テスト

7世紀(601年~700年)

7世紀中国で発明された紙すきの技術が 約900年の時を得て  日本に伝わった


7世紀 

 

インドからチベット仏教が伝わった その後仏教は土着の宗教とまじりあいチベット仏教となった また その頃 インドの文字がもととなりチベット文字が造られた。(現 中国)

チベット仏教
チベット文字
景徳鎮 チベット文字


7世紀 

北海道から東北にかけて擦文文化を取り入れた擦文時代に入る 当時 朝廷(中央政権)の影響下に置かれなかった地域で 擦文時代は およそ700年ほど続く

擦文時代の土器

7世紀 
 

7世紀 拝寺口双塔bai si kou shuang ta(寧夏回族 銀川) 高さ40メートル  唐の時代には100本ほどの塔が建っていた

拝寺口双塔
拝寺口双塔2

7世紀  ジョカン寺(四川省) ソンツェン・ガンポ王に嫁いだ文成公主により建てられた

ジョカン寺

602年 
 

 洛陽(中国 河南省)で三蔵法師が生まれる

三蔵は13歳で出家し のちにインドまで行って経典を取り寄せる

17年間の旅で訪れた国は110か国 1334の書物を訳す

三蔵法師

607年

 

日本から中国に派遣された遣隋使は 隋(中国王朝)の2代目皇帝 煬帝(ようてい)に日の上る国(日本)から日の沈む国(中国)へと書いた巻物を手渡す

それは一見 隋の皇帝を侮辱するような内容であったが実は皇帝の気を引く戦略であった

また それまで倭国と呼ばれていた日本が それ以降 倭国ではなく(日=太陽 本=元 日が昇る国 中国から見て日本は東にあるから  つまり)〃日本〃と呼ばれるようになったとされている

国名の由来ともなった 日の上る国 のエピソード

607年 法隆寺(五重塔 高さ31メートル) 奈良 

法隆寺

610年 

中国では隋の時代 北京から杭州まで約2500キロの人口運河 京杭大運河が完成

運河の建設には のべ3100万人が建設に携わったとされる なお京杭大運河は完成から約600年後(13世紀のモンゴル帝国時代)に 一部 拡張工事が行われた 

隋王朝最後の皇帝 煬帝は大運河の建設と度重なる遠征を行ったため王朝の財政を圧迫させた

京杭大運河

614年 
   

 隋(中国)は高句麗(朝鮮)を服従させるため遠征(出兵)を行う

618年 

   

第4回の隋(中国)の高句麗(中国東北 韓国 北朝鮮)遠征の際 隋で農民の反乱がおこる そして隋は滅亡した 

隋の最後の皇帝 煬帝(ようだい)が亡くなり 唐が建国される 唐の都は引き続き隋代と同じ長安(西安)に置かれた

 

唐が統治していたころの長安(西安)の城壁は今の8倍の高さ 96メートルもあった

アラブからの使者が唐にイスラム教を伝えた

唐の時代 唐は朝鮮やベトナムにまで進出した

618年

(同年)
ソンチェンランポ王がラサを都とする吐蕃を建国した

ソンツェンガンポ(初代チベット王)

618年以降  茶馬古道 唐から吐蕃への輸送路 雲南(唐領)で取れた茶葉をチベット(吐蕃)へ運んでいた
20世紀 茶馬古道は毛沢東により自動車道に造り変えられた

茶馬古道

7世紀 


唐の時代 中国 敦煌郊外の渓谷に楡林窟が彫られる 完成までは700年の月日を要した

楡林窟

7世紀 唐の時代 河南省の少林寺に石塔が建てられる

少林寺 塔林

7世紀の唐の時代 少林寺で少林寺拳法が始まる

少林寺武術館演武庁
嵩山 少林寺

623年

 

チベット人から愛される唐出身の王妃 文成公主が生まれる 

 彼女がチベットに仏教を広めた

文成公主

624年

アラブの使者が唐にイスラム教を伝えた

広東省に中国で一番古いイスラム モスク 懐聖寺 が建てたれる

懐聖寺

631年

唐が北中国と中央アジア全土を統一する

高句麗は唐の侵入を防ぐため15年間かけ千里長城(中国東北)を建設した。

千里長城の場所

632年

ホータン王国(ウイグル)は唐の属国となる

三蔵が立ち寄ったホータン王国には100を超える仏教寺院があった

640年

640年 高昌故城がある高昌国(トルファン=ワインの産地)が唐に滅ぼされる

640年 ウイグル地方は唐の統治下にはいる

唐の時代の地図

645年 大化の改新 

日本の奈良でクーデターが発生し その後 天皇家が政権を取る

大化と言う日本で初めての元号が付けられた 
ちなみに中国王朝は日本よりも約770年も古い 紀元前140年頃には もうすでに元号が付けられていた。  

649年

吐蕃がホータンを攻める

ホータン王国(ウイグル)は吐蕃(チベット)の属国となる

649年

649年 昭陵(甘粛省 西安)  唐の歴代皇帝の墓

昭陵 神道の石獣
昭陵西紅門

652年

 

