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陝西省

ーーー西安
漢(紀元前206年 — 220年) 隋(581年 – 618年) 唐(618年 – 907年) の間 1000年以上 都だった

もっとも繁栄した唐のころには東西9.7×8.7キロの市街地が碁盤の目のように隔離され

人口は100万を超えていた 現在の西安の人口は600~800万 

<城壁>
 旧市街を取り囲むように気づかれた城壁は周囲12キロ 城壁の高さは12メートル

今残っているものは明代(1368年 – 1644年)の物

西安 城壁

(鐘楼)

明の時代に建てられた鐘楼

毎朝6時になると今でも昔と変わらない金内の儀式が行われる

鐘楼
鐘楼 鐘付きの儀式

<秦の始皇帝時代>

黄河の中流 中原 中国古代文明の中心

高土高原の東 春秋戦国時代(周王朝後期 紀元前3世紀 日本では弥生時代) 都があったところ

その後 約2300年前 秦の始皇帝が誕生する 小高い丘には始皇帝陵がある

始皇帝はインフラ設備を行った 始皇帝は紀元前210年 48歳で亡くなった

 しかし巨大な工事を強引に進めたため秦はわずか14年で滅びてしまう

秦の始皇帝

(兵馬俑博物館)
発掘されたものだけで1万点以上 完全に発掘されるまではあと100年はかかると言われている

土を焼いて作られた兵士の等身大の人形 一つ一つ目鼻立ちと表情が違う

秦は圧倒的な軍事力を持っていた 

兵馬俑博物館
兵馬俑 (4)
兵馬俑 (2)
兵馬俑 (3)
兵馬俑 (1)

<漢代>

その後 数々の豪族が現れる その中から項羽と劉邦が出てきて

項羽

劉邦が勝利する そして漢王朝が成立する

紀元前156年 漢王朝 第7代皇帝 武帝のころ 西域まで戦を広げた 

茂陵の墓

茂陵
武帝

全区の税金の3分の一がこの工事に使われた

霍 去病(かく きょへい)は武帝(7代皇帝)の兵の中で最も活躍した人物

特に北方の匈奴(きょうど=モンゴルの遊牧騎馬民族)との戦いで活躍した

しかし24歳で急死

甘粛省酒泉市に霍去病の像がある

霍 去病の墓も残っている

霍 去病の墓
 

馬踏匈奴像(ばとうきょうどぞう)が匈奴を踏みつけている様子が彫られた石像

馬踏匈奴像(ばとうきょうどぞう)

石には漢が匈奴に勝つ様子の彫刻が彫られている

石には漢が匈奴に勝つ様子の彫刻が彫られている (1)
石には漢が匈奴に勝つ様子の彫刻が彫られている (2)

(陝西歴史博物館) 唐の時代の建築を模して造られた

陝西歴史博物館

<唐三彩> 馬型や人形の陶器

ラクダやペルシャ商人の人形 当時の屋台料理の半分はペルシャ(現イラン)料理だった

唐三彩 (1)
唐三彩 (2)

(興教寺こうきょうじ)玄奘三蔵=三蔵法師の寺

三蔵は27歳の時インドから経典を持ち帰った偉いお坊さん

西安に戻ってきたときには43歳になっていた

帰国後 亡くなるまでの20年間 三蔵は翻訳作業を行った 死の直前まで行われていた

 三蔵はのちに西遊記(16世紀、明の時代に書かれた怪奇小説)の話の題材として使われた

仏教は後漢時代<紀元前後(インドでブッタが悟りを開いてから約480年後)>中国人に伝わったとされる

それから600年後(唐の時代 三蔵のころ)中国全土に広がる

興教寺

(唐三蔵塔)玄奘三蔵のお墓 古いレンガで出来た砂色の五重塔

唐三蔵塔 (1)
唐三蔵塔 (2)

(慈恩寺じおんじ=大雁塔だいがんとう)

大雁塔 (1)

唐の第3代皇帝<高宗>が建てたもの 外壁が厚いため防衛と経典の保管に役立った

中には三蔵がインドから持ち帰った経典の一部が保存されている

大慈恩寺

(小雁塔しょうがんとう)

