テスト

紀元前10世紀

紀元前10世紀 バングラデッシュ
のあたりにドラヴィダ語を話す民族が定住していた

この地方は昔から洪水が多かったため 歴史的文献が あまり残されていない

またドラヴィダ語は その後 26の言語に分かれ 現在は主に南インドとスリランカで話されている

紀元前7世紀

紀元前 600年ごろ 

約4000年前ロシアからインドへ移り住んだアーリア人は 紀元前600年ごろガンジス川(インド)の中流域で暮らし始める

ガンガー(ガンジス川)
アーリア人

その中の一部がベンガル北西部(バングラデッシュ)で暮らし始める

インドとベンガル地方の地図

紀元前6世紀

紀元前6世紀~紀元前5世紀 北インドからバングラデッシュにかけて十六大国と言う16の小さな王朝(集団)が同時に存在していた 

16のうち①マガダ、②コーサラ、③ヴァンサ、④アヴァンティの4つはのちに大きくなる

ベンガル地方(バングラデッシュを含む)のあたりはインド アーリア人からなるアンガ国の支配地域にあった

この時代の記録は仏典やジャイナ教の聖典によって記録されている

アンガ国は のちにこの地方を支配するマガダ国と長い間 敵対関係にあり争ってきた。

マガダ国の領地

紀元前5世紀

紀元前413年 バングラデッシュからコルカタ(インド)とインド東北地方に十六大国の中からマガダ国が 周辺国を併合し支配地域を広げる 都はインド東北部パトナに置かれた

この時代の記録はバラモン教の文献に残されていた。

マガダという呼び方は当時 対立の厳しかったバラモン教徒が軽蔑(けいべつ)の意を込めて付けた国名

当時インドでは鉄鉱石が作られ始めた

マガダ朝はシシュナーガ朝に滅ぼされたとされている 

シシュナーガ朝に関する記述は神話と伝説が色濃く真実を読み取るのは難しい。

シシュナーガ朝はナンダ朝により滅ぼされる

ナンダ朝の支配地域

紀元前4世紀

紀元前345年 北インド全体とネパールバングラデッシュ全土と今のインドのビハール州都 西ベンガル州を統治するナンダ朝(軍事大国)が成立する 

ナンダ朝は首都をパータニクトラに置く 重さや長さの単位を統一し貨幣経済が発達する さらに旧来の身分制度を撤廃した。ギリシャ人がナンダ朝の記録を残している。

紀元前322年 アレクサンダー大王の死の翌年 インドではマガタ国の中に マウリヤ朝が成立する 

マウリヤ朝は仏教を深く信仰していた。

紀元前317年 ナンダ朝はマウリア朝(インド バングラ ネパール)によって滅ぼされる ナンダ朝の王はマウリア朝によって殺害された

紀元前3世紀

紀元前265年 

マウリヤ朝のアショーカ王がパキスタン アフガニスタン ネパールバングラデッシュ インド全土(南インドの一部の除く)を統一した

マウリア朝 第3代 アショーカ王が仏教を広く広めた 仏教はバングラのベンガルのあたりまで信仰した

また伝説ではアショーカ王は後継者争いで親族99人を殺害したとされている

ガンジス川(インド)沿いを支配下に置た マウリア朝はペルシャ(イラン)が支配するインダス川(パキスタン)まで勢力を伸ばした。

セレウコス・マウリヤ戦争(ギリシャVSインド)が勃発した。勝敗ははっきりわかっていない。

紀元前232年(または紀元前180年) マウリヤ朝のアショーカ王が亡くなり その後 国家は分裂状態となる

バングラデッシュを含むアショーカ王の勢力地図

紀元前2世紀

紀元前180年 マウリヤ朝(インド バングラ ネパール パキスタン アフガニスタン)は王朝内のクーデターにより崩壊する。

マウリア朝の将軍が反旗を翻しマウリア朝の王を倒しシュンガ朝(ネパール バングラを含む東インド)を立ち上げた。

シュンガ朝様式の土器

紀元前1世紀

紀元前68年 シュンガ朝(ネパール バングラを含む東インド)が滅亡する 
シュンガ朝に代わりカーンヴァ朝が誕生する カーンヴァ朝はバラモン教を信仰した。王朝は40年あまりの短期間で滅亡した。

バラモン教世界

4世紀

320年 アフガニスタンとパキスタン  北インド(グジャラート パンガプ)とネパール バングラデッシュの領地を持つグプタ朝が誕生する 都はインド パトナに置かれた 公用語はサンスクリット語 王朝は紀元600年まで続く

