テスト

昭和初期(約90年前)から東京や一部の都市では大衆食堂で安価なカレーライスが売り出され大繁盛の様でした。
しかし東京を除けば まだまだカレーの認知度は低く全国展開とまでは行きませんでした。

そして戦後まもなく全国展開を狙って販売されたのがオリエンタルのカレールーでした。ルーと言っても煎(い)った小麦粉とカレー粉そしてバターを混ぜた粉でした。
しかも当時あんパン一個が5円の時代にカレールー(※粉)は5皿分で なんと35円(※現在の価格で約700円)もしました。

当時 得体(えたい)のしれない黄色い粉(※カレー粉)に興味を示す人は少なかったそうです。 

そこでオリエンタルの営業部は宣伝カーを走らせカレーの全国普及に全力を尽くしました。宣伝カーの宣伝は北は仙台 南は当時まだアメリカ占領下だった沖縄まで及んだそうです。
ただ単にカレーを売り込むのではなく漫才や腹話術(ふくわじゅつ)さらにはダンスショーまで開き一般市民を楽しませたそうです。

宣伝部の出張期間は半年間で部員は6名 司会者と運転手それと営業と踊り子から成るメンバーでした。多くの一般市民が集まり楽しく無料のカレーを食べて行ったそうです。
田舎のあざ道を走る宣伝カーは時には家の軒下を借りてショーとカレーの宣伝を行(おこな)って行ったそうです。

さらに当時まだ家庭に普及していなかったカレースプーンまで おまけで配ったそうです。現在までに配った おまけスプーンの数は なんと3千万本だそうです。
観客たちは腹話術を見るのもカレーを食べるのも初めてでした。そんな草の根を分けた宣伝活動は実を結び昭和40年にはオリエンタルは年間30万個のルーを売るまでに成長しました。

全国展開を狙うオリエンタルの宣伝活動の様子 (2)
全国展開を狙うオリエンタルの宣伝活動の様子 (1)
販売当初は粉だったカレールー

ーーーーこのあとそれまで粉だったカレールーがオシャレな固形へと生まれ変わります。

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