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(ジョージア基本情報&歴史)

(基本情報)

2015年 国名をロシア語読みのグルジアから英語読みのジョージアに変更 国土は北海道より少し小さめ

コーカサス地方にあたる 北には大コーカサス山脈がある 東西に長く 中央にも山脈がある

標高5000メートルを超す山々が1200キロにわたって繋がっている 

山脈が壁となり国の 東西にそれぞれ違った文化を持つ 実際 国が東西に分裂していた時代もあった

地理的に様々な国に占領された歴史を持つ 東にアゼルバイジャン 南にアルメニアとトルコ と国境を接している 

コーカサスは昔から東西南北を結ぶ要所にあった 

シルクロードの時代には 貿易の要所となり またコーカサス山脈を越えると人種が変わりヨーロッパ人となる

ジョージアはオスマンの支配下になったこともあった

ジョージアは長寿と美人の産地として有名 西は黒海に近く魚もよく食べられていた

宗教はジョージア正教とロシア正教が8割 イスラムスンニ派が1割 アルメニア系のカトリックが1%

民族構成はジョージア人が8割 そのほか80種類も民族が暮らしている

①ウクライナ ②アゼルバイジャン ③モルドバ そして ジョージアの 4か国はロシアと仲が悪い

ロシアと仲の悪い4か国の地図
ロシアと仲の悪い4か国

国土は日本の5分の1 国土の83%が山地 人口430万のうち120万人が首都に住む

公用語はジョージア語 ロシア語とはかなり違うがロシア語も通じる アブハジアではアブハジア語が話されている

グルジア文字を使用している

(歴史)
紀元前6~4世紀 グルジア王国が誕生する(※伝説上の国家) 

アレクサンダー大王がやって来た混乱時にできた国とされている

11世紀に書かれた書物にも登場している

4世紀(337年) 当時 ジョージアは国が東西に分かれていた 西はギリシャと関係が深く東はペルシャやアラブと関係が深かった

だが東西ともキリスト教を信仰していた 

シルクロード時代には中国からはシルクが運ばれジョージアからはワインが運ばれていった

9世紀 強い国王により東西は統一された 首都トリビシをアラブ人から奪還する

この時代の遺跡も多く残っており また硬貨にもこの時代のことが刻まれている

13世紀 モンゴル帝国に占領される 

15世紀 再び東西に分裂

16世紀(1555年)サハニー朝とオスマンが極秘条約を結ぶ そこでジョージアの西をオスマンが統治し

東をサフリー朝が統治することになる

17世紀 ペルシャが大軍を率いてやってくる 狙われたのは高値で取引されるブドウだった ブドウ畑だけでなく町ごと焼かれた

人々はブドウの枝を持ちコーカサスのふもとへ逃れた  そのようにしてジョージアワインの伝統は守られた

18世紀 ジョージア西はイラン情勢の混乱でロシア帝国に保護を求める1789年ジョージア西は帝政ロシアの保護国となる

19世紀(1801年)ジョージア西は帝政ロシア ロマノフ朝に併合される その後 ジョージア東も帝政ロシアに併合される

20世紀(1917年)ロシア革命により帝政ロシアは崩壊する オスマン ドイツ イギリスなどが勢力争いをする中 

1918年 5月26日 ジョージアはドイツの協力を得てジョージア民主主義共和国として独立を果たす

その5月26日は 今でもジョージアの独立記念日となっている

帝政ロシアの崩壊後 各地で紛争が発生する ジョージアのアブハジアやオセアチアも戦地となる

グルジア紛争で焼かれた家

1921年 ジョージアはソビエト連邦(独立国家共同体)に併合される 当時のソ連のトップ スターリン(独裁者)はジョージアの出身である

ほかにもジョージアは有名な政治家を輩出している 

しかし1939年ジョージア人も例外なくスターリン(ジョージア人)の粛清(※処刑)にあう 主に文化人や知識人が多く処刑された
 
ペレストロイカ(情報大公開)の時その粛清を題材にしたグラフストシチと言う映画がはやった

当時は ほとんどの人が なんだかの形で粛清(処刑※1956年のトリビシ事件)にかかわった

スターリンの死後 フルシチョフがスターリン批判をし それがきっかけで暴動も発生した

ソ連軍が民衆に発砲し 犠牲者の数はロシアのスパイ組織 KGBの発表では420名となっている

ジョージアの経済はソビエト時代は良好であった

1989年 ちょうどベルリン壁が崩壊の時期 2回目のトリビシ事件が発生する 政治犯の集会に軍が発砲

1991年 ジョージアでも独立の機運が高まる 筋金入りの反ソ連活動家のガウサフロリアが初代大統領につく

しかし1年たたずにクーデターにより政権は崩壊する 


<もくじ>
1基本情報と歴史
2南オセチア&アブハジア
3首都トリビシ&ジョージアワイン