そしてついに平和の象徴〃忠犬ハチ公像〃までも東京鉄道局より撤去命令が出されます。それを知った日本犬保存会の会長の斎藤さんを始め多くの国民が抗議活動を起こしました。
さらにはハチ公像の制作者でもある安藤さんも活動に参加し安藤さんは自らハチ公像と同じ量の銅を提供する解決案を出しました。

しかしハチ公像だけ残すわけには行きませんでした。そこで最後の妥協案(だきょうあん)として一度撤去したハチ公像を戦争が終わるまでほかの場所で保管する事になりました。

金属類回収令で集められたお寺の鐘
金属類回収令で回収された仙台の伊達政宗像!再建後は銅ではなくコンクリート像となりました。
東京 丸の内にあった徳川家康像も撤去されました。

ーーーこのあと なんと忠犬ハチ公像に出陣命令が下ります。つづきをどうぞ