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16世紀(1501年~1600年)

16世紀

16世紀 滋賀県 甲賀 忍者屋敷 室町(戦国)時代

甲賀 忍者屋敷

16世紀

 

エベレスト登山ガイドとして有名なシェルパ族がチベットからヒマラヤを超えてネパールにやって来る

16世紀

 

16世紀 ポルトガル人がマカオでアフリカンチキンを完成させる
アフリカンチキンは世界各国のスパイスで煮込んだ鶏肉料理

アフリカンチキン

16世紀 セナド広場(マカオ) ポルトガル建築 かつて広場中央にあったポルトガル軍人の像は1966年の反乱以降 撤去され代わりに噴水が設置された。

セナド広場

16世紀

16世紀 小説 西遊記の話が完成する 火焔山(トルファン)は西遊記の中に登場する山 

火焔山3

16世紀 万里長城第一墩dun 明代 長城の西の端 崖に築かれた 

万里長城第一墩 (長城の西の果て)

16世紀

 

ポルトガル船が台湾を立ち寄る フォルモサ(美しい)島と呼ばれていた

1504年

1504年 長野県 松本城  室町(戦国)時代 日本

松本城

1527年

1527年 島根県 石見銀山で銀の採掘を開始する

石見銀山

1532年

 

チベット グゲ王国がムガル帝国(インド)の攻撃を受けるが中央チベットまで進行したところでカシミールのあたりまで引き返した

1536年

1536年 懸壁けんべき長城(甘粛省) 急斜面に築かれた長城  明が建設

懸壁長城2
懸壁長城3

1543年

 

鹿児島県 種が島にポルトガルの船が流れてくる そこで日本人は生まれて初めて長い筒に線香花火を取り付けたような旧式の鉄砲を目にし腰を抜かす

ポルトガル人はそれら旧式の鉄砲2丁を5000両(現在の価格で1億円)で売ってきた

もともと日本人は刀を作る技術に優れていてその鉄づくりの技術を応用し たくさんの鉄砲が作られた

16世紀 ポルトガルの船

 

1549年

 

ポルトガル船に乗ったフランシスコザビエルが日本人の やじろう を引き連れキリスト教(カトリック)布教のため薩摩(鹿児島)を訪れる 

薩摩はポルトガル貿易を条件に あっさりとキリスト教の布教活動を認めた

ザビエルは鹿児島で1年ほど布教活動を行った しかし ザビエルの布教活動は僧侶たちの反対にあい思うようにはいかなかった

その後 ザビエルは京都へと向かった。しかし京都は応仁の乱から もうすでに80年がたっているというのに すっかり焼け野原状態となっていた。

1550年

  

ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマは
アフリカ喜望峰とインドゴアとマレーシアマラッカを経由しマカオへ到達した

その後 400年以上 マカオはポルトガルの支配下にはいる

そのときポルトガル人はマカオに多くポルトガル風の教会を建て残していった

1550年 頃

 

 スペイン人の船乗りが東京都小笠原諸島(日本)を発見する

その後 小笠原と言う嘘つきの人物が現れ 小笠原諸島を最初に発見したのは小笠原本人だと主張した。

その嘘が認められ小笠原諸島は小笠原の所有物となり島の名前も小笠原諸島と名づけられた。

小笠原諸島を最初に発見したスペインの船

1552年

 

フランシスコザビエルが中国の布教先で亡くなる

1552年

戦国時代の日本では もともと尾張の国(名古屋)のいち領主(小さな支配者)に過ぎなかった織田信長が国内の反対勢力を次々と打ち破って統治していった。

当時 信長の家来の中には のちに天下(政権)を取る信長より2歳年下の木下藤吉郎(名古屋)こと豊臣秀吉がいた

織田信長
豊臣秀吉

1559年

1559年 赫図阿拉ヘトゥアラ(遼寧省 撫順)は後金と清の初代皇帝ヌルハチ(満州族)の生誕地 またサルフの戦い(1616年)の戦場となった場所でもある

撫順市 ヘトゥアラ(赫図阿拉)

1560年

1560年 奈良の大仏 2回目の焼失 大仏は その後すぐに再建される

1562年

戦国時代の日本では 織田信長が三河(愛知県)の岡崎城で信長より8歳年下の松平元康(のちの徳川家康)と同盟を結んだ

徳川家康はのちに政権を取り徳川幕府を開く人物である

徳川家康

1563年

1563年 小牧城(愛知県) 