652年 大雁塔だいがんとう(甘粛省 西安) 高さ64メートル 三蔵法師がインドから持ち帰った仏教の経典を保管するために建てられた建物 三蔵はこの建物の中で仏典の翻訳作業を行った。 

大雁塔 7世紀
大雁塔 (1)

655年 

  

高句麗が新羅を攻め33の城を奪う

661年~668年 

   

663年 白村江の戦い 倭国が百済救済にあたるが大敗を期す

新羅(都は慶州)が朝鮮初の統一王朝となった 

慶州歴史地区 新羅ミレニアムパーク

新羅ミレニアムパーク

663年 

 

吐谷渾(とよくこん=現 青海省)は同じチベット系民族 吐蕃(とばんチベット系)によって滅ぼされる 

664年

664年 三蔵法師が62歳で亡くなる 興教寺(西安)の仏塔には三蔵の遺骨が納められている (唐三蔵塔 西安)玄奘三蔵のお墓

興教寺
唐三蔵塔 (1)

667年
 

日本の天皇は安全上の理由で都を飛鳥京(奈良)から大津京(滋賀)へと移された

668年 

   

668年 唐(中国王朝)と新羅が組み 百済と高句麗を滅ぼす。(のちにどちらの王朝も復活する)

以後 百済の領土は新羅が 高句麗の領地は 唐と新羅により分割統治される

670年 

   

6年間に渡り唐(中国)と新羅(朝鮮)の間で 唐 新羅戦争 が起こる 唐が朝鮮半島に攻め込み 一度は平壌が陥落したものの最後は新羅が勝利した。

新羅は朝鮮半島の領土を守りぬき さらに唐の属国から脱却した。

674年

 

唐(中国)からの使節 王玄策がインド(グプタ朝)を訪問中 豪族に捕らわれる リッチャヴィ朝(ネパール)と
吐蕃(チベット)が軍を派遣し王玄策(唐)を救出した

680年

 

文成公主(唐の王妃)と その夫(吐蕃のチベット人)が祀られたお寺 2人は制約結婚だった

文成公主亡き後 再び唐と吐蕃が争いを始める

文成公主記念碑
文成公主廟

680年

680年 薬師寺 五重塔 高さ34メートル 奈良 

薬師寺

684年

 

25年前 吐蕃(チベット)から独立したネパール リッチャヴィ朝は再び吐蕃の傘下に入る

687年

687年 開元寺(福建省) 唐代に建てられたバラモン教寺院

開元寺 1300年の歴史がある仏教寺院
開元寺(インド バラモン教の寺院) (4)

690年 

 

唐の時代 中国史でたった一人の女の皇帝(女帝) 則天武后(悪女)が誕生する

同年 日本でも史上4人目の女帝の持統(じとう)天皇が誕生する 女帝は中国史1人に対し日本史は10人誕生している

則天武后
 

持統天皇

692年

ホータン王国は吐蕃に占領されホータン王は唐へ亡命する。

唐(則天武后)が救済に入りホータンを救う 以降 ホータン王国は唐の保護国となる

694年 

 

日本の天皇は唐(中国)の都に習って 今の奈良県に藤原京と言う立派な宮殿を作った

藤原京

695年 

洛陽の龍門石窟に則天武后(中国王朝初の女帝)をモデルにした廬舎那仏像(大仏) 高さ17メートルが彫られた

敦煌の莫高窟には則天武后に似せた北大仏が造られた。奈良の大仏より古いが大きさは奈良の大仏の2倍以上の33メートルある。南には高さ26メートルの南大仏がある

北大仏と言う則天武后(悪魔の女帝)
北大仏と言う則天武后(悪魔の女帝)2

698年 

   

中国北部(一部シベリアと北朝鮮のエリア)にロシアシベリア ツングース系民族からなる渤海 建国される

黒竜江省 牡丹江(ぼたんこう)市の上京龍泉府遺址は渤海時代の物

渤海と新羅の地図


<目次>
1紀元前40世紀より前 氷河期 石器時代
2紀元前40世紀以降 中国王朝の誕生
3紀元前3世紀以降 秦の始皇帝(中国初の統一王朝)~前漢時代
4西暦1~4 世紀 中国 三国志時代
5西暦5~6世紀 日本は古墳 中国は石窟時代
6西暦7世紀 朝鮮は初めて中国は久々の統一王朝が誕生する
7西暦8~9世紀 シルクロード唐と吐蕃の時代