こちらもインドからの経典を持ち帰ったものを保管する建物

もともとは15層で45メートルあったが地震や戦火で崩れてしまった

今は13層で40メートル弱となっている

中の巨大な釣り鐘は宋の時代に作られたもの 昔は毎晩この鐘が鳴り響いていた

小雁塔

(碑林博物館)
昔は大事なことは石碑に刻んで残した キリスト教に関する石碑も残っている

碑林

(青龍寺)日本からの留学僧が5人過ごした寺

空海もその中の一人 境内には日本人が植えた桜並木が続いている

(乾陵けんりょう)唐の第3代皇帝 高宗と女帝の則天武后の墓

自然の地形を生かした丘に作られた墓

参道には高さ5~6メートルの石像がいくつか立っている

乾陵けんりょう (1)
乾陵けんりょう (2)
乾陵けんりょう (3)

翼を持った馬ペガサスの石像も 清の時代(1644~1912年) 農民たちの反乱により61体の石像の首がはねられた

乾陵けんりょう  農民の反乱により首を跳ねられた石像

(述聖碑)
   
第3代の高宗の頃 唐は栄えていた

高宗が残した石碑がある ただ風雨にさらされ消えかかっている

一方 則天武后の石碑は書くものが多すぎたという理由で何も刻まなかった

のちにほかの人が刻んだ文字が残っている

2羽の鳥が向かい合っている壁画はペルシャが起源とされている

女官たちが書いた壁画 唐の時代のもの

奈良の宝塚古墳と類似性がある 

述聖碑
述聖碑2

(永泰公主えいたいこうしゅ、685~701年)の墓

地下に通路と壁画が残っている

(永泰公主えいたいこうしゅ、の墓 内部 (1)
(永泰公主えいたいこうしゅ、の墓 内部 (2)
(永泰公主えいたいこうしゅ、の墓 内部 (3)
(永泰公主えいたいこうしゅの墓

(華清池)

唐は第6代 玄宗(712~756年) のころよりいっそう栄えた

さらに美人の妃(きさき)楊貴妃が登場する

楊貴妃の石像

華清池は玄宗と楊貴妃が生前 過ごした温泉所

華清池

(興慶宮公園)
園内には玄宗と楊貴妃が共に過ごした<沈香亭>も残っている

興慶宮跡
興慶宮公園
沈香亭

玄宗のころ絶頂期を迎えるが やがて世の中は乱れ唐も衰退していく

玄宗は権力と富を一族だけに与えたため 部下の反乱が相次いだ

やがて玄宗と楊貴妃は都を追われることになる

西安から50キロ離れたところに玄宗とその一族は逃れた

しかし警護をしていた兵士にまでそっぽを向かれてしまう

楊貴妃は逃亡先で亡くなる 玄宗は楊貴妃の死の翌年 馬かいに墓を作った 
 

馬かい

墓は当初 土を持っただけの墓だったが その土は美人になる土として多くの人に持ち帰られてしまう

やむなく 煉瓦作りの墓へと変えられた そして丸いおわん型の墓となった

楊貴妃の墓
楊貴妃の墓2 (2)
楊貴妃の墓2 (1)
 


甘粛省

ーーーー蘭州

河西回廊は漢王朝の支配下にはいる

(甘粛省博物館)

漢から唐にかけての出土品 墓から出土

後漢時代の馬の行進(25~ 220年)馬踏飛燕像

甘粛省博物館
馬踏飛燕像 匈奴の騎馬軍 (1)
馬踏飛燕像 匈奴の騎馬軍 (2)
馬踏飛燕像 匈奴の騎馬軍 (2)
馬踏飛燕像 匈奴の騎馬軍 (4)
馬踏飛燕像 匈奴の騎馬軍 (5)
馬踏飛燕像 匈奴の騎馬軍 (6)

秦の始皇帝時代 匈奴(きょうどモンゴル系遊牧騎馬民族)が大きな勢力を持っていた

(五泉山公園)

五泉山公2
五泉山公園

(五泉山)5つの湧き水からなる 戦の途中の水不足に役立った

<恵泉>は今でも水が湧き出す

黄河の川岸にはイスラム教モスクも目に付く

恵泉 (1)
恵泉 (2)

