テスト

紀元前3世紀(2300年前)

 

紀元前3世紀 月氏(中央アジアのモンゴル系民族)は玉の民と言われ ホータンで仕入れた玉を漢(中国)へ運び 玉を売ったお金で絹を買っていた 絹はシルクロードを通って遠くヨーロッパまで運ばれた 

紀元前271世紀(2290年前)

紀元前271年 約2290年前 孔子の死後 200年がたったのち孔子の弟子によって孔子の思想が書かれた論語(20巻)が発表され 儒教が誕生した。

紀元前3世紀

 

日本列島では九州で始まった弥生文化が700年かけ やっと関東地方に到達した

 その後 さらに約100年かけ 弥生文化は関東地方全体に普及していく

関東の場所

紀元前259年(2279年前)  

中国大陸では秦の始皇帝が王族の子供として生まれる

秦の始皇帝


紀元前256年(2276年前) 

中国史上最も長い王朝 周王朝 が滅亡する 約790年の歴史に幕 

紀元前223年(2243年前)

秦が楚(そ)を滅ぼし南方の越に目をつける

紀元前221年(2241年前)

  

6つの国を滅ぼし秦が初めて中国大陸統一制覇を果たす 通貨 文字 重さの単位などの統一を行った

紀元前221年 秦の支配地域

秦の始皇帝の時代 中国の西安で7500体の兵馬俑が作られる

長安(西安)に兵馬俑が造られる 兵馬俑は7500~数万体以上からなる等身大(身長2メートル重さ200キロ)の兵隊の像 秦の始皇帝が自分のお墓を守るために作らせたもの

墓の広さは広さは甲子園球場と同じで兵馬俑もその一部だった

兵馬俑
兵馬俑2

秦長城(中国 内モンゴル)秦の始皇帝が北方の異民族(モンゴル人)の侵入に備えて作らせた

秦長城

霊渠

着工から9年で全長34キロある麗江と長江を結ぶ人口の川(霊渠れいきょ広西チワン族)を完成させる 長城や兵馬俑と並ぶ三大土木工事と言われた

輸送力が上がり そのかいあって秦は南方の越を滅ぼす事に成功する

霊渠れいきょ

都江堰 古代に築かれた灌漑(かんがい)設備が築かれる(中国 四川省)

都江堰
都江堰2

紀元前219世紀(2240年前)

紀元前219年 約2240年前 秦の始皇帝が泰山(山東省)に登る 泰山の頂上には道教において最高の神が祀られている 

泰山

紀元前213年(2233年前) 

秦の始皇帝が統治していた中国では 大規模な民衆の反乱がおきる 反乱軍の中には 漢王朝の創始者 劉邦 と項羽(劉邦の宿敵)と もいた

劉邦(漢王朝の創始者)
項羽(劉邦の宿敵)

紀元前211年(2231年前)

隕石が落下 

紀元前210年(2230年前)翌年 始皇帝死去

生前 不老不死を夢見た皇帝であったが49歳の若さで亡くなっている

始皇帝陵(秦の始皇帝の墓)  (中国 西安)

始皇帝陵は秦の始皇帝が13歳で皇帝の座についてから40年の歳月をかけて造らせた自分の墓

さらに墓の秘密を守るため建設にかかわった人はすべて殺された

始皇帝陵

秦の始皇帝宮殿 始皇帝の死後 阿房宮(現在の物は復元) が完成する (中国 西安)

 始皇帝が建てさせた阿房宮と言う宮殿は あまりに巨大すぎたため 完成前に始皇帝は死んでしまった

阿房宮(あぼうきゅう)は、秦の始皇帝が建てた大宮殿
阿房宮(あぼうきゅう)は、秦の始皇帝が建てた大宮殿2

紀元前206年(2226年前) 秦が 崩壊 

劉邦が項羽との覇権争いに勝利し 漢王朝を開く 漢王朝は その後 400年間 続く

漢の都は秦代と同じく 引き続き 長安(西安)に置かれた

紀元前203年(2223年前) 

 

ベトナム北部と中国広東省 広西チワン族 雲南省の あたりに南越国が建国される 首都は広州に置かれた

南越国

紀元前2世紀

 

紀元前200年(2220年前)弥生人が日本列島に到達してから約800年後 弥生文化は やっと関東全体にまで広まった。 しかし弥生文化は東北や北海道へ広まることはなかった。東北や北海道では その後も続縄文時代が続いた。 

中国大陸の人は当時 日本人の事を和人と呼び その集まりを倭国と呼んでいた 倭国(主に大和王朝)は漢王朝(中国)に貢物(年貢=税金)を送っていた 倭国(日本)は漢(中国)の属国だった 

中国  漢王朝

この頃の歴史の記録は すべて中国大陸の人によって書かれたもので その内容は すべて中国目線となっている ※日本人が書いた記録は残っていない※

中国に残る魏志倭人伝(歴史書)より

魏志倭人伝

同時期(2220年前) 

