テスト

1世紀(紀元後1年~100年)

1世紀

1世紀 茅台酒の故郷(貴州省) 2000年前の漢の時代 赤水は名酒の地として知られていた。漢の時は船で塩を下ろし酒を積んで帰っていった

赤水河
巨大 茅台酒のオブジェ

1世紀 仏教徒が多数を占めるトルファンではブドウ栽培とワインづくりが盛んであった

中国 トルファン 葡萄溝
葡萄溝2
トルファンワイン

1世紀 ウイグル トルファンほか 1200本のカレーズ(人工的に作られた地下水路)全長4000キロ 深さ30メートル 

カレーズ2
カレーズ

1世紀 クズルガハ千仏洞とクズルガハ烽火台(クチャ) 漢の時代に築かれた キジ国遺跡

クズルガハ千仏洞
烽火台

1世紀 約2000年前 三峡 瞿塘峡(四川)崖の上の棺(岩棺)

瞿塘峡2
岩棺2
岩棺

1世紀  見張り台の役目 山景色に丹巴(四川省)の碉楼 清代の物が最も多い 

丹巴

1世紀 月牙泉(敦煌) 鳴沙山の砂漠のオアシス 2000年前から水がわき続けている

月牙泉

25年 

漢の都は長安(現 西安)から洛陽へ移される 洛陽は周朝以来 約200年ぶりの都 復活となった

1世紀中頃 

  

後漢製(中国)の金の印鑑が日本の弥生時代の遺跡から見つかっている

後漢 金の印鑑

68年 

 

インドから仏教を伝えに(摂摩騰しょうまとう)別名 迦葉摩騰(かしょうまとう)中国河南省へやって来る 当時 中国では儒教が主な宗教であったが その後 仏教は儒教と対立することなく取り組まれていった

摂摩騰しょうまとう (2)
摂摩騰しょうまとうの墓(中国 河南省)

91年 後漢(中国)は鄯善国(ウイグルの南=西域)やホータン カシュガル クチャなどの都市へ出向き忠誠を誓わせた が しかし

当時 西域ではローマとの貿易が盛んにおこなわれていた。

2世紀(101年~200年)

 

2世紀~3世紀の弥生時代に邪馬台国(日本)と言う小国が結成される

※邪馬台国の都は いまだ不明 物的証拠がないため架空の王朝の可能性もあり※

2世紀後半 

 

倭国(日本)では倭国大乱言う内戦状態へ突入する

180年ごろ 

中国全土が内戦状態となった 三国志時代(180年頃 – 280年頃)に突入する 人々は平和を願い 仏教を信仰する人が増えた

三国時代では 諸葛孔明が活躍し 蜀(しょく)が栄える (中国 成都)

諸葛孔明(秀才)

荊州故城(湖北省) 180年~280年 三国志時代 関羽が建てた城 現在の物は明代に建てられた

荊州故城(城壁の高さは9メートル 周囲9.3キロ 諸葛孔明など三国志の人形が展示) 

剣閣(四川省) 180年~280年 三国志時代の検問所 現在の建物は四川大地震の後再建された物

剣閣
 

190年 漢の都は洛陽から再び長安(現 西安)
へ戻される 長安は約170年ぶりに都 復活となる

3世紀(201年~300年)

3世紀 

 

中国で七夕を祝う習慣が始まる※七夕は のちの時代中国では衰退する 

日本で行われている七夕祭りの様子

3世紀 

  

