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1935年(81年前)3月12日 ハチが亡くなってから4日目の事でした。人々から笑顔が消え冷たく張り詰めた空気の中ハチ公の葬儀は行われました。
葬儀会場には上野先生の妻 八重子やハチの最後の飼い主 菊次郎夫婦ほか町内からも多くの人が参列したそうです。

多くの電報や手紙が寄せられさらには200以上の花輪や生花が飾りつけに使われたそうです。
そして 妙祐寺(みょうほうじ)のお坊さんが なんと16人も駆けつけお経を読み上げたそうです。それは普通の人の葬式を遥かに超える規模でした。

それだけ当時の人々が忠犬ハチ公に熱狂していたという事でしょう 今じゃとても考えられない犬(ハチ公)の葬式でした。

しかしそのとき葬式の棺にはハチ公姿はありませんでした。そのときハチの亡骸は東京 上野の国立科学博物館に運ばれていました。
そこへ運ばれてきた遺体は汚れが酷く悪臭を帯びていたのでまず念入りに洗浄作業を行うことになりました。そこでハチの死因解明のため解剖が行われることになりました。

ハチの死因は当初 蚊に刺されることで感染するフィラリアだとされていました。
(※余談ですが僕の家でも子供のころハチ公という犬を飼っていてフィラリア感染で亡くなった事があります。)

そしてハチの胃の中には兼ねてからハチの好物であった焼き鳥の折れた串が入っていたそうです。ただその串は胃壁を傷つけずにそのまま残っていたそうでした。
ハチの臓器はその後ホルマリン漬けし保存されることになりました。

残ったハチの遺体はその後3か月かけて はく製となりました。そしてそのハチ公のはく製は今でも上野の科学博物館で一般公開されているそうです。

さらにそのハチ公の はく製にだけ胴体の中に制作者の本田晋(当時86歳)のメッセージが書かれた封筒が入れられているそうです。

解剖から75年がたった2010年 改めてハチの臓器を再検査する事となりました。すると新しい事実が明らかとなりました。
ハチフィラリアに感染していたのは確かのようですが一番大きな死因は心臓と肺に転移したガンだったそうです。

多くの人がハチの亡骸に向かって手を合わせました。
ハチの葬儀に参列する多くの人々
ハチ公の はく製 制作の様子
完成したハチ公のはく製はソウトバンクのCMに出てきそうな白い犬でした。

ーーーこのあとハチが生きていた頃の平和な時代が終わりついに日本は戦争に突入してしまいます。つづきをどうぞ