小牧城

1567年


1567年 墨俣城すのまたじょう 岐阜県大垣市 秀吉は信長から墨俣城の城主の地位を与えられる

墨俣城

1568年

戦国時代の日本では 織田信長が兵を引き連れ京都に入る

当時 京都は まだ室町幕府の足利政権が支配していたが 足利将軍は すんなりとの信長の要求を受け入れ関西の統治権を信長に譲った。

1571年

戦国時代の日本では 織田信長が比叡山(滋賀)を焼き討ちにした 延暦寺は3日間にわたって燃え続け3000人の僧侶が命を落とした 

信長は かねてから政治に口出しする僧侶たちを嫌っていた。

比叡山延暦寺

1573年

戦国時代の日本では足利最後の将軍が逃亡した。

それにより 室町時代は235年の歴史に幕を下ろした。

1573年

1573年 朱家角しゅうかかく(上海郊外の水郷の町) 宋代に水路が築かれ明代に建物が建てられた

朱家角(水郷の町) 

1575年


1575年 長浜城 滋賀 出世した秀吉が信長から褒美として譲り受けた城 

長浜城

1576年

織田信長は琵琶湖のほとりに華麗な安土城(滋賀県)を建てた 

それ以降 日本では安土桃山時代が始まる

安土城(模型)

1577年

 明の高級官僚の庭園 豫園(上海)が18年の歳月をかけて完成した

豫園

1582年

安土桃山時代の日本では織田信長が信長の家来 明智光秀が起こした反乱 本能寺(京都)の変 で焼死する。49歳だった。

そのとき 豊臣秀吉は広島遠征に出かけており無事だった。秀吉は明智光秀を打つべく京都へ戻る

明智は秀吉の軍に屈服し戦死する。

 

1583年

安土桃山時代の日本では 豊臣秀吉が大阪城の建設を命じた

その建設にあたり堺の港には毎日200~1000トンを超える石が運ばれて来た 建設には武将も当てられ1日 3~4万人が建設に携わった

1583年

1583年 タール寺(塔爾寺 湟中県 青海省 西寧) チベット寺院  

タール寺(塔爾寺)

1585年

1585年 駿府城 静岡県 家康が戦国時代に過ごした城

駿府城

1586年 安土桃山時代の日本では豊臣秀吉が造らせた大阪城が完成した。

その後 豊臣秀吉は支配地域を広め全国(北海道と沖縄を除く)統一を成し遂げる

大阪城

1591年

 

安土桃山時代の日本は豊臣秀吉が琉球(沖縄)に年貢(税金)を納めるよう要求した。

琉球は明(中国)に助けを求めたが しかし琉球は秀吉の脅しに屈し米(年貢)を納めることにした。

琉球は明(中国)と日本の両国の属国となり両国に年貢を納めなければならなくなった。

1591年

1591年 西本願寺 京都 

西本願寺

1592年

    

安土桃山時代の日本では豊臣秀吉が李氏朝鮮(韓国 北朝鮮)に対し明(中国)との国交を断絶するよう要求した。

李氏朝鮮が その要求を断ると秀吉は韓国プサンに1万8千の兵を送り込んだ 秀吉の1回目の朝鮮出兵(文禄の役)が始まった。

文禄の役

1593年

    

豊臣秀吉(日本)の兵は平壌ピョンヤン(北朝鮮)まで攻めるが その後 明(中国)の援軍が駆け付け 秀吉軍をソウル(韓国)まで押し返した。

その時の戦いで朝鮮の英雄 李舜臣(ソウル出身)が活躍したとされている。

李舜臣

1596年

 

日本の豊臣秀吉の元に明(中国)から和平提案が届いた しかしその内容は日本が明の属国になるよう要求するものであった 秀吉はその内容に激怒する 

1597年

    

1597年 順天倭城 スンチョンウェソン 韓国 

秀吉朝鮮出兵の際 日本兵が突貫工事で建てた日本風の城 完成1年見たたずに廃墟となった 現在は土台のみ残っている

順天倭城 スンチョンウェソン

1597年豊臣秀吉は日本から14万の兵を朝鮮(韓国 北朝鮮)へ送った。2回目の朝鮮出兵となった。しかし秀吉軍は明(中国)の援軍と朝鮮民衆の反撃にあう

豊臣秀吉が亡くなる直前 朝鮮から兵を引き上げる決断をした。秀吉の朝鮮出兵は失敗に終わった。翌年 秀吉は62歳で亡くなった

16世紀末

  

 タイやラオスを支配下に置いたタウング王朝(ミャンマー)は中国雲南省 景紅のシップソンパーンナーを支配下に置く 

景洪 シーサンパンナ


<目次>
1西暦10~12世紀 日本は初めて朝鮮は2度目の統一王朝誕生
2西暦13世紀 モンゴル帝国時代
3西暦14世紀 ①室町② 明③ 李氏朝鮮が 誕生
4西暦15世紀 日本内戦勃発 応仁の乱
5西暦16世紀 大航海時代(1回目) 秀吉の朝鮮出兵
6西暦17世紀 ①江戸幕府②清が誕生
7西暦18世紀 清の全盛期 領土拡大