テスト

ブータンの歴史

7世紀

627年 

初代チベット王(吐蕃の王様)ソンツェン・ガンポがブータンの地に寺院を建設した。

ブータンのもっとも古い記録によればこの時代 ブータンはチベットの影響下にあった。

8世紀

747年  チベットから来た僧侶※(名前 パドマサンババ)によって始めてブータンにチベット仏教のニンマ派が伝わる

パドマサンババ(ブータンに仏教を伝えた人物)

11世紀

11~12世紀 チベットから様々な仏教宗派が布教活動を行い勢力を競い合う

12世紀

1184年~1251年 チベット仏教のドゥク・カギュ派がブータンに伝えられる

17世紀

1616年 ブータンで起こった宗教対立の中からブータン国家の起源となる政権が誕生する

1617年 チベットの一政党 ツァンパ政権がブータンに侵攻する

その後 ツァンパ政権は約20年の間に3回 侵攻する

1626年 イエズス会(キリスト教カトリックの一派)のポルトガル人神父が西洋人として初めてブータンを入国した

1644年と1648年 1649年  チベットダライ・ラマ政権がブータンに侵攻する 3回の攻撃を受けるが3回とも撃退する

ダライ・ラマ4世

1694年 タクツァン僧院建立(岸壁に建つチベット仏教寺院)  1998年に寺院の大半を焼失。その後再建。

タクツァン僧院

18世紀

1714年 ブータンは本家ダライラマ政権から4度目の攻撃を受けるが撃退する その後 ブータンは自立した国家としての基礎を固めた。

1772年 ブータンは当時 東インドを支配していたクーチ・ビハール王国に侵攻した そこにイギリスが入り込みブータンは追いやられる事となる そしてイギリスとブータンの間に紛争が発生した 

翌年 ブータンは東インド クーチ・ビハール王国から撤退した。

クーチ・ビハール王国(東インド)

19世紀

1864年 イギリス領 東インドとブータンの間の国境紛争はドゥアール戦争 またはブータン戦争(イギリスVSブータン)が勃発した

5か月間に及んだ戦闘はイギリス軍の勝利 イギリスは毎年ブータンに援助金(年5万ルピー 現在の価値で9億円程度)を支払う事でドゥアール アッサム ベンガル(肥沃な農業地帯で現在は東インド)の領土を獲得した。

ブータン山岳地帯を除き国土の大半を失った。

インドが独立したのちはイギリス政府に代わりインド政府が引き続きブータンの保護にあたった。

20世紀

1906年 ブータンとイギリスの間で関係改善が行われる

イギリス人はブータンへの入国が許され ブータン側からもイギリスから援助金を頂いた

またロシア(ロマノフ朝)や清国(中国)はブータンの領土を狙って南下政策を取っていた しかしイギリスがその侵入を阻止した。

1907年 イギリスはロシアの南下を恐れチベットとブータンに条約を結んだ

初代ブータン国王ウゲンワンチュクはイギリスと協力し世襲制の国王に着いた  絶対君主を確立

ウゲンワンチュク(初代ブータン国王)

 当時ブータンでは国内で東西対立があった

1910年 ブータン王国はイギリスの保護国となる

1966年 初代国王がティンプーを首都と定める 

1971年 ブータンは128番目の国連加盟国となる

1972年 2代目が内乱状態にあったブータンで多くの部族をまとめ統一国家を作った

(同年) 3代目が新しい改革を次々と打ち出し4代目がGNHを考案した 

1974年 完成 3代目国王の記念碑 毎日多くの参拝者が訪れる

1983年まで鎖国を続け インドからしか物が入ってこなかった

1990年代ワンチュク前国王による民主化行われた しかし国民は戸惑っている 

1990年 反政府運動激化 ブータン南部のネパール系住民が国外に脱出しブータン難民となった。

1992年 ブータンに農業革命を起こしたダジョー西岡(日本人)が 59歳で亡くなる 西岡の葬儀には100人の僧侶と5000人のブータン人が参加 

ダジョー西岡(日本人)

1960年代以降 テレビ放送は禁止となっていた

1999年国営テレビとインターネットが解禁された しかしボクシングなどの格闘技の放送は禁止 ワールドカップ予選は棄権した

21世紀

2006年に絶対王政を廃止 

2007年に王制100周年を迎えた

2008年 新しい国王が誕生して 始めて選挙が行われた

ブータンは立憲君主国となった


ブータン 基本情報

外国人の旅費は一日200~250ドル(時期により変動あり) 入国前に先払い(宿泊費 ガイド 運賃 入場料 込み) 
旅費を先払いしないとビザが下りない

ブータンとは雷の龍の国と言う意味(国旗に描かれている)

ブータン国旗

(歴史)7世紀後半チベットから来た僧侶※(名前 パドマサンババ)によって始めてブータンに仏教が伝わる  1647年 チベット軍との戦いに勝利 戦勝記念碑がある
11~12世紀 チベットから様々な仏教宗派が布教活動を行い勢力を競い合う

パドマサンババ(ブータンに仏教を伝えた人物)
 

イギリスはロシアの南下を恐れチベットとブータンに条約を結んだ
初代ブータン国王ウゲンワンチュク(1907年)はイギリスと協力し世襲制の国王に着いた 当時ブータンでは国内で東西対立があった

ウゲンワンチュク(初代ブータン国王)
 

