テスト


13世紀

13世紀初頭(1206) モンゴルの草原で生まれたテムジンが仲間と協力しモンゴル帝国を建国した テムジンは皇帝(大カーン)に昇進しチンギスハーンと改名する

モンゴル ウランバートル スフバートル広場 チンギスハーンの銅像

13世紀 チベットを支配下に置いたモンゴル帝国はチベット仏教の影響を受け のちにチベット仏教を信仰するようになる 以降 チベットとモンゴルは今日に至るまでの長い期間 友好関係が続く

1211年 チンギスハーン率いるモンゴル帝国は金(中国東北地方の国)に侵攻

1212年 カラハン朝はカラキタイ(トルキスタン系国家)に滅ぼされる が数年後 モンゴル帝国により支配される 

13世紀 交河古城 元の頃に消滅

交河古城 王の墓

1215年 モンゴル帝国は金の都を攻め落とす 金王朝の皇帝は内紛のさなか殺害された

金は大部分の領土を失うも河南省 開封へ逃れ存続した

開封府

同年(1215年) 中国 甘粛省の大仏寺(1098築)でモンゴル帝国のフビライハンが生まれる

彬県大仏寺石窟
フビライ

1218年

ウイグルから中央アジアに存在した西遼 モンゴル帝国によって滅ぼされる

同年1218年 金朝の黒契丹が朝鮮に侵攻する それを高麗とモンゴル帝国の連合軍が撃退する

1120年

北宋と金が遼を攻撃するため軍事同盟を結ぶ

金と遼と宋の地図

1227年 モンゴル帝国は西夏(中国北部)を攻める さらに西夏は大地震に見舞われ滅亡する

同年 チンギスハーンが亡くなる チンギスハーンは特に大きな略奪や虐殺は行っていなかった 

のちに被害を受けた人々が大きく話をでっちあげ作られた話が多い

1234年 河南省 開封へ逃れていた金王朝が 2代目皇帝 オゴタイ率いるモンゴル帝国によって滅ぼされる

1235年 モンゴル高原のカラコルム(モンゴル)に都を構える

カラコルム
カラコルム博物館

1254年 クビライが4代目モンケの命を受け雲南省の大理(国)を制圧する

大理

クビライは内モンゴルに開平府(上都=世界遺産)に都城を築き南宋や高麗との戦いに備えた

13世紀 敦煌郊外の楡林窟では西夏最後の壁画(水月観音図)が描かれる  その後 中国シルクロード地方はモンゴル軍により制圧される

楡林窟2
楡林窟 石像

1267年 モンゴル帝国 クビライは26年かけて大都(現 北京)の町を作り上げる 

北京の伝統民家 四合院(フートン)や 北京の故宮のそのころ作られた

四合院
四合院2

そのころイタリア人のマルコポーロも大都(北京)を訪れ元の皇帝と面会している

またマルコポーロが書いた東方見聞録はのちの時代に活躍するコロンブスが愛読していた。

北京の街を築いたモンゴル帝国はチベット仏教他様々な宗教を取り入れていたが 中でもイスラム教徒は帝国の財政を支えていた

13世紀 南北朝鮮がモンゴル帝国の手に落ちる

1271年 クビライはモンゴル帝国を中国風の呼び方の元と国名を変更した

13世紀(1276年~1279年にかけて) 

南宋は福建省の泉州を拠点にアジアの海を制圧していた 主にインド産の胡椒 香木 乳香などを扱っていた

泉州

泉州古船陳列館には13世紀 南宋が築いた木造大型船のが展示されている

沈没船 南海1号 .
泉州古船陳列館
泉州海外交通史博物館

1279年 元と南宋の間で 崖山の戦い が起こる 

元(モンゴル軍)はついに新兵器 投石機を手に入れる そして南宋の都 杭州は ついにモンゴル軍の手に落ちる  そして 南宋の滅亡につながった

戦争に敗れ難民となった南宋の人々がフィリピンのマニラでトンド王国(ルソン国、呂宋国)を建国した。

トンド国は東南アジアやインド 中国の中継貿易で栄えた海洋国家になる

杭州 西湖

最強を誇ったモンゴル帝国は陸だけでなく海の道も手に入れた 泉州に回族(イスラム教徒)が多いのはこの時の影響 

開元寺 1300年の歴史がある仏教寺院
開元寺(インド バラモン教の寺院) (4)

