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紀元4世紀 北魏(中国大陸)

炳霊寺石窟(甘粛省) 

〇炳霊寺石窟(へいれいじ 蘭州から約135キロ)黄河上流にある 高さ27メートルの大仏 唐(初期)の時代に造られた
下半身は土 上半身は石 へいれいじ とはチベット語で万仏と言う意味 4世紀から清代まで1400年かけて造られた

全183窟 盗掘や破壊をまぬがれ中には700の仏像が残されている 1600年前に掘られたもの

第169窟 172窟 5世紀 仏座像 6世紀 31窟 唐代 126窟 釈迦仏5~6世紀 庶民的な石仏

※ダムの下にあるため1年に1か月しか見ることができない

炳霊寺石窟(甘粛省)) 北魏
炳霊寺石窟 4~15世紀
炳霊寺石窟2
炳霊寺石窟1
炳霊寺石窟
高さ27メートルの大仏


丁家閘壁画墓(甘粛省)

〇丁家閘壁画墓(壁画とお墓) 地下16メートルに石棺の墓がある 則天武后が描かれた壁画もある

丁家閘壁画墓 4~5世紀 北魏


白馬塔(甘粛省)

〇白馬塔(市街地)チベット風の仏塔

白馬塔 4世紀 北魏

武威 人口5万 唐代の13の寺院


羅什寺塔(甘粛省)

〇羅什寺塔 八角の12層の塔 高さ35メートル 4世紀より前の塔 1927年の地震の後再建 

羅什寺塔 唐の時代 4世紀より古い 北魏


北禅寺(青海省)

北禅寺(青海省) 4~6世紀 北魏
北禅寺2
北禅寺


五台山(山西省)

〇五台山(中国 山西)(5つの峰からなる)チベット仏教 慈覚大使 円仁(日本人) 滋賀県 比叡山延暦寺に影響を与える 竹林寺
①五台山(山西省) ②普陀山(浙江省) ③九華山(安徽省) と並び四大名山(聖山)と言われている

五台山 4~6世紀頃(5つの峰からなる)チベット仏教 慈覚大使 北魏


紀元5世紀 北魏(中国大陸)北部

龍門石窟

秦の後 五胡十六国時代(304~439年)日本は古墳時代のころ 北魏が大同に都をおく そのころ雲崗石窟が作られた

中国3大石窟の一つで53の屈がある 

(龍門石窟)石窟の数は1300個以上 その中に仏像は10万個 

龍門石窟は中国三大石窟の一つ

石窟は北魏が洛陽に都を移して(西暦493年)から宋(960年~)の時代になるまで掘られた

主要な所は5~7世紀(唐)のころ掘られた のちに日本の飛鳥文化に大きな影響を及ぼす

雲崗石窟2
雲崗石窟
龍門石窟 文殊菩薩
龍門石窟 廬舎那仏
龍門石窟 廬舎那仏2
龍門石窟 5世紀北魏
龍門石窟 5世紀北魏

460年 曇曜(どんよう)によって 時の皇帝 文成帝(第4代)に見せて彫られた大仏

文成帝

<廬舎那仏(るしゃなぶつ)>1番のシンボル 高さは15メートル

廬舎那仏

時の皇帝 道武帝がモデルとされている

道武帝1
道武帝


雲岡石窟

(雲崗石窟)

