テスト

3世紀(201年~300年)

3世紀 

 

中国で七夕を祝う習慣が始まる※七夕は のちの時代中国では衰退する 

日本で行われている七夕祭りの様子

3世紀 

  

ロシア樺太や千島列島と北海道北部(日本)でオホーツク文化が起こる

この地方は稲作には不向きで あった為 オホーツク人は漁と海洋動物を食料としていた。

オホーツク人

3世紀~5世紀 

3世紀~5世紀 キジ国の仏教遺跡 スバシ故城(クチャ)が建てられた  ほかにもガンダーラ式仏塔と100の伽藍が建っていた

スバシ故城2

3世紀~9世紀にかけてウイグルのクチャで全236~339か所からなるキジル石窟が彫られた  

キジル石窟

3世紀

    

扶南国(カンボジアやベトナム南部に存在したクメール人の国家)はフィリピンまで貿易を拡大していた

当時 インドネシアを経由しインドの言葉が多く入って来た

タガログ語(フィリピン)に古代インドのサンスクリット語に似た単語が多いのは そのころの貿易の影響からだとされている

208年 

 三国志時代 赤壁の戦いが行われる

北の曹操が大量の船で攻めてきたとき南の劉備と孫権の連合軍が火をもって奇襲攻撃をした その時の壁は今でも中国 湖北省に残っている

(三国志の時代 赤壁の戦いが行われた場所) 赤壁博物館 曹公し 曹操将軍の人形が展示

220年 

中国 後漢末期(三国志時代)の将軍 曹操が 同じく後漢末期の将軍 関羽を倒す 曹操は関羽の祟りを恐れ洛陽に関羽の お墓を建てた

同年 400年以上続いた漢王朝は滅亡する

関羽墓

222年 

長江下流の南京(江蘇省)で 孫権(そんけん=初代皇帝)が呉王朝を立ち上げる

江蘇省の場所

223年

223年 三国志時代 成都に蜀を立ち上げた2年後  蜀の初代皇帝劉備が亡くなる 

四川省成都には劉備や関羽を祀ったお寺 成都武侯祠(漢昭烈廟) が建てられる 

漢昭烈廟 成都武侯祠

223年 三国時代初代 黄鶴楼(湖北省)  呉の孫権によって建てられた その後 何度も焼失し現在の建物は1985年に再建されたもの

黄鶴楼

242年~248年 

 

日本では邪馬台国のトップに卑弥呼(占い師 又は預言者の女王)がにつく

卑弥呼が亡くなり 卑弥呼の後 イヨが邪馬台国の女王となるが

邪馬台国は再び内戦状態に突入する 

すると日本の歴史書を書いていた人も中国大陸へと引き返す

それ以降 約200年間の日本の記録は残っていない。

卑弥呼(今は まだ伝説上の人物)

265年

司馬炎が呉を滅ぼし三国時代を終わらせる 中国に100年ぶりの統一王朝が誕生する

司馬炎

4世紀(301年~400年)

4世紀から7世紀 

  

朝鮮半島(韓国 北朝鮮)では

①高句麗(北朝鮮+中国吉林省) 

②百済 

③新羅 

④任那(一時的に消滅した時期もある)

の4つの国に分かれて勢力争いをしていた

北から順番に①高句麗②新羅③百済の3つの国

4世紀(301年)

  

4世紀~15世紀にかけ チャンパ王国(ベトナム中部)は中国大陸とバクダットを結ぶ海のシルクロードの拠点だった 

329年

青海チベットに吐谷渾(とよくこん)が誕生 吐谷渾は のちに北魏や隋の属国となる

青海省の場所

335年 

中国 ウイグル地方ではキジル石窟を築いた キジ国は漢の軍に敗れ焼かれる

同年 キジ国の王子 鳩摩羅什くまらじゅが生まれる

くまらじゅ(サンスクリット語名)はサンスクリット語で書かれた多くの仏典を中国語に翻訳した。

このタコのようにひょろっとした人物こそあの偉大な鳩摩羅什くまらじゅうおしょうです。

336年 敦煌 莫高窟で石窟作りが始まる 

南北1.6キロ 全745窟からなる石窟は4世紀から14世紀にかけ 約1000年かけて造られた  その多くは唐の時代に作られた

完成当時の壁画は漆(うるし)と金粉が塗られていた

莫高窟 正面 九層の寺院

350年~700年 

  

日本では古墳時代が始まり 奈良を都とした大和王権が古墳をいくつか作る 古墳造りは やがて日本全国にまで広がる

古墳

4世紀(375年と384年)