宗教はヒンドゥー教を信仰していた

この当時 ベンガルは貿易と農業で栄える 

この地方から グプタ式の仏像彫刻が製造される インドの古典文化が黄金時代を迎えた

またグプタ朝の時代 金貨や銀貨も多く作られた

グプタ朝の領土

6世紀

6世紀初頭 グプタ朝(領土=インド バングラ ネパール)は「白いフン族」と呼ばれた遊牧民エフタル(インド・エフタル)(領土=パキスタン アフガニスタン タジキスタン トルクメニスタン ウズベキスタン)の侵攻を受けるが撃退する

しかし 国力は衰退し北インドは各勢力が独立し分裂状態となる

白いフン族 遊牧騎馬民族

グプタ朝の領土は北ベンガル(バングラ ネパール)と東インド ビハールのみとなる

エフタルの領土

550年 グプタ朝(インド バングラ ネパール)は再びエフタル(パキスタン アフガニスタン タジキスタン トルクメニスタン ウズベキスタン)に侵略され滅亡する

さらにエフタルの部族長は北インドで大規模な仏教弾圧を行った

北インドとネパール バングラデッシュの領土を統治するヴァルダナ朝が誕生する

7世紀

629年~645年 唐の三蔵法師(玄奘)がヴァルダナ朝(北インド)を訪れた

三蔵法師

647年 ヴァルダナ朝(北インド)の王が後継ぎを残さず没すると王朝内で内乱が発生する

内乱の中 唐の使節がヴァルダナ朝に捕らえられる

そこで吐蕃(チベット)とネパールの王朝が8000の兵を出し唐の使節を救出にあたった

ヴァルダナ朝はその後分裂し群雄割拠の時代に突入した。そしてこの地方は無政府状態となる 

637年 シャンシャンカ王が亡くなる その後ベンガルは再び無政府状態へとなる

8世紀

750年 バングラデッシュを含むベンガル地方とビハール地方(インド東北地方)に仏教王国のパーラ朝が誕生する

パハルプール(世界遺産)は この時代に建てられた。

パハルプール

またこの頃 インドではヒンドゥー教が信仰し始める

パーラ朝は同じころインドに誕生した2つのヒンドゥー王国と対立状態となる 

そのパーラ朝はベンガルやビハール(インド)を含むインド亜大陸北部を制圧する

18人の王様がベンガルの黄金期を築き約400年間続く 行政もしっかりし 芸術文化の面でも発展を遂げる

パーラ朝の僧侶がチベット(中国)やジャワ島 スマトラ島(インドネシア)に仏教を広めた

770年 ベンガル(バングラデッシュを含む)地方のパーラ朝とインド中央部のラーシュトラクータ朝がウッタル・プラデーシュ州(ネパールのすぐ下)カナウジ(インド東北部)の領土をめぐって紛争が勃発する

戦いはパール朝が勝利し パール朝は広大な領土と大帝国を築く

しかし その後 パール朝(ベンガル)は インド北西部のヒンドゥー王朝 プラティーハーラ朝(ヒンドゥー教)の攻撃に会い 北インドの派遣はプラティーハーラ朝にとってかわられた

ヴィクラマシーラ大学(寺院)は当時 パーラ朝の王子によって建てられた仏教遺跡

インド ビハール州のナーランダー僧院も同じ

またパーラ朝は東南アジアとも貿易をし仏教を通した交流もあった

8世紀~9世紀 インドネシアのシャイレーンドラ朝はインド東北(ベンガル)地方(バングラデッシュを含む)パーラ王朝(仏教王国)に使節を派遣した。

11世紀

11世紀(1001年~1100年) セーナ朝の王族たちがデカン高原(インド中央部)からベンガル地方(バングラ)へ移住する

1023年 ベンガル地方(バングラデッシュを含む)とビハール地方(インド東北地方)のパーラ朝(仏教)はインド南部(スリランカを含むタミル系ヒンドゥー国家)のチョーラ朝(インド南部の王朝)に敗れる