西方ガンダーラ(アフガニスタン)を思わせる仏像もある

ところどころに色のついたところは唐の時代に修復された跡

534年 北魏王朝は河北平原を統一した後 滅びる

その後 随(ずい)と唐と宋と元(モンゴル)のあと漢民族の王朝(明)が誕生する

〇大同(北京から大同へ行く列車の中から見る長城)〇雲岡石窟 北魏(約1500年前) 西洋やインド風の又はギリシャ風のレリーフ 高さ10数メートルの仏塔 

雲岡石窟 5世紀 北魏
雲岡石窟 5世紀 北魏

のちの洛陽に都を移して築かれたのが龍門石窟 九龍壁 


懸けん空寺

〇懸けん空寺(大同の南約80キロ) 1500年前 岸壁に築かれた寺 文化大革命のとき石像の首がはねられるなどの破壊があった

懸けん空寺 5世紀 北魏
懸けん空寺 5世紀 北魏

断崖絶壁に立つ寺 崖に杭を差し込む穴があけられその上に建てられた寺

懸空寺 5世紀末 北魏
懸空寺2


嵩山スーザン 少林寺

登封〇嵩山スーザン 少林寺(洛陽から約60キロ) 毎日の訓練の結果へこんだ石床 〇7世紀 唐の時代に建てられたいくつもの石塔(えらい僧侶の墓)精進料理

寺の中に医学部もある 病人が通う寺〇塔林 少林寺武術館演武庁 会善寺 嵩山寺塔  真不同飯店 宮廷料理 牡丹の花

嵩山 少林寺(477) 5世紀  北魏
少林寺武術館演武庁

(登封) 少林寺があるところとして有名

町中には拳法の道場がある

少林寺はインドから中国に渡来した達磨(だるま=インド人の僧侶)による禅の発祥の地と伝えられている

達磨大使は はるばる南インドからこの地へやって来た

寺院内には達磨大使が9年間 壁に向かって座禅(ざぜん)を組んだとされる<達磨洞だるまどう>もある

達磨洞
インド人僧 達磨(だるま)大使 (2)
インド人僧 達磨(だるま)大使 (1)

そしてその壁を面碧九年と言う ただ 達磨に関しては11世紀に書かれた書物以外は ほとんど知られていない

20世紀にも敦煌で達磨に関する書類が見使ったことにより達磨の実像が明らかとなった

達磨はその後 6世紀に日本へ行き聖徳太子と会い問答をした 

平安末期(12世紀ごろ)日本達磨宗(にほん だるましゅう)(※日本のお坊さんが開いた宗派の一つ)が起こる

唐の時代(618年 – 907年)少林寺で少林寺拳法が始まる

インドからやって来た僧も武術に励む姿が絵として残っている

石床には長年の鍛錬によりくぼんだ跡が残っている


天梯山石窟 

〇天梯山石窟(武威から50キロ 交通機関はなし)湖の近くにある石窟 高さ30メートル幅19メートルの石窟 1600年前の物
釈迦牟尼(しゃかむに)像 石仏の隣には多くの絵画が 敦煌の莫高窟にも強い影響を与えた

天梯山石窟 5世紀北魏
天梯山石窟1
天梯山石窟2
天梯山石窟3
天梯山石窟4


海宝塔(寧夏回族) 

海宝塔(5世紀 匈奴(きょうどモンゴル系の北方騎馬民族の国)が建てた塔

海宝塔 5世紀 北魏
海宝塔

統万城 1500年前 戦いがあった 500メートルの城


統万城 

統万城 5世紀 北魏
統万城


魏晋壁画墓 

〇魏晋壁画墓 1600年以上前の壁画 5世紀より前

魏晋壁画墓 1600年以上前の壁画 5世紀より前 北魏


麦積山石窟 

5~6世紀 北魏 1600年前から清代(約100年前)にかけて造られたもの 
山頂からロープをつるし角材を使った足場造りから始められた 7000体の仏像 石仏15メートル

麦積山石窟 石仏15メートル 5世紀~6世紀 北魏


甘谷大像山 

〇甘谷大像山 高さ23メートルの石像 釈迦牟尼(しゃかむに)像 北魏(1600年前)

甘谷大像山 5世紀 北魏
甘谷大像山 釈迦牟尼2
甘谷大像山 釈迦牟尼


紀元6世紀 北魏(中国大陸)

万寿寺木塔

〇万寿寺木塔 6世紀の木造建築の塔 高さ33メートル 1925年に再建された

万寿寺木塔 6世紀 北魏


馬蹄寺石窟

〇馬蹄寺石窟(張掖から65キロ)元から明にかけて造られた石窟 中はアリの巣のよう

馬蹄寺石窟 6世紀 北魏時代
馬蹄寺石窟2
馬蹄寺石窟