テスト

1966年

日本の人口が1億を突破した 約10年前に始まった高度経済成長は続き いざなぎ景気と呼ばれた 景気が過熱する一方で公害問題も発生した

高度経済成長 いざなぎ景気

1966年

  

1966年 マカオで一二・三事件が発生する

事件はマカオ在住の中国共産党支持者とマカオを統治するポルトガル人との間で起きた衝突が事の発端となった

中国の軍事介入を恐れたポルトガルが屈服する形で事態は収拾した。

以降 マカオは表向きにはポルトガル統治だが 実際は中国共産党の影響下に置かれる事となる それまでマカオで活動してきた台湾のスパイ組織が撤退させられた 

一二・三事件
一二・三事件前のセナド広場
セナド広場の銅像は一二・三事件の後 撤去された

1967年

 中国四川省で森林伐採をしていたところ たまたま九塞溝が発見される 九塞溝が人々に知られ有名になるのは発見の20~30年後となる

九塞溝 紅葉

1968年

    

日本の国内総生産(GDP)は西ドイツを抜き世界第2位になる※1位はアメリカ※

(同年) 東京都 小笠原諸島がアメリカから返還される

小笠原諸島

1968年 

  

パクチョンヒ暗殺未遂事件が発生する 韓国軍の軍服を着た北朝鮮兵が韓国大統領官邸前に来た

そこで北朝鮮軍と韓国警察部隊との間で大銃撃戦が繰り広げられる

韓国大統領官邸
パクチョンヒ暗殺未遂事件 現場

1968年

 

 テト攻勢(ベトナムの正月) ちょうど人々が気を許していたところに北ベトナム(ベトミン軍)と南ベトナム反米組織(ベトコン軍)が合流し 南ベトナム政府(アメリカの傀儡国家)に一斉攻撃を仕掛けた フエでは解放戦線によって多くの南ベトナム政府関係者が射殺された またフエの町も壊滅的な被害を受けた。

テト攻勢

サイゴン(南ベトナム)にあったアメリカ大使館も南北ベトナム連合軍(ベトミン&ベトコン)により包囲される その様子がアメリカのテレビで放送されアメリカ国内では一気に反戦ムードが広がる

アメリカ軍の死者は1536人に対しベトナム軍(解放戦線+反政府軍)の死者は3万人だった 北ベトナムと南ベトナム反政府軍は6万人の兵士が動員されその半数が犠牲となった

この攻撃はアメリカ世論を大きく動かしアメリカがベトナムから撤退する きっかけを作った

またテト攻勢に おいては南ベトナム解放戦線の知識人(反共産党の人もいた)が多く犠牲者となった 南ベトナム解放戦線は壊滅状態となり 結果 北ベトナム共産党にとっては戦後(南北統一後 反共産党思想の人がいなくなったため)の国作りがやりやすくなった

1969年

1969年  忠烈(台湾 台北) 国民党が建てた戦死者を祀る祠 日本統治時代 大きな神社が建てられていたが 台湾建国後に その神社を取り壊して建てられた

忠烈祠0

1969年

1969年 瀋陽 中山広場 毛沢東像  日本統治時代には同じところに日露戦争戦勝記念碑が建っていた

毛沢東の銅像

1969年 

9月2日ベトナムの独立記念日(第2次大戦後)と同じ日 ベトナム人にとって偉大な革命家ホーチミンが心臓発作の為 79歳で亡くなる

 ホーチミンの葬儀
ホーチミンの葬儀の様子

1970年

 

日本赤軍(日本のテロ組織)による よど号ハイジャック事件発生 

犯人たちはハイジャックした飛行機に乗り北朝鮮へと亡命した 現在も隔離された場所に一軒家が与えられ北朝鮮政府の支援のもと割といい生活をしている

よど号ハイジャック事件

1970年

 

