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アンカラ(トルコ中部)

トルコの首都 人口 約500万 イスタンブールに次ぐ トルコ第2の都市
(人口も2番目に多い)

アンカラはトルコのほぼ中央に位置する

町は共和国誕生以降に造られた新市街地と遺跡などが残る旧市街とに分かれる。

2009年には高速鉄道が開通しイスタンブールから3時間で移動できるようになった。

アタチュルクは建国の際 あえて伝統のあるイスタンブールを離れ人口たった3万のアンカラを首都に選んだ(1923年には6万 現在の人口は442~500万人)

町の起源は古く新石器時代 遊牧民が ここに定住したことに始まる。

ローマ時代にはアンキラと呼ばれていた。アンキュラとは谷底を意味し昔から地下水が豊富であった事がわかる

シルクロードの時代には交易の町として発展した。主に羊やヤギの取引が行われていた。

オスマン時代にはアンゴラと呼ばれ

1402年には この近くでオスマン軍とティムール軍の戦闘 アンカラの戦い が行われオスマン軍が敗北した。

今でもアンカラには羊毛問屋が多い

アンゴラ産の柔らかな羽毛は有名でアンブレア地方の特産でもある

ローマの大浴場(アンカラ)

アタチュルクの騎馬像

アタチュルクの騎馬像 (2)
アタチュルクの騎馬像

アンカラ城 ankara kalesi

7世紀 ビザンツ帝国統治時代 オスマンの侵攻に備え建てられたお城

もともとほかの遺跡を解体して作られた城

その後 オスマン時代まで使用されていた

城壁の裏には今も人が住んでいる

アンカラ城
アンカラ城 夜景
アンカラ城 ankara kalesi

アナトリア博物館(アンカラ)

ヒッタイト博物館とも言われヒッタイト帝国時代の石像展示している

ヒッタイト帝国時代の石像展示(アンカラ)
ヒッタイト帝国時代の石像展示(アンカラ) (4)
ヒッタイト帝国時代の石像展示(アンカラ) (3)
ヒッタイト帝国時代の石像展示(アンカラ) (2)

紀元前15世紀(又は紀元前17世紀) トルコ(アナトリア平原)にヒッタイト帝国が君臨していた。 ほかの文明が青銅しか作れなかった時代 ヒッタイトは世界で初めて鉄器を使用していた。

丸い輪のようなものがヒッタイト帝国を現すマークとなる

ヒッタイト帝国を現すマーク
ヒッタイト帝国を現すマーク(アンカラ)

鹿の角で天空を支える様子を表している

紀元前1200年 ヒッタイトは消滅した。

館内にはヒッタイト時代の母神像や人とライオンの頭を持つスフィンクス キベレ女神像 を展示している

人とライオンの頭を持つスフィンクス
母神像

ハットゥシャ遺跡(紀元前17世紀 築)の王の門(本物)が展示されている。

アナトリア博物館(アンカラ)2
アナトリア博物館(アンカラ)

アタチュルク独立戦争博物館(アンカラ)

トルコ共和国建国の父 アタチュルクが生前 愛用していた杖を展示

複数の杖の中には拳銃が取り付けられた杖もあった。

アタチュルク独立戦争博物館
アタチュルク独立戦争博物館(アンカラ)

アタチュルクの霊廟 アタチュルク廟 anikabir(アンカラ)

1944~1953年にかけて作られた独立戦争博物館の敷地内に霊廟はある

丘の上からはアンカラ市内を一望できる

アタチュルク
アタチュルク霊廟
アタチュルク廟
アタチュルクが眠る棺(アタチュルク霊廟)
アタチュルク独立戦争博物館(霊廟)

旧国会議事堂(アンカラ)

1960年まで国会として使われていた。今は共和国博物館として使用されている。

旧国会議事堂(アンカラ)

コジャテペジャーミィ(アンカラ)

一度の1万5千人を収容できる世界最大のモスク

大きさは縦横それぞれ56.3メートル 高さは44.3メートルある

屋外の広さを含めれば2万4千人収容可能

コジャテペジャーミィ(アンカラ)内部 (2)
コジャテペジャーミィ(アンカラ)天井
コジャテペジャーミィ(アンカラ)照明
コジャテペジャーミィ(アンカラ) (2)

ローマ時代の公衆浴場跡(アンカラ)

紀元前2世紀この地に勢力をもばしてきたローマ帝国によって築かれた大浴場跡

サウナなど4つの浴室に一つのプールが完備されていた。

そこではエジプト19王朝 ラミセス2世のお守りも発掘されている

ローマ時代の公衆浴場跡

アンカラ駅

中に鉄道博物館が入っている

アタチェルク専用のバスタブ付きの豪華車両を展示

アタチュルク専用車両
アタチュルク専用車両内
バスタブ付き豪華車両

ギリシャトルコ戦争時の指令室(アタチュルクの住居)

