テスト

1942年

 

日本軍と米軍との間で ミットウェー海戦が始まる

日本軍は空母4隻と優秀なパイロット3千人以上を失う 日本の敗戦が決定的になった

ミットウェー海戦

1942年 

  

ソ連で拘束されていた朝鮮人武装隊の中から のちにソ連の後ろ盾で北朝鮮を立ち上げる金成柱(※金日成ではない)と言う人物がスターリンによって選ばれる
 

北朝鮮の建国者キムイルソン

1943年

 

 日本軍がオーストラリア ダーウィンを空爆する

ダーウィンの場所

1943年

 

日本軍は中国 湖北省(武漢)での戦いに勝利する

1943年

マグニチュード7の 鳥取地震が発生する 1000人を超える死傷者を出した

東京都と東京府が合併し東京都となる

鳥取地震

1943年

 

 日本人のパラオ入植者は2万5千人に及んだ 島民全体の約4分の3が日本人となった うち朝鮮系も2000人ほどいた パラオ系先住民は6000人ほど 

1944年

 

日本軍は中国の 洛陽 鄭州 桂林 長沙 を占領する

1944年

   

イギリスとアメリカは中華民国に対し清朝(中国)から続いていた不平等条約を撤廃した

1944年

  

日本はアメリカの歴史上最初で最後となるアメリカ本土への空爆を行っている しかし人的被害はなく森林を少し焼失した程度

また風船爆弾を9300発飛ばし本土のアメリカ人6人が亡くなっている

風船爆弾

サイパンが陥落した。 

それ以降 米軍は本格的に日本本土への爆撃を始める

外国から日本本土を攻撃されるのは日本の長い歴史において その時が初めてであった

マリアナ海溝を飛び立ったB29戦闘機が東京大九州の空襲を決行する

B29戦闘機

東京大空襲は東京市民を標的にした無差別爆撃で11万5千人もの一般市民が虐殺された 当時の新聞は東京大虐殺と書き立てた

米軍は日本の木造家屋を効率よく焼き放つため焼夷弾を使用した。

全106回の空襲を受けた東京は焼け野原となった

東京大空襲(焼け野原と化した東京)

1944年

  
 

米中連合軍が日本領台湾を空襲する

さらに米軍が中国(日本の占領地域)と北九州 沖縄 を空襲する

日本軍はグアムやテニアン島などで次々と敗北を重ねる

台湾大空襲を受けた後の様子

そんな中 自爆部隊 神風特攻隊が結成される

自爆攻撃を余儀なくされた神風特攻隊

米軍に次々と領土を奪われて行った日本は最後の砦となった沖縄で およそ8万人の日本兵が配備された

その年の年末 三重県 尾鷲の沖合 20キロの所でマグニチュード7.9 の昭和東南海地震が発生する 1000人以上の死傷者を出す惨事となった

昭和東南海地震

1944年

 

1944年 アメリカが日本からグアムを奪還する 日本軍が使用していた基地を拡張し
アメリカはグアムから日本本土への爆撃機を多く飛ばした

1944年

  

パラオでペリリューの戦いが行われ およそ2か月間続けられた戦闘で 日本軍 約1万人の兵士は ほぼ全滅 米軍も2336人の死者を出した

日本はパラオでの戦闘が行われる直前に島民を非難させた そのため島民の犠牲者は一人も出なかった

1944年 

 

日本軍は食糧確保のためベトナム人から大量の米を買い占めた その年 ベトナムに干ばつが襲った

1945年

 

 この年の初めころ

愛知県三河湾でマグニチュード6.8の三河地震(直下型地震)が発生する 

2300人以上が犠牲となったが それらの地震は敵陣にばれないようにと報道されることはなかった 

しかしアメリカは観測結果などから日本で起きた地震の事を知っていた※むしろ日本よりアメリカの方が被害情報を詳しく把握していた。※

三河地震

1945年 

    