ーーーーー甘粛省嘉峪関市
(嘉峪関城)1372年 明の時代に建設された 高さ10メートル 長さ733メートルの煉瓦作りの城壁

嘉峪関場

当時 中には300人ほど暮らしていた 兵士たちのために京劇も行われていた

西からの旅人がラクダから馬に乗り換え(砂漠から街への移動)

逆に東からの旅人は馬からラクダに乗り換えた(街から砂漠への移動)

砂漠のラクダたち
 

嘉峪関の向こうには 長城の西の果ての崖がある 

明の時代まで 崖の向こうは漢民族の支配が及ばない遊牧民の地だった

昔 煙を炊いて敵の侵入をいち早く遠くまで知らせた のろし台 今は自然と同化している

万里の長城 西の果て (4)
万里の長城 西の果て (1)
万里の長城 西の果て (2)
万里の長城 西の果て (3)

ーーーーーー敦煌

鳴沙山(めいさざん)40×20キロの砂漠

砂の音が泣いているように聞こえるためその名がついた

一説には突然砂嵐に襲われた軍勢が全滅し砂の中で太鼓の音が響いているように聞こえたのでその名がついた

鳴沙山

(莫高窟)
北大仏殿

2500の石像や壁画が収められている

北大仏殿

4世紀の半ば(日本は古墳時代) 一人の僧が この地に金色に輝く光を見て 崖の中腹に石窟を掘りだしたのが始まり

砂漠の大画廊 時に千仏洞とも言われる

明の後 一時 歴史から幕を引く 石窟は その後 数百年間 人々から忘れられる存在になる

1900年5月 歴史に残る重大な発見をする 

ある日 一人の男がたばこの煙が岩壁に すっと吸い込まれていったのに気付いた

壁をはがすと石窟が見つかった さらに奥の壁には密室があり経典や書物が4万点も見つかった

一般観光者も内部の見学は可能だが中は薄暗く撮影は禁止されている

さらに石窟の多くの扉は鍵が掛けられ閉まっている 立ち入り禁止となっている

月牙泉 (1)
月牙泉 (2)


青海省

(日月山の峠)

唐の皇女 文成公主(チベット人に人気のヒロイン) 吐蕃(とばん=チベット)のソンツェン・ガンポ王に嫁ぐ前の日のこと

文成公主は日月山の峠に立ち 二度と戻ることのない故郷を眺めた さめざめと涙を流した

当時 吐蕃は地の果てとされていた 草原の中に文成公主を祀る建物が立っている

のちに文成公主は無謀人となるが その後 唐とチベットの文化交流に努めた

チベット仏教でも文成公主は聖人としてたたえられている

日月山の峠

(タール寺)
敷地内には寺院や塔が1000以上 6大仏教の一つ

タール寺 (1)
タール寺 (2)
タール寺 (3)
タール寺 (4)
タール寺 (5)

寺院内にあるマニ車を一回まわすとお経を一回上げた効果が得られる

文字が読めない人に大変役立っている

内部には豪華絢爛(ごうかけんらん)に刺繍が施されている

タール寺 内部の刺繍が施された大広間 (1)
タール寺内のマニ車
タール寺 内部の刺繍が施された大広間 (2)

<ツォンカパの黄金像>
ツォンカパはチベットの創始者

ツォンカバ

<目次>
1西安(陝西省) 
2崋山(陝西省)
3基本情報(寧夏回族)  
4銀川(寧夏回族)
5中衛 トングリー砂漠(寧夏回族)
6敦煌(甘粛省)    
7張掖 丹霞地質公園(甘粛省)
8嘉峪関 酒泉(甘粛省)
9楡林窟 鎖陽故城(甘粛省)
10天水 麦積山石窟(甘粛省)
11武威 天梯山石窟(甘粛省)
12炳霊寺石窟(甘粛省)
13夏河チベット自治州(甘粛省)
14蘭州(甘粛省)
15甘粛省(そのほかの名所)
16青蔵チベット鉄道(青海省)
17西寧 タール寺(青海省)
18青海湖(青海省)
19都蘭 同仁(青海省)
20青海省の その他の名所
21陝西、甘粛省、青海省の追加情報!