テスト

今からおよそ130年の明治時代 磐梯山のふもとは深々とした緑の森に幾つもの沢が流れてました。
しかしそこには五色沼もなければ毘沙門沼(びしゃもんぬま)や弁天沼もありませんでいた。それどころかそこに沼は一つも存在していませんでした。

その当時はまだ今の裏磐梯とは全く違う自然の姿をしていました。しかしそのあと磐梯山のふもとの景色をガラリと変える大惨事が発生するのでした。

そんなある日 磐梯山のふもとでは地震でもないのにゴトゴトと地響きが発生してました。
そして次の瞬間〃ドカーーン〃と言う爆音とともに空からダンプカーをひっくり返したかのような大量の土が降ってきました。

その空から降ってきた土は積りに積もってその高さは なんと100~150メートルにもなったそうです。
そして磐梯山のふもと一帯の景色は全て土だけの世界となってしまいました。さらに遠くに見えるのは なんと山が半分以上 吹っ飛んだ磐梯山(小磐梯)の姿でした。

それは なんとも恐ろしや火山噴火による山体崩壊でした。そのとき山の中にあった地下水(溜まり)がマグマの熱で沸騰し膨張して爆発したとされています。
そのとき水蒸気爆発により なんと東京のスカイツリーに匹敵する高さ(約600メートル)の山が一気に崩壊したそうです。

さらに土砂が山のふもとに到着するまでにかっかた時間はわずか10分ほどだったそうです。そして土砂はいくつもの村を飲み込み犠牲者は500人余りになりました。
裏磐梯から9キロ先まで続く平坦な地形はすべてそのときの山体崩壊により出来たそうです。

その大惨事は記録が残っている限りでは日本国内で最も大きな火山噴火とされてます。

1888年に吹っ飛んだ山の様子が今でも残ってます。(磐梯山)

ーーーこのあと明治時代に行われた大規模な植林活動についてです。

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