ロシア樺太や千島列島と北海道北部(日本)でオホーツク文化が起こる

この地方は稲作には不向きで あった為 オホーツク人は漁と海洋動物を食料としていた。

オホーツク人

3世紀~5世紀 

3世紀~5世紀 キジ国の仏教遺跡 スバシ故城(クチャ)が建てられた  ほかにもガンダーラ式仏塔と100の伽藍が建っていた

スバシ故城2

3世紀~9世紀にかけてウイグルのクチャで全236~339か所からなるキジル石窟が彫られた  

キジル石窟

208年 

 三国志時代 赤壁の戦いが行われる

北の曹操が大量の船で攻めてきたとき南の劉備と孫権の連合軍が火をもって奇襲攻撃をした その時の壁は今でも中国 湖北省に残っている

(三国志の時代 赤壁の戦いが行われた場所) 赤壁博物館 曹公し 曹操将軍の人形が展示

220年 

中国 後漢末期(三国志時代)の将軍 曹操が 同じく後漢末期の将軍 関羽を倒す 曹操は関羽の祟りを恐れ洛陽に関羽の お墓を建てた

同年 400年以上続いた漢王朝は滅亡する

関羽墓

222年 

長江下流の南京(江蘇省)で 孫権(そんけん=初代皇帝)が呉王朝を立ち上げる

江蘇省の場所

223年

223年 三国志時代 成都に蜀を立ち上げた2年後  蜀の初代皇帝劉備が亡くなる 

四川省成都には劉備や関羽を祀ったお寺 成都武侯祠(漢昭烈廟) が建てられる 

漢昭烈廟 成都武侯祠

223年 三国時代初代 黄鶴楼(湖北省)  呉の孫権によって建てられた その後 何度も焼失し現在の建物は1985年に再建されたもの

黄鶴楼

242年~248年 

 

日本では邪馬台国のトップに卑弥呼(占い師 又は預言者の女王)がにつく

卑弥呼が亡くなり 卑弥呼の後 イヨが邪馬台国の女王となるが

邪馬台国は再び内戦状態に突入する 

すると日本の歴史書を書いていた人も中国大陸へと引き返す

それ以降 約200年間の日本の記録は残っていない。

卑弥呼(今は まだ伝説上の人物)

4世紀(301年~400年)

4世紀から7世紀 

  

朝鮮半島(韓国 北朝鮮)では

①高句麗(北朝鮮+中国吉林省) 

②百済 

③新羅 

④任那(一時的に消滅した時期もある)

の4つの国に分かれて勢力争いをしていた

北から順番に①高句麗②新羅③百済の3つの国

335年 

中国 ウイグル地方ではキジル石窟を築いた キジ国は漢の軍に敗れ焼かれる

同年 キジ国の王子 鳩摩羅什くまらじゅが生まれる

くまらじゅ(サンスクリット語名)はサンスクリット語で書かれた多くの仏典を中国語に翻訳した。

このタコのようにひょろっとした人物こそあの偉大な鳩摩羅什くまらじゅうおしょうです。

336年 敦煌 莫高窟で石窟作りが始まる 

南北1.6キロ 全745窟からなる石窟は4世紀から14世紀にかけ 約1000年かけて造られた  その多くは唐の時代に作られた

完成当時の壁画は漆(うるし)と金粉が塗られていた

莫高窟 正面 九層の寺院

350年~700年 

  

日本では古墳時代が始まり 奈良を都とした大和王権が古墳をいくつか作る 古墳造りは やがて日本全国にまで広がる

古墳

4世紀(375年と384年)

  

375年 高句麗に前漢時代(400年以上前の物)の仏像や仏典が贈られる 

384年 中国の晋から朝鮮の百済に仏教が伝わる

384年から417年 

五胡十六国時代 中国 甘粛省の天水に麦積山ばくせきざん石窟が彫り始められる

高さ142メートル 全192窟  廬舎那仏るしゃなぶつ などの石窟を1300年以上の月日をかけ彫られた

麦積山とは麦を積み重ねた形に似ているからその名がついた

麦積山ばくせきざん石窟5
麦積山ばくせきざん石窟4

386年 

中国に北魏が誕生する 北魏は山西省 大同に都を構える

391年~404年 

     

倭国(日本)と高句麗(朝鮮[北朝鮮]中国東北)との間で倭 高句麗戦争が起こる

倭国(日本)が朝鮮へ攻め込み新羅と百済(韓国)を攻略するも高句麗(中国東北と北朝鮮)の返り討ちに会い 倭国(日本)が大敗を期す


<目次>
1紀元前40世紀より前 氷河期 石器時代
2紀元前40世紀以降 中国王朝の誕生
3紀元前3世紀以降 秦の始皇帝(中国初の統一王朝)~前漢時代
4西暦1~4 世紀 中国 三国志時代
5西暦5~6世紀 日本は古墳 中国は石窟時代
6西暦7世紀 朝鮮は初めて中国は久々の統一王朝が誕生する
7西暦8~9世紀 シルクロード唐と吐蕃の時代