パーラ朝は その後 ベンガルの領土を失うチャールキヤ朝(インド南西部から中央にかけてのヒンドゥー国家)の攻撃を受け さらに弱体化する

1070年 ベンガル地方にインド中央部に起源をもつ王族からなるセーナ朝(ヒンドゥー)が誕生する

12世紀

1162年 ベンガル地方ではパーラ朝(仏教)は内乱が原因で衰退しセーナ朝(ヒンドゥー)により滅ぼされる

セーナ朝を作った創始者 ビジャヤセーナはバラモン教の協力を得てベンガル全土を支配下に置いた

1178年 セーナ朝(バングラ ベンガル)は東ガンガ朝(東インド)の領土を占領する

1191年 タラーインの戦い ペルシャ(イラン)のゴール朝が北インドを攻めベンガル地方(バングラ)まで侵攻する

13世紀

1202年 ベンガル地方のセーナ朝(ヒンドゥー)はゴール朝(ペルシャ系のイスラム国家)の攻撃を受けベンガルの一部の領土を喪失する

ゴール朝はベンガルを含むインド北部からアフガニスタンまでを統治する大きな国でだった

1203年 ゴール朝(ペルシャ)によってヴィクラマシーラ寺院(バングラデシュ)が破壊せれる その際 多くの僧侶が虐殺された

ヴィクラマシーラ大学
ヴィクラマシーラ大学跡
ヴィクラマシーラ大学のストゥーパ

1206年 インド(バングラ パキスタンを含む)に5つのイスラム王朝からなるデリースルターン朝が誕生する

北インドと北パキスタン バングラデッシュにはデリースルタン朝の一つ インド マムルーク朝(奴隷王朝)が誕生する

インド マムルーク朝(ティルク(トルコ)系 遊牧民族)はエジプト マムルーク朝 同様 奴隷出身者が王様を務める王朝 宗教はイスラム教を信仰していた

1215年 ゴール朝(イラン)は同じイラン系のホラズム シャーの攻撃により滅亡する

イランペルシャのホラズム シャーの領土

1230年 ベンガル地方はイスラム王朝支配のもとベンガル語が発達する ベンガル文字も発達しベンガル歴も作られた 同時期 ベンガルのセーラ朝は滅亡する

ベンガル文字

1290年 インド マムルーク朝(バングラを含む)は滅亡する インドにハルジー朝が誕生する

ハルジー朝の支配地域

14世紀

1342年 バングラデシュ、インド (ビハール州) (ジャールカンド州) (西ベンガル州) (トリプラ州)とミャンマーのラカイン州のあたりにベンガルスルターン王朝が誕生する 

ベンガル地方に初めてインド王朝の属州でないベンガル独自の王朝が誕生した。

ベンガル王国(イスラム王朝)とも言う そのベンガル王国の元で商工業の中心地へと発展しベンガルは南アジアで最も豊かで強い国になった。

またセーナ朝(前王朝)時代に建てられたヒンドゥー寺院はこの時代 ベンガル王国のイスラム教徒によって取り壊された。

取り壊された寺院の石材はモスクの建造に使われた。

ベンガル王国の支配地域

1353年 ベンガル王国はトゥグルク朝に首都パーンドゥアーを攻め落とされる だがその翌年 トゥグルク朝は首都デリーへと引き上げた

トゥグルク朝の支配地域

15世紀

1405年と1407年 ベンガル王国は明(中国)に貢物を送った またベンガル王国はエジプトのマムルーク朝と施設を交換するなど国際的に幅広いしあを持った

1414年 ラージャ ガネーシャ朝が成立する が3代 21年と言う短命で消滅する

1434年 インドのオリッサ州は東ガンガ朝に代わりガジャパティ朝(ヒンドゥー)が誕生する 

1451年 インド北部とベンガル地方に ベンガルスルタンとは別に もうひとつ デリースルターン朝
のひとつローディー朝が誕生する

ローディー朝はデリースルタン朝の中で唯一のアフガン系イスラーム王朝となる 一時 現在の北インド パキスタンとバングラデッシュを占領した。  

1459年 ガジャパティ朝(ヒンドゥー)はベンガルを攻めビルマのアラカン王国のチッタゴンの港まで占領した

(同年)1459年 ベンガル・スルターン朝(ベンガル王国)はバゲルハット(バングラのモスク群 世界遺産)を建造

 バゲルハットのハニハンターが始まる

バゲルハット(南部)小さな地方都市 世界遺産
バゲルハット(南部)

<もくじ>
追加情報 バングラデッシュの歴史1
追加情報 バングラデッシュの歴史2
1バングラデッシュの基本情報
2バングラデッシュの年中行事
3バゲルハット
4ダッカ
5ボグラ モハスタン遺跡 
6コックスバザール海岸とモエナモティ遺跡 
7ラジシャヒ、チッタゴン官区〇船の墓場、ディナジプール、オールドクルーズ 
8 追加 チッタゴン