テスト

浅草には30分で7000円もする高額な乗り物があるそうです。その乗り物のタイヤは半端じゃなく大きいにもかかわらず速度は自転車以下です。
そうですそれは忍者のような恰好をした案内人が観光案内をしながら引っ張る人力車でした。

人力車の歴史は今から約150年前の明治2年に始まります。そのとき人力車の開発に当たったのは役人と八百屋それと荷車造りの職人でした。
目標は2人以上で担ぐ〃かご〃よりも速くさらに馬車よりも経済的な乗り物を作ることでした。そして大型トラック並みの大きなタイヤの乗り物 人力車が完成しました。

翌年 東京の新橋で人力車の営業を開始します。人力車の運賃は一回5銭だったそうです。その時代そばが一杯3銭だったそうなので今のタクシーとそれほど変わらない値段だと思います。
しかし人力車の担ぎ手はかなりの重労働だったことは間違いなさそうです。人力車は初年度だけでなんと1万820台も運営をしていたそうです。

その5年後には11万台さらに開業から30年たった最盛期には なんと21万台もの人力車が走り回っていたそうです。
ちなみに現在 東京で運営しているタクシーの数はその4分の一のおよそ5万台だそうです。

しかし時代は大正(約100年前)に入り路面電車や自動車が普及すると人力車は急速に衰退(すいたい)の一途(いっと)をたどって行く事になりました。
そして70年間続いて来た人力車も終わりを迎える日がやって来ました。昭和10年(約80年前)人力車は寂しく静かに街から姿を消しました。

しかしそれから長い月日を得て人力車は日本各地の観光地でその目的を変えて復活する事となりました。それが今の人力車です。しかしその運賃は非常に高いです。

明治から大正にかけての人力車
近年観光用に復活した人力車