コザ暴動が発生しアメリカ軍と沖縄住民が直接衝突した

さらに沖縄では米軍基地撤去を訴えたストライキが発生した。戦後最大の10万人以上が参加した。

日本の国会では沖縄の米軍基地の問題には何も触れないまま沖縄返還の強行採決が行われた

コザ暴動

1970年

1970年 フィリピン ミンダナオ島でモロ解放戦線が反政府活動を開始する。

モロ解放戦線

1970年

  

 アメリカはカンボジアのシアヌーク政権がアメリカに協力的ではないとみて政権転覆を狙った。

アメリカは自国のスパイ組織CIAを使いシアヌーク(カンボジア)のモスクワ外遊中にクーデターを起こさせシアヌーク政権を転覆させた 

シアヌーク国王

そしてアメリカはカンボジアにアメリカの傀儡(かいらい)政権を立ち上げる 

親米派ロンノイ(カンボジア)はアメリカと敵対関係にある南ベトナム反政府組織(南ベトナム解放戦線 通称ベトコン)の迫害と虐殺を行った

結果 カンボジアに住むベトナム系住民は50万から20万に激減した

さらに親米派ロンノル(カンボジア人)はホーチミンルートを破壊するため米軍と南ベトナム軍のカンボジア侵攻を認めた

ロンノル

1971年

  

 アメリカは親米派ロンノル(カンボジア)を支援するため南ベトナム軍(アメリカの傀儡政権)の一部をカンボジア内戦へ派遣した

1972年

   

沖縄は米軍基地を残したまま 27年ぶりに本土復帰を果たした

日本では祝賀ムードだったのに対して 沖縄では返還内容に不満があり抗議する人のデモが起こった

現在 日本全体の米軍基地のうち75%が沖縄に集中している

その後の選挙により与党 自民党が圧勝した その結果 沖縄の人の基地をなくしたいとの思いは日本政府と日本国民に受け入れられなかった

その20年後に沖縄と同じようにアメリカから独立を果たしたパラオもミクロネシアも島内に米軍基地を残したままの独立している

在日米軍 沖縄基地

1972年

総理大臣に就任した田中角栄は日本列島改造論と言う本を出版する

田中角栄 総理就任
田中角栄は日本列島改造論

1972年

   

ソ連フルシチョフのスターリン批判を切っ掛けに中国とソ連の関係が悪化し それを切っ掛けにソ連と仲の悪かったアメリカは中国に急接近した。

アメリカが先に中国と国交を結んだ 
続いて日本も中国 北京にて日中国交正常化が行われた

その時 尖閣諸島等の領土問題は中国側の意向により棚上げされた。

日中国交正常化

1972年

  

日本は当時まだ社会主義国だったモンゴルと国交を結んだ

共産主義時代のモンゴル

1973年

 第1次オイルショック

景気低迷に伴い日本銀行は超金融緩和(国債の発行額が増える=紙幣の量が増える)を行い 結果 インフレを招いた

第1次オイルショック

1973年

   

 アメリカはベトナムでの十分な成果を得たと宣言しベトナムから撤退した。(実際は敗北宣言) ベトナム戦争が終わった 戦争は共産党軍の勝利で終わった  ベトナム戦争の巻き沿いを食った隣国のラオス カンボジアは その後 も内戦状態は続く

1973年 ベトナム戦争 米軍撤退


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<目次>
フィリピン独立 インドシナ戦争 中国国共内戦(1945~1949)

朝鮮戦争 水爆実験 ベトナム戦争(1950~1959)

ベトナム戦争泥沼化 米軍北爆開始 韓国軍事政権(1960~1965)

沖縄返還 日中国交正常化 第1次オイルショック(1966~1973)

ベトナム南北統一 カンボジアベトナム戦争 中越戦争(1974~1980)

北朝鮮テロ事件多発 台湾民主政権誕生 天安門事件(1981~1990)

韓国モンゴル民主化 パラオ独立 香港中国返還(1991~2005)

尖閣竹島領土問題 東日本大震災 新型コロナ蔓延(2006~2020)