元の時代 宋(中国)の焼き物にペルシャ(中東)の青い原料などを使った景徳鎮(江西省)が完成する 景徳鎮の焼き物は遠くヨーロッパにまで運ばれた

景徳鎮古窯民俗博覧区
景徳鎮の陶磁器

13世紀末 中国の京劇は元(モンゴル帝国)の時代から始まったと言われている

北京 京劇2
鄭州 京劇

1294年 モンゴル帝国(元の初代皇帝)のクビライカーンが80歳で亡くなる

14世紀

14世紀 700年続けられた楡林窟(敦煌郊外)の増設は終了する 

1351年 白蓮教徒(宗教団体の一つ)が起こした元王朝に対する反乱 紅巾の乱が発生する

白蓮教徒

反乱の指導者から現れた朱元璋(しゅげんそう=安徽省出身)が 1368年に明を建国

朱元璋

その後 朱元璋は明(首都 南京)の初代皇帝となる 南京郊外に朱元璋の墓がある

明の初代皇帝 朱元璋 の陵墓

1368年

明建国以降 万里の長城が明と北元の国境となった

14世紀末(1372年) 明(中国)がフィリピンに使節を派遣した フィリピンでイスラム教を進行する人が増え始める 中国からやって来たアラブ人がイスラム教を広めた 明とフィリピン(国家形成以前)との貿易も盛んになる

14世紀に明(中国大陸)に住んでいたアラブ人がブルネイ(フィリピン ミンダナオ島)にイスラム教を広めた 

また そのころ明と東南アジアとの貿易が盛んになる

14世紀末 明は北方異民族の侵入を防ぐため万里の長城をより強固な作りにした 北京郊外の八達長城もその一つ

14世紀(1381) 長城が海の端 山海関(河北省)まで完成した。

山海関2
 

14世紀 元王朝(モンゴル帝国)が築いた北京の故宮を明朝が改築

明の初代皇帝 朱元璋は首都南京に長さは35キロの世界一長い城壁を築く 

南京城壁

内モンゴルのカラホト(元)では砂漠化が進んでいた そこへ明が黒河の水をせき止めたため深刻な水不足に陥り 結果 カラホトは滅びた14世紀末

15世紀

15世紀初頭 明代 九塞溝から約100キロのところに松藩という町が築かれる

 当時 松藩は明とチベット王国の国境の町であった 漢民族とチベット民族の不仲はそのころから始まったとされる

松藩には今も昔も多くのチベット人が暮らしている

松藩2
松藩 

(15世紀)交通手段は陸路から海上輸送へと変わっていった そしてシルクロードの時代も終わった

15世紀 明の第3代皇帝 永楽帝が明の都を南京から北京へと移した

もともとは宮廷料理の一種であった北京ダックもそのころ初めて作られた

1403年

ブルネイは中国との貿易を行うため明の永楽帝に貢物を送る

1408年

 中国を出た明の鄭和は最初の停泊地 南ベトナムのチャンパ王国に到着する その後 インドネシア スラバヤへ向かう

1409年

明の十三凌(北京郊外) 明代の十三代皇帝のお墓 中には自らの人生を自らのは墓作りの為だけに費やした皇帝もいた

明の十三陵2

1411年

北ベトナムで起こった陳朝と胡朝の内乱に明が介入 そのとき明は多くの中国文化をベトナムに輸出した

その後 北ベトナムは20年間 明の支配下に置かれる

15世紀初頭(1414年) 永楽帝(明3代皇帝)が道教の聖地 武当山(湖南省)に城(寺)を建設

永楽帝
武当山(道教の名山 2000年の歴史)

15世紀 カシュガル(ウイグル)のあたりは西から来たティムール帝国(首都ウズベキスタンサマルカンド)に支配される 

ティムールの銅像

1426年

北ベトナムは明の支配から脱却

1449年

 土本の変 モンゴル高原とウイグルから中央アジアまでを統治するオイラトが明を攻撃する

明の8代皇帝は自ら戦場に出向き捕虜となる前代未聞の事件が発生する

この戦いはオイラト(モンゴル)の勝利 明は占領こそされなかった物の以後100年間 遊牧民に たびたび攻撃をうける事となる

明朝は陸からはモンゴル遊牧民 海からは倭寇(日本の海賊)に攻めれれる事となる

倭寇

<目次>
1 紀元前(秦の始皇帝他)
2 1~5世紀(三国志や北魏の時代)
3 6世紀と7世紀(唐のシルクロード時代)
4 8~12世紀(唐や吐蕃の全盛期)
5 13~15世紀(モンゴル帝国時代)
6 16~18世紀(明や清の時代)
7 19世紀(欧米列強に圧迫を受ける苦難の時代)
8 20世紀(前半)辛亥革命と王朝崩壊
9 20世紀(後半)~現代 中華人民共和国