テスト

6世紀(501年~600年)

6世紀~11世紀

     

6世紀~11世紀 ベゼクリク千仏洞(トルファン)  高昌国時代の作られた仏教遺跡 のちの時代 イスラム教徒の破壊を受け さらに欧米探検家の盗掘被害を受けている

 現在ベゼクリク千仏洞の壁画の多くはドイツの博物館に展示されている イギリスやインド 日本や韓国の博物館にも展示されている

ベゼクリク千仏洞 
ベゼクリク千仏洞 

6世紀 

中国で300年続いた戦乱が終わる

ゾロアスター教を信仰していたソグド人がシルクロード貿易の主役を担っていた。

6世紀 中国甘粛省 張掖に馬蹄寺石窟が造られる

馬蹄寺石窟3
馬蹄寺石窟

520年

520年 嵩岳寺塔すうがくじとう(河南省) 高さ40メートル  北魏時代のレンガ作りの仏塔

嵩岳寺塔

527年 

   

倭国(日本)の大和朝廷軍が朝鮮半島(韓国 北朝鮮)へと責めるが新羅の軍に打ち砕かれ敗北する

530年 

  

朝鮮南部の新羅に仏教が伝わる

534年 

中国山西省 大同に都を構えた北魏王朝は河北平原を統一した後 滅びた その後も洛陽の竜門石窟は掘り続けられた

6世紀中ごろ 敦煌莫高窟の壁画はインド風の造りから中国風に変わっていった

534年

北魏は函谷関かんこくかん(河南省)を境に東と西に分裂した。

函谷関2
函谷関

550年

550年 カンボジアでは扶南(ふなん)は真臘(しんろう)を属国としていた頃 扶南(ふなん)と真臘(しんろう)の間にクメール人同士の戦争が勃発した。戦争は78年も続いた。

550年

 

550年 ベトナム南部はクメール人(カンボジア)からなる王朝 真臘(しんらん)により統治される

551年

551年ごろ 6世紀後半 幕田峪長城(北京郊外) 北斉が建設 15世紀 明代に改築

幕田峪長城
幕田峪長城2

551年 建築 蒙山大仏(山西省 太原) 高さ12メートル  中国最古の大仏とも言われている 

蒙山大仏3
蒙山大仏

552年


 

モンゴル高原と中央アジアの広い範囲にモンゴル系テュルク遊牧民国家 突厥(とっけつ)が誕生する(現在のモンゴル カザフスタン ウズベキスタン トルクメニスタン キルギス)

突厥は仏教を信仰し軍事と文化に力を入れた

モンゴルでは突厥時代の王冠他 金銀財宝2300点も見つかっている

突厥人
突厥の支配地域

554年 

女帝 推古天皇が即位する
日本で初めて女性天皇が誕生する 以降 10人の女性天皇が誕生している

ただ政治の実権は推古天皇の甥の聖徳太子が握っていた

推古天皇
厩戸皇子 聖徳太子

558年 

 

中国より約500年起これて日本に仏教が伝わる 欽明天皇に金の仏像が送られてきたのが始まり 日本には その時代 もうすでに神道と言う日本独自の宗教が存在していた。

日本仏教

558年 

 

インド人で中国大陸に仏教を伝えた僧侶の一人 達磨(だるま)が日本を訪れ聖徳太子と会う※少林寺の洞窟に達磨の象が残っている

達磨
インド人僧 達磨(だるま)大使 (中国 少林寺の洞窟)

581年 

隋王朝が誕生し都は長安(西安)に定める 中国統一王朝となる

582年

    

突厥  内紛により 東西に分裂する

突厥分裂
突厥 分裂地図

583年

隋王朝の頃 長安の都市造りが開始された

敦煌 莫高窟は増設され 壁画はインド風から中国風に作り替えられた

589年 隋王朝の元で 莫高窟の増設が行われた 38年間で100の窟を増設した

592年 

倭国(日本)では飛鳥時代が始まる 飛鳥時代になると古墳は作られなくなり 代わりに寺院が多く作られるようになる 都は奈良に置かれた

飛鳥時代

6世紀末

 