2代目が内乱状態にあったブータンで多くの部族をまとめ統一国家を作った(1907年) 絶対君主を確立

3代目が新しい改革を次々と打ち出し4代目がGNHを考案した 1976年 国連に加盟

1990年代ワンチュク前国王による民主化行われた しかし国民は戸惑っている 

※テレビ放送は1960年代以降禁止となっていた

1999年国営テレビとインターネットが解禁された しかしボクシングなどの格闘技の放送は禁止 ワールドカップ予選は棄権した

2006年に絶対王政を廃止 2007年に王制100周年を迎えた

2008年 新しい国王が誕生して 始めて選挙が行われた

(あいさつ)こんにちは=カズザンポラ 日本と同じ深々とお辞儀をする習慣がある 
九州とほぼ同じ面積 100年の歴史がある王国  長い間鎖国が続きヒマラヤの桃源郷と言われてきた 開国されてからわずか30年の国

国民の4分の1が貧困層 難民問題もある ネパール系民族との争い 国家予算の3分の1が海外からの援助金で賄われている
GNH 国民総幸福量 2004年 たばこの販売を全面禁止した ビニール袋の使用も禁止になった 世界幸福度ランキング デンマーク1位 ブータン8位 日本90位

国内に信号機と花屋がない 電力は自然に配慮した水力発電を使用 国民の8割が農家 平均年収は10万だが食料に困らない 
医療費教育費(大学まで)が無料  ブータンの切手は絵柄が美しいと評判

ブータンの切手
ブータンのレコード型の切手

(民族衣装)法律で子供も大人も民族衣装を着ることを義務付けられている ゴ(男性用)は服がかばん代わりにもなる 一着2500円 女性用はキラという
手織り ヤクの毛糸を使用

民族衣装 ゴ
民族衣装  キラ

(民族)ほとんどがチベット系 残りはネパールやミャンマーから来た移民族 多民族国家
通い婚 女系家族 ナイトハンティング 男が夜中 女の寝床に忍び寄り告白する習慣

  英語がペラペラ(※ゾンカ語よりも) 50年前から小学校の授業が英語で行われている 公用語はゾンカ語 リンポチェは偉い僧侶の生まれ変わり
バロゾン 大きなマニ車 黄金のマニ 石鹸のように手を洗える豆がある 法律で伝統的な建物だけ建てることが許されている 外観の壁にはチベットの仏画が描かれている

ガソリンスタンドもブータン伝統の建物で建てられている
800年以上前の民家を改築し今は寺として使われている 木を一本切ったら2本植えなければならない決まり

ガソリンスタンド

(地形)国土全体が険しい山岳地帯 国土の4分の1が国立公園 国土に対する森林面積 日本68% フィンランド74% ブータン81%
山の多い国だが国内にトンネルはない  富士山よりも標高が高い町 ツンドラ 亜熱帯 モンスーンの3つの気候を併せ持つ国

ブータンはハンサムが多い ブータンにはお墓がない 遺体は骨まですべて灰にして川へ流す
寺院内の祭壇ではバターを燃料にした灯りがともされる

ツェチュ ブータン各地で5日間にわたって行われる祭り 
パロチチュ パロ祭り 2020年は4月開催 人の大腿骨で作った笛 布に描かれた40種の仏画を40メートルの高さにつるす

ツェチュ パロチチュ パロ祭り3
ツェチュ パロチチュ パロ祭り2
ツェチュ パロチチュ パロ祭り

年2回行われるお祝いに年収の半分以上のお金を使う

(楽器)床につく くらい長いチベットラッパ(収納可能) 

チベット ラッパ ドゥンチェン

(芸術)パウダーインセンス砂絵 曼荼羅マンダラ 大理石を使用 15日間かけて作られる

パウダーインセンス砂絵 曼荼羅マンダラ
 

(チベット仏教)輪廻転生 人は49日で生まれ変わる
化身となれば子供であっても親から引き離され寺で暮らすことになる 化身とされた子供は幼くしてチベット仏教に関する英才教育を受けることとなる

(社会現象)近年 化身が増えすぎ問題となっている 
(仏教用語)じひ=動物や人の痛みをわかること

(飲食)レストランは少ない レストランにはメニューがない 
松茸の缶詰 ブータン人は松茸を食べない キロ数千円で売られている ブータン人は基本的には肉類は食べない 肉は輸入品

標高が高いため加熱には圧力鍋を使用する 米が主食 食べる前に祭壇で祈る
トンガラシを煮込んだ料理が多く味付けは塩のみ 赤米を食べる 日本でも昭和初期まで食べられてきた

トウモロコシの自家製蒸留酒アラン(焼酎) そばやぜんざいや納豆を食べる
ヤクの干物 草やのようなにおい ブータンでは調理の時まな板を使わない 脂っこくこってりした味を好む お菓子はあまり甘くない

エマケワダツィ(トンガラシとチーズと野菜煮込み)ヒュンテ(肉なし蒸し餃子 皮にそば粉を使用 みじん切りにした漬物がたっぷり入る 祭りの時に出される料理)
ディム(牛乳と小豆を使った温かいデザート 乾燥チーズを使用 豆は2時間 チーズは2晩 水で戻す 甘さ控えめ ブータンのぜんざい)

ヒュンテ(肉なし蒸し餃子

ブータンでは昔塩が貴重だったためご飯のおともにトンガラシが選ばれた バター茶がおいしい トンガラシのてんぷら 朝食の揚げパンにもトンガラシを使用
チュル 乾燥した川海苔

ヒマラヤ氷河決壊の恐れ 土石流はネパールとブータン両国の問題 ヒマラヤの長さは2400キロ 日本列島がすっぽり入る大きさ 高さは7から8000メートル 1万か所の氷河湖がある

 被害が出る恐れがあるため手作業で水位を下げる作業が行われている 重機が入れずさらに空気が薄いためヘリコプターも飛ばせない

〇プナガゾン(歴史的な建築物 県庁と僧院を兼ね備えた施設)

<目次>
1誰が決めたのか!幸福な国ブータン!!
2ブータン 基本情報
3首都 ティンプー
4バロ(ブータン第2の都市 ダジョー西岡)