明号作戦 日本軍とインドシナに駐留するフランス軍との戦い 結果は日本軍が圧勝しフランス軍はアジアから撤退した。

日本軍の協力の元 グエン朝の王族からなるベトナム帝国が建国される

日本はベトナム同様 ラオスとカンボジア(シアヌーク)にも同様の独立国を建国させた。

ベトナム帝国 国旗

ベトナムで大飢饉が発生し40万から200万人が犠牲となった 日本はベトナム人から反感を買い またベトナム帝国の弱体化に繋がった

1945年

チベットではチベット内のすべての中国人を国外追放し チベットは国民党と共産党の両方から非難される

1945年

   

ドイツ降伏によりヨーロッパ戦線を終えたソ連兵(ロシア)が中国戦線(日中戦争)に参戦

1945年

   

第2次大戦 末期 ソ連とモンゴル軍が満州国(中国東北)と内モンゴル(現在は中国領)に侵攻し勝利する

同年(1945年) 外モンゴル(現在はモンゴル国)と内モンゴル(現在は中国領)で統一運動の機運が高まる

モンゴルと内モンゴルの地図

1945年

  
 

1945年 マニラ市街戦が行われる1か月前 日本軍がマニラでフィリピン人を10万人規模で殺害するマニラ大虐殺が発生した。

米軍と日本軍によるマニラ市街戦では一般住民10人が巻き沿いを食い犠牲となる 米軍が勝利したことでフィリピンでの戦闘は終わった。

第2次大戦におけるフィリピン人の使者は110万人にも及んだ

マニラの戦い
マニラ市街戦

米軍がフィリピンのマニラを奪還する

1945年

  

空と海から合計5700発の爆撃を受けた硫黄島は太陽のように真っ赤に燃えた その攻撃により島の形はすっかり変わってしまったとも言われている。

硫黄島空爆

硫黄島に上陸した6万の米軍はガソリンに火をつけ島を焼き払い まっ平らな土地を作った。 そこに船で持ち込んだ建築素材を使い滑走路を建設した。※現在その滑走路は日本の海上自衛隊が使用している※

硫黄島の滑走路

東京 名古屋 大阪 神戸 九州と立て続けに空襲を行った

名古屋空襲では名古屋のシンボル 名古屋城も空襲により焼失した。

他にも米軍は横浜 静岡 青森 北海道 富山福井にまで空襲を行う

空襲により焼け落ちた名古屋城跡

ついにアメリカ軍が沖縄へ上陸してきた
沖縄で2か月間にわたる地上戦が行われる

沖縄は日本で唯一地上戦が行われた場所となった 
その被害は本土と比べ物にならないほど大きかった。

沖縄の人口は戦争により49万から37万人と激減した。実に島民の4分の1が戦死した。

沖縄の人々は米軍だけでなく日本兵からもひどい目にあった。日本兵に殺された沖縄の人もいた。

日本国内で最も被害の大きかった沖縄戦

1945年 長崎 広島へ落とされた原爆を積んだ戦闘機がサイパン島から飛び立っていった。

原爆積み荷跡

アメリカは当初 原爆はドイツに落とす予定であったが ドイツが先に降伏してしまったので 仕方なく日本へ落とすこととなった

しかもアメリカは原爆の威力をハッキリ知りたいため わざと戦争被害の少なかった場所を選んだ

長崎に落とされた原爆は広島型の1.5倍の威力があり もともと長崎ではなく小倉に落とす予定であったが  当日 小倉上空に雲が発生し急遽 長崎に変更になった。

もし仮に小倉に落とされていれば小倉は広島や長崎より 人口が倍以上と多く 広島や長崎 以上の被害が出ていたであろう

原子爆弾

日本は4年間で200~300万以上の戦死者を出しながら滅亡寸前のところで無条件降伏した。

日本の降伏により世界中で未曽有の被害を出した第2次大戦が終了した。


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<目次>
ベトナム初の統一王朝 欧米列強の侵略時代 アヘン戦争(19世紀 前期)

ベトナムはフランスに占領される 日本琉球併合(19世紀 中期)

日清戦争 日本朝鮮台湾併合 フィリピンはアメリカに占領される(19世紀 後期)

日露戦争 辛亥革命 モンゴル清から独立(1901~1917)

日中戦争 スペイン風邪 関東大震災(1918~1934)

第二次世界大戦突入 日本 中国インドシナ占領(1935~1942)

マニラ市街戦 東京大空襲 広島長崎原爆投下(1943~1945途中まで)