テスト

19世紀頃 ボルネオ島の大部分はブルネイ王国の一部でした。しかしこの辺りの統治は非常に困難でした。なぜならあの首狩りで有名なイバン族がいたからです。

そのときブルネイ王国が部族の鎮圧を依頼したのはイギリス人の探検家ジェームスブルックでした。

ブルネイ王国
イギリス人探検家 ジェームスブルック

ブルックはイギリス本国の協力を得て話し合いだけで部族の鎮圧に乗り出します。そして見事に鎮圧に成功します。

ブルックはブルネイ国王からその功績を認められクチン(サラワク州)の統治権を任されることになります。ボルネオ島に初めての白人王が誕生します。

探検家から国王に大出世したブルックですが学生時代は学校や宿舎から何度も脱走する問題児だったそうです。

初代白人王となったブルックはヨーロッパの文化を取り入れながらも土着の文化も守っていったそうです。

クチン市内にあるサラワク博物館にはブルックが集めた見事な彫刻のコレクションが展示されています。 

サラワク博物館 19世紀 サラワク王国(イギリス人が起こした王国)

それらの彫刻は原住民が彫り上げた物で祖先の霊を祀るための物だそうです。
 
そして市内を流れるクチン川の向こうにはアスタナと言う かつて王宮だった建物が残っています。

その王宮は1870年 2代目白人王が妻のために建てた建物だそうです。当時 川の向こうには王宮しかなかったため橋は架けられなかったそうです。

アスタナ(王宮跡)
王国時代の建物

そのアスタナ(王宮跡)は現在は州知事が利用しているそうです。

クチン川
サラワク議会
(町の船頭) 仕事は月に7日間のみ 営業は日の出から日没まで

クチンにあるマルゲリータ砦も2代目白人王が海賊の侵入を防ぐために造ったそうです。砦の内部には牢屋があり重犯罪者はそこで首狩り刑を受けていたそうです。

マルゲリータ砦2
マルゲリータ砦

そのため今でも処刑された人たちの幽霊が出るとのうわさがあります。市内にある中央郵便局は3代目国王が建てた建物です。

中央郵便局

残念ながらサラワク王国(白人王国)はわずか3代で崩壊してしまいます。その後 ボルネオ島(北部)はマレーシアとなりました。

<クチンとサラワク王国の歴史について>

<サラワク王国時代に建てられた建物に関するビデオ>

<サラワク王国の2代目王の妻の別荘 アスタナに関するビデオ>

<クチンの要塞造りの刑務所に関するビデオ>

<目次>
1ラフレシアに関する話題
2コタキナバル
3パームオイルに関する話題
4グヌン・ムル国立公園(ミリ)
5クチン猫〃特集〃
6イバン族の伝統文化
7クチン・サラワク王国の白人王
8セメンゴ国立公園と
オラウータンに関する話題(クチン)

9バコ国立公園と
テングザルに関する話題(クチン)