テスト

首都タリン(フィンランドの首都ヘルシンキまでは直線距離で約80キロ) 

エストニア語でタリンとはデンマークと言う意味  世界遺産でもある

13世紀の初頭 デンマーク人が丘の上に城を築いた事に由来している 同じ頃 キリスト教の布教のためにドイツ人が入植

今でもハンザ同盟時代のドイツ人が築いた昔ながらの街並みが残っている ドイツよりドイツらしいとも言われている

タリンはドイツ ロシア交易の中継地として発展する 今では全国民の3割がタリンに住んでいる

その後ポーランド スウェーデン ロシアと支配者が変わる 昔から重要な貿易拠点であったため何度か他国の支配を受けてきた

タリン 13世紀 デンマーク(エストニア領)

タリン 13世紀 デンマーク支配下のエストニア
 

(マルガリータ塔)円柱形の太った塔 壁の厚さは4.7メートルもある 

マルガリータ塔

マルガリータ 13世紀 デンマーク支配

 

堅固は要塞都市タリン 外敵の進行を阻止するために建てられた煉瓦造りの見張り塔

タリンの見張り塔
タリンの見張り塔 (2)

こういった塔が ところどころに46カ所建てられた 

城壁の全長は4キロ 159メートルの高さを誇る教会もあった

タリンの城壁
 

タリンの城壁からの眺め

またタリン市内では夜の酒の販売が禁止されている

(旧市庁舎)1248年にタリンは自治権を認められる

柱を彩る4色 青と黄色はハンザ同盟 緑と赤は富と権力を現している 

タリン旧市庁舎
タリン旧市庁舎 (2)

(ドーム教会)タリン最古の教会 中には高さ2メートルの力強い動物が彫られた木彫りの紋章が掲げられている

ただ商売繁盛で恩恵を受けたのはドイツ人だけ エストニア人にはタリンの市民権さえ与えられなかった

タリン ドーム教会
ドーム教会
ドーム教会内にある木彫りの紋章

(大ギルト商人の主祭壇 大ギルト会館 suurgildi hoone)15世紀 

大ギルト商人の主祭壇2
大ギルト商人の主祭壇

(聖オレフ教会 oleviste kirik)

聖オレフ教会 oleviste kirik
聖オレフ教会 13世紀 デンマーク統治 

(アレクサンドルネフスキー寺院)

アレクサンドルネフスキー寺院(19世紀 帝政ロシアロマノフ王朝)

(歌の広場)

<歌と民族の祭典 (5年に一度 夏に開かれる祭典)1869年から続く>

タリン郊外には10万人収容可能となる屋外ステージが設けられ そこで民族と歌の祭典が5年に1度開かれている

この祭典は帝政ロシア時代には禁止されていた 今では民族意識を高める祭典となっている

特に1990年に行われた 祭りはソ連から脱却する起爆剤となった 10万人が集まり独立の思いを歌に託した

次回開催は2024年

歌の広場2
歌の広場
歌の祭典4
歌の祭典3
歌の祭典2
歌の祭典

(ヘルマンの塔) ソ連統治時代にはソ連の旗が掲げられていた 

ヘルマン塔
ヘルマンの塔2
ヘルマンの塔

(クブ灯台)16世紀 ドイツ人が建てた灯台 6か国に面するバルト海は浅瀬が多く危険な海域が少なくない

クブ灯台
クブ灯台

そのためこの灯台が設置された 世界で3番目に古い現役の灯台

(キヒヌ島)今も古いエストニア文化が残る島 アザラシ漁や漁業が盛ん ただ島に水道はない

(トームペア toompea)

トームペア 

(タリン 展望台) 

(キーク デ キョク ネイツィトルン)

キーク デ キョク ネイツィトルン

(ラエコヤ広場 raekoja plats)

ラエコヤ広場 
ラエコヤ広場
ラエコヤ広場 キスの噴水

(聖霊教会 puhavaimu kirik)

聖霊教会

(聖ニコラス教会 niguliste kirik)

聖ニコラス教会 niguliste kirik

(カドリオルク公園)

(ピリタ)

(ピリタ修道院)

ピリタ修道院

<タリン郊外>

(ラクヴェレ) デンマークは1346年にリヴォニアをドイツ騎士団に売却し その売却の3年前に築かれた城

ラクヴェレ城 14世紀 デンマーク(エストニア領)

聖三位一体教会 

聖三位一体教会


<もくじ>
1基本情報
2歴史
3首都タリン
4その他の名所