テスト

(宗教)
イスラム(スンニ派)70パーセント キリスト教徒が27パーセント

緩い規則のイスラム教徒が多い 

独立の際 タジキスタンと違いソ連からの独立を急いでいなかった

(歴史)

初めはイラン系 続いて匈奴(きょうど)系の遊牧民が入ってくる

匈奴はモンゴルの北部のほうから来た中央がアジアの広い地域に住んでいた遊牧騎馬民族

中国の漢民族とは違った民族 中国にも多くの匈奴関連の遺跡が残っている

トルコとモンゴルが取ったり取られたりでこの地域を繰り返し支配する

紀元前8~紀元前3世紀 ウクライナを中心に活躍していたイラン系遊牧民 サカ族(スキタイ族)に支配される

サカ族

紀元前4か5世紀ごろ 匈奴(きょうど)に支配される

匈奴

紀元前139年 北方の匈奴に対抗するために前漢の武帝が使節団を派遣した

シルクロードはウイグル(中国新疆)から中央アジアへ抜ける東西以外に

カザフからウズベキスタンにかけての南北の道もあった オアシスが多く点在していた

6~8世紀 チェルク系の北方民族が進出 8世紀 イスラム系アラブ人が南から北へ進出

中国大陸から唐やサマルカンドからも多くの人がやってくる

そんななか751年 唐とイスラム アッパース朝が衝突(タラス河畔の戦い)

アラブイスラムと中国仏教の戦いとなった

結果はイスラムの勝利  その後 南から ゆっくりとイスラム化が進む

一方でシャーマニズム(土着宗教)の伝統も残されていった

この戦いで唐の捕虜の中に紙職人がいて 紙の製法がウズベキスタン サマルカンドへと伝わる

7世紀 モンゴルから突厥(とっけつ)がやってくる

10世紀 オグズ(テュルク系遊牧民族 トルコ系)に支配

11世紀 モンゴル系 に支配される

12~13世紀 カラハン朝の支配をうける カラハン朝はトルコ系の遊牧民が最初にイスラム化した王朝とされている

この王朝は13世紀 ペルシャ系の王朝に滅ぼされる

1218年 モンゴル帝国は視察団をこの地域に送るが殺されてしまう 

その事件がきっかけで戦争に発展する

1468年 カザフ・ハン国というイスラム王朝が誕生する

1703年 チンギスハーンの子孫がジュンガル(中国の方)から攻めてくる

 カザフハン国は仕方なくロシア帝国と同盟を組む やがてロシアからコサック兵が派遣される

今のウズベキスタンのあたりで衝突する 今のカザフスタンのあたりでは衝突は起こらなかった

しかし当時 カザフハン国の一部であったウズベキスタンをロシア帝国に取られてしまう

カザフハン国のそのほかの領土も徐々にロシア帝国に編入されていく

さらにロシア帝国だけでなく清やそのほかの勢力にも圧迫される

1917年 ロシア革命が起きカザフスタンはソ連に組み込まれる

カザフスタンでもスターリンの粛清被害を受ける 主に知識人が多く処刑された

強制的に集団移住させられた結果 遊牧で育ってきた家畜が育たなくなり激減した

狭い檻に多くの家畜が押し込まれたため次々と死んでいった

一部のカザフ人は家畜を連れ中国へ逃れた 現在でも中国は世界一羊豚の多い国である

やがて大飢饉と飢餓が襲ってくる 110~170万のカザフ人が亡くなった 

1926年 360万いた人口が 1939年には 230万に激減 現在の人口は1820万人

さらにロシア化が進み人口の3分の1がカザフ語を話せなくなってしまった。遊牧民も激減

1991年 モスクワでクーデターが勃発する

キルギスとウズベキスタンは独立宣言したがカザフのナザルバエフは独立に慎重の考え

ナザルバエフ大統領

先にウクライナとベラルーシが独立 そのあとキルギスが8月に独立

カザフは一番最後の12月に独立

実はカザフスタンはソ連崩壊を望んでいなかった

ナザルバエフは独立後も20年以上もトップの座に君臨する現職の大統領


<目次>
1基本情報
2宗教と歴史
3新首都アスタナ
4アルトマイ(商業と文化の中心)
~ミニグランドキャニオン

5世界遺産タムガリの岩絵
6世界遺産 聖人ヤサウィー廟
7バイコヌール宇宙基地
~セミパラチンスク核実験場

8ウスチュルト台地 ドゥズバイル塩湖
~カシャグン油田 小アラル海

9サリャルカ自然保護区 サイガ
10アラル海
11カザフスタン料理