テスト

明治時代(およそ130年前)山体崩壊により磐梯山のふもとは自然豊かな森から樹木も生えない荒れた土地に変わり果ててしまいました。そんな状況が十数年も続きました。

そんな ある日 のちに裏磐梯の植林の父と呼ばれる遠藤現夢(げんむ)さんが裏磐梯の復興に立ち上がりました。
現夢さんは過去にあの鶴ヶ城(会津若松城)に1000本に及ぶソメイヨシノを植えた経歴を持ってました。さらに現夢さんは今回 自分の資材をなげうってまでの植林活動でした。

そして現夢さんは新潟からアカマツ ウルシ スギの苗木を当時開通したばかりの鉄道で運んで来ました。なんと その本数は9~10万本だったそうです。
さらに鉄道から馬車の乗り換え大きな岩がゴロゴロと転がる荒れ地を超え苗木を現場まで運んでいったそうです。

その光景を目にした地元住民たちも次第に現夢さんの活動に参加するようになっていったそうです。
そしてそれらの苗木には地元住民たちの山体崩壊で亡くなっていった人たちへの追悼の気持ちが込められていました。

もちろんそのとき植林活動に参加した人たちが緑いっぱいの裏磐梯を見る事はありませんでした。が その後 長い年月が経ち裏磐梯の自然は見事な復活を遂げました。
しかも森林だけでなく様々な色をした奇麗な沼の〃おまけ付き〃でした。そして裏磐梯は今ではすっかり福島県を代表する観光名所となりました。

今でも裏磐梯では半分以上崩れた小磐梯(山)や噴火の時に出来た大きな岩など明治の山体崩壊のとき出来た爪痕を見ることがで出来ます。
ただ 128年もたつと地元の人でさえもどうやらあの大災害の事を忘れてしまっているようでした。 

僕はそのことを忘れないためにも遠藤現夢さんの銅像を裏磐梯に建ててもいいと思ってます。もちろん五色沼のように様々な色に変わる銅像ですけど 
ちなみに遠藤現夢さんは今 現夢さんの妻と一緒に裏磐梯の青沼のほとりのお墓に静かに眠っているそうです。

裏磐梯の植林の父でもある遠藤現夢さん
青沼のほとりには遠藤現夢さんのお墓があります。