アタチュルクの住居の中に指令室が置かれた。

アタチュルクはその中で暮らしていた。

ギリシャトルコ戦争の時 アタチュルクが暮らした住居

鉄道の野外博物館(アンカラ) 

1930年代製造のアメリカやドイツ製の車両を展示

鉄道の野外博物館(アンカラ)

アンカラ旧市街

オスマントルコ時代のアナトリア伝統料理を提供するレストラン

豚肉を使用しない代わりに羊肉が多く出される

アンカラ旧市街

アナトリア文明博物館 anadolu medeniyetleri muzesi(アンカラ)

アナトリア文明博物館 anadolu medeniyetleri muzesi

アナトリア文明博物館にはチャタルホユック遺跡の家の中を復元した模型が展示されている

チャタルホユック遺跡の復元模型

新石器時代 チャタルホユック遺跡に暮らしていた人々が行っていた狩りの様子の絵などを展示している

紀元前9000年ごろの土器の発明に関する展示

紀元前3000年~紀元前2000年ごろになると青銅器が作られ始める

その時代に造られた青銅器を展示している

アッシリア時代の土器やヒッタイト時代の武器を展示している

ヒッタイトを倒した海洋民族 フリュギア王国に関する品々を展示

ゴルディオン gordion(アンカラ郊外)

紀元前750年 ヒッタイト帝国滅亡後 フィリギア人はゴルディオンに都を置いた。

広大な住居跡遺跡ほか 周辺の丘には数多くの王墓がある

ユリアヌスの柱 julian sutunu

362年 ローマ皇帝 ユリアヌスがアンカラを訪れた記念として建てられた 高さ15メートルの柱 

もともとはアタチュルク像の建つウルス広場に建てられていたものを移築したもの

ユリアヌスの柱 julian sutunu

カマン カレホユック kaman kalehoyuk

日本の発掘隊によって発見された青銅に関する遺跡

カマン カレホユック kaman kalehoyuk

ダーウトオウラン野鳥保護区

クズテペスィ kiz tepesi

青と赤の2色に色分けされた山

クズテペスィ kiz tepesi

ズィガ温泉(トルコ中部)

渓谷に滝のようにしぶきを上げ噴き出している温泉がある

谷のいたるところから温泉が しぶきを上げ湧き出している

ズィガ温泉

アナトリア高原

草原にはキャラバンサライの跡が残っている

キャラバンサライは馬やヒツジをつなぎ留め人々が宿泊する施設だった さらに食べ物は無料でふるまわれていた。

人々がラクダに乗って進める距離は一日30キロであった

そのためキャラバンサライも30キロおきに造られた

アナトリア高原

イサク パシャ宮殿 ishak pasa sarayi(ドウバヤズット)

17世紀 キャバンから多額の通行税を取り巨万の富を得ていたイサップ王 

ローマやアルメニア様式で王の宮殿が建てられた

宮殿にはモスクやハーレムなど360の施設が作られた。

窓からはアナトリア高原の素晴らしい景色が望めた。

1784年 99年かけて建造された宮殿が完成 宮殿は山の中腹にある 

イサク パシャ宮殿 (3)
イサク パシャ宮殿
イサク パシャ宮殿 (2)

オルタヒサール Ortahisar(トルコ中央)(トラブゾン)

奇岩の上から見下ろした景色が美しい

10世紀にはビザンチン様式の教会が400か所も建てられていた。

壁面には鮮やかなフレスコ画が描かれていた。

場所によっては馬車が唯一の交通手段のところもある

オルタヒサールの馬車
ビザンツ時代に描かれたフレスコ画(オルタヒサール)

トゥズ湖(塩湖)トルコ中央

湖が乾燥するとトルコで2番目に大きい塩山ができる

トルコ国内の塩をまかなっている

普段は真っ白にひえあがっているが雨季になると水が溜まり鏡のように輝く湖となる

この辺りはかつてシルクロードが通っており今も当時の建物の遺跡が残っている

トゥズ湖 (2)
トゥズ湖
トゥズ湖2
トゥズ湖1
トゥズ湖(塩湖)


<目次>
1カッパドキア1(奇岩群+渓谷&女性ミイラ)
2カッパドキア2(地下都市&住居ホテル+陶器)
3カッパドキア3(岩窟教会+壁画&鳩の飼育)
4カッパドキア4(地下ワイナリー&カイセリ+エルジェス山)
5アンカラ(アナトリア高原 トゥズ湖)
6コンヤ(チャタルホユック遺跡)
7アララト山とクルド人問題
8ネムルト山と周辺の遺跡(トルコ東部)
9トラブゾン(スメラ修道院)ボアズカレとエディルネ
10サクランボル(北)とニクサル(東)
11トルコ南部の名所(クズカレスィ カシュ タシュカレ)