前漢の時代 中国で初めて紙が作られる

前漢時代に使われていた紙

同時期(2220年前) 漢の時代 匈奴(北方)の防衛拠点として敦煌に町が造られた 敦煌の城壁は18世紀まで使われていた

敦煌の場所

 当時 敦煌は聖地でもあり巡礼地でもあった すべての道は敦煌に通じてた

敦煌郊外の陽関遺跡は漢の武帝(7代皇帝)が造った関所 軍事施設跡だった

陽関遺跡

同時期(2220年前) 

前漢の時代 わらと土でできた漢代長城が築かれる(中国 敦煌)

わらと土でできた漢代長城2

同時期(2220年前)

王の墓から前漢時代の 遺体を玉(ぎょく)で覆っていた人形が見つかった (中国 広州 西漢南越王博物館)

西漢南越王博物館2

同時期(2220年前) 

車師前国の都 交河故城が築かれる (中国 トルファン)

交河故城2

同時期(2220年前) 

中国ウイグル地方のローラン王国(仏教国)は一時 当時 中央アジアから南アジアを支配していたクシャナー朝(王国)の支配を受ける

楼蘭王国(ウイグル地方)では漢(中国)より約200年も早く仏教が浸透していた。

楼蘭鉄板河遺跡

紀元前195年(2215年前) 

  

朝鮮半島の北朝鮮のあたり衛氏朝鮮(えいしちょうせん)が誕生する

考古学的な遺跡が残る朝鮮最古の王朝となる

首都は今の北朝鮮と同じ平壌(ピョンヤン)に置かれた。

平壌の場所

紀元前2世紀(2200年前)

紀元前2世紀 敦煌  前漢時代の関所   陽関 が築かれる

陽関跡

紀元前2世紀 トルファンの町が築かれる 最盛期には大きな仏塔が100本以上たっていた

紀元前2世紀(2200年前)

 

紀元前2世紀 月氏は 同じモンゴル系の匈奴に敗れアフガニスタンに逃れ大月氏国を立ち上げる

紀元前2世紀(2176年前)

 

紀元前176年 ローラン王国は一時 月氏(中央アジアのモンゴル系王朝)の支配をうける

その後 月氏は匈奴に敗れため ローラン王国は匈奴(モンゴル)の支配下に入った

紀元前141年(2161年前) 

    

前漢(中国)の7代皇帝 武帝は朝鮮半島(韓国 北朝鮮)やベトナム北中部へも進行した。

朝鮮半島は その後 400年間 前漢(中国王朝)の支配下に置かれた

武帝

紀元前111年(2131年前) 

 

前漢(中国)の武帝により南越国(中国南部からベトナム北部)は滅ぼされる 南越国のあたりの領地は交州となり 交州の支配は7世紀の唐の時代まで続く

前漢の支配地図

紀元前140年(2160年前)

前漢の武帝は中国史で初となる建元と言う元号をつける ちなみに日本の大化の改新(日本初の元号)は約770年もあとの7世紀の事となる

紀元前2世紀(2108年前)

紀元前108年 玉門関(敦煌郊外) 前漢時代の関所 遺跡は唐代に再建された物 

玉門関

紀元前1世紀(2100年前)

紀元前100年(2120年前) 精絶王国が築かれる 
現在は砂漠に無数の木の柱が突き刺さったニヤ遺跡となって存在している(中国 ウイグル南部)

ニヤ遺跡(尼雅遺址)

紀元前57年(2077年前)

  

 朝鮮南部に新羅王国が建国される 都は慶州に置かれた 新羅はのちに朝鮮初の統一王朝となる 

1000年以上続く王朝だが ただ建国時期に関しては明確ではない

紀元前53年(2073年前) 

中東でカルエラの戦い(戦争)が起こり 古代ローマ(共和政)はパルティア帝国(ギリシャ系)に敗退する 一部のローマ兵士が中国ウイグル地方に逃れる

紀元前53年 カルエラの戦い

紀元前36年(2056年前) 

中国に逃れたローマ軍は 匈奴きょうど軍と漢王朝の軍に破れ捕虜となる

その時のローマ人の子孫が今も中国 甘粛省のあたりで西洋系中国人として生き続けている

永昌 ローマの子孫

紀元前37年より前 

    

今の中国東北部とロシアの一部 北朝鮮全土 韓国北部を領土とする高句麗と言う国ができる(中国 朝鮮 ロシア) 

前漢(中国王朝)の支配から独立する形で高句麗が建国される

ロシアシベリア ツングース系民族からなる国家

都は現在の中朝国境 近く の卒本に置かれた

高句麗はのちに高麗と王朝名を改名する

中国大陸の唐や髄からたびたび攻撃を受けるが1000年近く続く 長寿国家だった

高句麗の支配地域(現在の中国東北部と北朝鮮のあたり)

紀元前1世紀 ニヤ遺跡(タクラマカン砂漠) 

ニヤ遺跡(尼雅遺址


<目次>
1紀元前40世紀より前 氷河期 石器時代
2紀元前40世紀以降 中国王朝の誕生
3紀元前3世紀以降 秦の始皇帝(中国初の統一王朝)~前漢時代
4西暦1~4 世紀 中国 三国志時代
5西暦5~6世紀 日本は古墳 中国は石窟時代
6西暦7世紀 朝鮮は初めて中国は久々の統一王朝が誕生する
7西暦8~9世紀 シルクロード唐と吐蕃の時代