テスト

 

岷江(成都から約75キロ)

橋が少なくロープで川を渡る人を見かける 豆腐の町

ロープで怒江を渡る
ロープで川を渡る

都江堰が出来きる前までは岷江(みんこう=長江の支流)の反乱で大きな被害を受けていた

そこで岷江の流れを2つに分ける大きな工事が行われた 流れのはやい水を長江へ遅い水を盆地へ流した

(先人からの知恵)堤防を高くするより川底を深く掘れ  諸葛孔明も都江堰の復興工事に携わった 

岷江(みんこう)

 

都江堰とこうえん

 紀元前3世紀(ー248年)に完成した人口の水路 工事期間は8年間 

岩を熱し 冷やすことで亀裂が生まれそこから岩を砕いていった 竹かごに小石を詰めて川に投げた今でも同じ方法が使われている 

都江堰の完成により農作物がよく育つようになった 秦の統一に大いに役立った 

都江堰が出来る前までは時々洪水が起こった  また町では慢性的な水不足に見舞われた 

2200年前 都江堰が完成し成都平原は一大穀倉地帯へと変貌を遂げた 長城に匹敵する大工事だった 

 その都江堰は今でもその役割を果たしている 

成都平原
都江堰 紀元前3世紀(ー248年) 秦
都江堰
都江堰

 

 伏龍観 

都江堰を見下ろす高台に建つお寺のような建物

道士の7割が女性で酒もやらず結婚もしない 肉や魚も食べない 日々太極拳で修行する

伏龍観
伏龍観 (1)
伏龍観 (2)
伏龍観  李冰(り ひょう)の像

 

( 李冰りひょうの石像)

世紀の灌漑工事を成し遂げた親子の像が展示してある

父親が李冰(り ひょう)の石像はガラスケースの中に入って展示されている

1970年代 川底を掘っていたら高さ3メートル重さ5トンの古い石像が出てきた 

ー168年 李冰りひょう(紀元前3世紀 都江堰を作った人物)の石碑 

背の高い石碑は当初 水量を図るために建てられていた(メモリ替わり) うつぶせになって埋まっていたため保存状態がよかった

都江堰は李冰親子が作った 近くからは 頭のかけた りひょうの息子の石像も出てきた 都江堰近くには李冰親子の大きな像がたっている 

石碑は息子以外にもう一体見つかっている 首が掛けてしまった石像は息子の李二郎

李冰親子の像

 

青城山(世界遺産)道教寺院 

青城山 道教
青城山 8世紀 唐

青城山 前山景区

青城山 前山景区

青城山 后山景区

青城山 后山景区2

 

道観 

道観

 

天師洞 

 

天師殿

 

 張陵(人 2世紀)

芭石鉄道(始発駅 石渓 蜜蜂岩駅 成都から180キロ)

四川南部は冬でも10度と温暖蒸気機関車 1日4往復 時速30キロ 鉄道しか道がない
 
1日4往復 700人が利用 1往復2時間 朝7時から夕方5時まで 人以外に野菜や家畜または郵便物が運ばれる  

毎日1トン分の石炭を小さなシャベルを使って継ぎ足す 線路は一車線しかなく狭いスペースをうまく利用して方向転換する

カーブが多いためSL本体が小さい 蒸気機関車は停車駅で燃えカスの石炭を捨てていく

 すると人々が集まりまだ燃えている石炭を家でストーブの燃料利するため拾って帰る 

1960~70年ごろ蒸気機関車の製造は廃止になったが修理工場は今でも稼働している 

芭石鉄道 20世紀 中華民国
芭石鉄道 石渓

芭石鉄道 市場

毎月1 4 7のつく日は石渓鎮で市場が開かれるため乗客が多い  北川 綿陽 四川大震災の被災地

豆沙関(四川省との省境)

天空の棺 崖の上の棺は長江沿いの9つの詔で確認されている 上流部で最も多く発見されている

秦の始皇帝時代の関所が残る 昔 漢民族の支配が及ばなかった

龍瑪村(場所不明) 

1958年 村人の頭上から棺と一緒に人骨と指輪が落ちてきた 1300年前の唐の時代の物だった

豆沙 周辺の村から多くの人が集まる 病院が少ないので漢方薬がよくつかわれる

犍為県羅城古鎮

<目次>
1成都の町 
2成都(三国志に関する名所)
3都江堰と青山城と蒸気機関車
4楽山大仏と峨眉山
5大足石窟と武隆
6重慶(四川火鍋)
7長江 三峡
8九塞溝と黄龍
9松藩と黄龍中寺
10四川省のチベット文化圏
11雪山の景色とパンダ