  

375年 高句麗に前漢時代(400年以上前の物)の仏像や仏典が贈られる

前漢時代の仏像
 

384年 中国の晋から朝鮮の百済に仏教が伝わる

384年から417年 

五胡十六国時代 中国 甘粛省の天水に麦積山ばくせきざん石窟が彫り始められる

高さ142メートル 全192窟  廬舎那仏るしゃなぶつ などの石窟を1300年以上の月日をかけ彫られた

麦積山とは麦を積み重ねた形に似ているからその名がついた

麦積山ばくせきざん石窟5
麦積山ばくせきざん石窟4

386年 

中国に北魏が誕生する 北魏は山西省 大同に都を構える

391年~404年 

     

倭国(日本)と高句麗(朝鮮[北朝鮮]中国東北)との間で倭 高句麗戦争が起こる

倭国(日本)が朝鮮へ攻め込み新羅と百済(韓国)を攻略するも高句麗(中国東北と北朝鮮)の返り討ちに会い 倭国(日本)が大敗を期す

倭国 高句麗戦争

5世紀(401年~500年)

5世紀前期~中期 

5世紀前期~中期 今の大阪に全長100メートル以上の仁徳凌が造られる

仁徳凌

5世紀頃

5世紀~8世紀 クムトラ千仏洞(クチャ) キジ国の仏教遺跡

クムトラ石窟

5世紀頃 秀巴Xiuba千年古堡(四川省) 丹巴と同じ形の碉楼

秀巴千年古堡の碉楼
秀巴千年古堡の碉楼2

5世紀 五台山(山西省) 北魏の時代 五台山に大浮図寺(だうふとじ)が建設され それ以降 五台山に山岳寺院が多く建てられていった

五台山(5つの峰からなる)チベット仏教 慈覚大使

420年ごろ 

中国甘粛省に炳霊寺(へいれいじ)石窟が彫られ始める 石窟は5世紀(五胡十六国時代の時代)から清代まで1400年かけて造られた

石窟は現在 ダムの下にあるため1年に1か月しか見ることができない

炳霊寺石窟2

420年

中国南部 南京に宋(1回目)が誕生する。宋は のちの南朝となる

427年 

 

高句麗は都を中朝国境から平壌(郊外)に移す。その80年後 都を平壌市内(現 北朝鮮の首都)へと移す

427年

413年~427年 統万城とうまんじょう(陝西省の遺跡) 五胡十六国(末期)の夏王朝が建設

統万城

439年

439年北魏が華北(中国北部)を統一したことで五胡十六国時代が終わる

439年~589年中国南北朝時代(北魏と宋) 北魏が華北統一してから隋が中国再統一を済むまでの150年間

南北朝時代

450年

450年 トルファン(ワインの産地)の車師国(交河古城)が滅び 高昌国(高昌古城)が立ち上がる 

高昌故城

アスターナ古墓群(トルファン) 高昌国から唐代にかけての墓地遺跡

アスターナ古墓群

460年 

北魏の時代 中国3大石窟の一つ雲岡石窟が山西省の大同に作られる

雲岡石窟2
雲岡石窟

475年 

   

高句麗は百済を攻め滅ぼし 漢城(現ソウル)を占領する

5世紀末(建造)

 

 中国 吉林省 集安にある高句麗遺跡の王墓  将軍墳  近くには高句麗第19代皇帝をたたえた好太王碑(石碑)がある

将軍墳2
集安 将軍墳

491年

491年 懸空寺(山西省 大同郊外) 北魏の頃 建設が始まった 岸壁の中腹に造られた仏教 道教 儒教からなる寺院群 

懸空寺2
懸空寺

493年 北魏は都を洛陽に移し龍門石窟を作り出す 石窟は完成するまでに400年以上かかった

龍門石窟2
龍門石窟


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<目次>
恐竜の足跡 氷河期 北京原人ルソン原人 日本縄文時代 (8000年前~6000年前)

中国王朝の誕生 楼蘭の美女 日本弥生時代(5000年前~前8世紀)

中国初の統一王朝 秦の始皇帝時代 儒教誕生(紀元前7世紀~前3世紀途中)

モンゴル初の統一王朝 前漢と匈奴の時代(紀元前3世紀~前1世紀)

中国に仏教 南ベトナムにクメール文化到来 中国三国志時代(1世紀と2世紀)

日本は古墳 中国は石窟時代 朝鮮に仏教伝わる 倭高句麗戦争(3~5世紀)

モンゴル突厥 中央アジア統一 日本に仏教伝わる(6世紀~7世紀途中)