日本では聖徳太子が活躍し 中国大陸の隋に遣隋使を派遣した。

遣隋使船

593年 

飛鳥時代の倭国(日本) 今の広島に厳島神社が建てられた 

厳島神社

6世紀末から7世紀(598年~614年)にかけ

   

 高句麗は計4回も隋(中国)の攻撃を受ける 隋は一時 首都 平壌まで迫るが すべて退けられる

7世紀(601年~700年)

7世紀中国で発明された紙すきの技術が 約900年の時を得て  日本に伝わった


7世紀 

 

インドからチベット仏教が伝わった その後仏教は土着の宗教とまじりあいチベット仏教となった また その頃 インドの文字がもととなりチベット文字が造られた。(現 中国)

チベット仏教
チベット文字
景徳鎮 チベット文字


7世紀 

北海道から東北にかけて擦文文化を取り入れた擦文時代に入る 当時 朝廷(中央政権)の影響下に置かれなかった地域で 擦文時代は およそ700年ほど続く

擦文時代の土器

7世紀 
 

7世紀 拝寺口双塔bai si kou shuang ta(寧夏回族 銀川) 高さ40メートル  唐の時代には100本ほどの塔が建っていた

拝寺口双塔
拝寺口双塔2

7世紀  ジョカン寺(四川省) ソンツェン・ガンポ王に嫁いだ文成公主により建てられた

ジョカン寺

602年 
 

 洛陽(中国 河南省)で三蔵法師が生まれる

三蔵は13歳で出家し のちにインドまで行って経典を取り寄せる

17年間の旅で訪れた国は110か国 1334の書物を訳す

三蔵法師

607年

 

日本から中国に派遣された遣隋使は 隋(中国王朝)の2代目皇帝 煬帝(ようてい)に日の上る国(日本)から日の沈む国(中国)へと書いた巻物を手渡す

それは一見 隋の皇帝を侮辱するような内容であったが実は皇帝の気を引く戦略であった

また それまで倭国と呼ばれていた日本が それ以降 倭国ではなく(日=太陽 本=元 日が昇る国 中国から見て日本は東にあるから  つまり)〃日本〃と呼ばれるようになったとされている

国名の由来ともなった 日の上る国 のエピソード

607年 法隆寺(五重塔 高さ31メートル) 奈良 

法隆寺

610年 

中国では隋の時代 北京から杭州まで約2500キロの人口運河 京杭大運河が完成

運河の建設には のべ3100万人が建設に携わったとされる なお京杭大運河は完成から約600年後(13世紀のモンゴル帝国時代)に 一部 拡張工事が行われた 

隋王朝最後の皇帝 煬帝は大運河の建設と度重なる遠征を行ったため王朝の財政を圧迫させた

京杭大運河

614年 
   

 隋(中国)は高句麗(朝鮮)を服従させるため遠征(出兵)を行う

616年

 

モンゴル 東突厥は隋(中国)の属国であったが 隋の衰退を機 隋に攻撃を仕掛ける


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<目次>
恐竜の足跡 氷河期 北京原人ルソン原人 日本縄文時代 (8000年前~6000年前)

中国王朝の誕生 楼蘭の美女 日本弥生時代(5000年前~前8世紀)

中国初の統一王朝 秦の始皇帝時代 儒教誕生(紀元前7世紀~前3世紀途中)

モンゴル初の統一王朝 前漢と匈奴の時代(紀元前3世紀~前1世紀)

中国に仏教 南ベトナムにクメール文化到来 中国三国志時代(1世紀と2世紀)

日本は古墳 中国は石窟時代 朝鮮に仏教伝わる 倭高句麗戦争(3~5世紀)

モンゴル突厥 中央アジア統一 日本に仏教伝わる(6世紀~7世紀途中)