テスト

17世紀

17世紀 タイやベトナムの王朝がカンボジアへ侵略する

17世紀初頭 アユタヤ王朝は800人の日本人傭兵を雇う

それを切っ掛けに アユタヤの日本人町には1500人の日本人が定住した 日本人街の住居跡がある 日本語で書かれたお墓のような石碑がある
山田長政の石像 

山田長政の石像
アユタヤにある日本人街の石碑

1630年 山田長政(傭兵として王朝にやとわれた人物)はイスラム勢力 パタニ軍と交戦し暗殺される アユタヤ王朝が殺害にかかわっていたとされている 

(同年) アユタヤの日本人街は王朝の後継者争いに巻き込まれ アユタヤ王朝に日本人街は焼き討ちに会い焼失した その5年後 日本からの朱印船も廃止され タイと日本との交流が途絶えた

朱印船貿易

イギリスやオランダがタイに工場を建設するなど新勢力がアユタヤ(タイ)で力をつけた 一方 ポルトガルと日本は衰退していった

1661年 アユタヤ王朝(タイ)はラーンナー(タイ チェンマイ)を攻める

1662年 アユタヤ王朝はビルマ(ミャンマー)のペグーを攻め落とした その時代 アユタヤ王朝は最盛期を迎える

1664年 アユタヤ王朝の独占貿易に反対したオランダ人がタイのチャオプラヤ川でポルトガル国旗を掲げ中国商人をとらえる事件が発生する その後フランス人が事件の鎮圧にあたった

18世紀

18世紀 カーヴィラ王(タイ)がビルマ(ミャンマー)からチェンマイ(タイ)を奪還

1749年 アユタヤ王朝はカンボジアを攻めカンボジアを占領する しかしアユタヤ王朝は その後 衰退する

1765年~1767年 コンバウン王朝ミャンマーとアユタヤ王朝シャム(タイ)の間に戦争が起こる 結果 426年続いたアユタヤ王朝はこの戦争で完全に滅亡した

1767年 アユタヤ王朝の崩壊に伴い タイ人の華僑(中国広東省潮州系)タークシーンがタイのバンコクでトンブリー朝を開く 

トンプリー王朝はビルマ(ミャンマー)の勢力を一掃した

1771年 トンプリー王朝(タイ)はカンボジアへ2度進行する

1777年 ビルマ(ミャンマー)が再びシャム(タイ)に攻め込んでくるがシャム王国はビルマの軍勢を撃退する

1778年 ラオスのルアンパバーン王国 ヴィエンチャン王国 チャンパーサックの3王朝はトンプリー王国(タイ)の属国となった

トンブリー朝 全盛期の地図

1782年 タイ国内でクーデターが発生しトンプリー王朝(タイ)は崩壊する 

ラーマ1世がチャクリー王朝(タイの現王朝)を立ち上げる

ラーマ1世

トンプリーのタークシン王(タイ人華僑)はラーマ1世により処刑される

タークシン王

ラーマ王はバンコクに都を開いた 

ワットプラケオ 王室専用寺院 1782年創建 タイで唯一僧侶のいない寺院

ワットプラケオ

ワットポー ラーマ一世が1788年に建てた 

ワットポー

バンコク 王宮 18世紀 チャクリー現王朝

(ヤワラート中華街)230年前に誕生したチャイナタウン 漢方中華 宝石 糸で顔の産毛を取る  金行(金製品の販売) 
一昔前までは中華街がバックパッカーの聖地だった 以前は麻薬と売春婦が多く治安が悪かった 日本食を出す食堂 北京飯店(※2012年閉店)

ヤワラート中華街

18世紀 カーヴィラ王はビルマからチェンマイを奪還

19世紀

1826年 ナコンラチャシーマの町の中心に ラオス軍を撃退したヒロインの像

ナコンラチャシーマ 町の中心に1826年ラオス軍を撃退したヒロインの像

(同年 1826年) タイはイギリスとの間で通商条約(それほど不平等ではない条約)を締結した

1831年 タイが当時ベトナム領だったカンボジアの領土を狙い第一次泰越戦争(タイVSベトナム)が勃発する 結果 ベトナムがタイを撃退しカンボジアの領土を守った

1833年 タイはアメリカと外交上の条約を結んだ

1841年 第二次泰越戦争(タイVSベトナム)が勃発する 戦後 両国に平和条約が結ばれ ベトナム領カンボジアはタイとベトナムが共同管理することで決着した

1949年 タイ メーサロン 中国国民党軍兵士がビルマを経由しこの地へ移住 武装解除と引き換えにタイの国籍を取得

タイ メーサロン

(泰北義民文史館)ビルマとの戦いで戦死した国民党軍兵士の慰霊のお寺

泰北義民文史館

1855年 タイ王朝はイギリスにバウリム条約と言う不平等条約を結ばされる

イギリスがタイでの貿易を自由に行わさせる条約 あと関税の減税 ただ食料の確保だけは許された(この時期 日本もアメリカから同じようなことをされていた)

1856年 タイはフランスとアメリカにも同じような不平等条約を結ばされた

1858年 デンマークと同じ条約を結ばされた 翌年 ポルトガル オランダとも不平等条約を結ばされる

1863年 カンボジアはタイやベトナムの脅威から逃れるため自らフランスの保護国となった そして その後 フランスがカンボジアを統治することになる

1863年 その後フランスは当時タイの領土であったカンボジアを占領する

1867年 フランスがカンボジアを統治することをタイが正式見認めた それにより カンボジアはフランス領インドシナに編入されることが決まった

1893年 ラーマ5世(明治天皇と2歳違い)の頃 バンコクにフランスの軍艦がやって来る

パークナム事件が勃発する フランスが当時 タイが所有していたラオスの領土を狙って攻めてきた

またラーマ5世は工業を起こしタイの近代化に貢献した

ラーマ5世

20世紀

1909年  フランスとイギリスの脅しに屈したタイは戦わずして国土の半分以上の領土を失う 領土をフランスとイギリスに分け与えることで戦争を回避した

フアラポーン駅(1910年) ドイツ フランクフルト駅がモデル もともとは飛行船の収納(かくのう)庫だった ラーマ5世の肖像画が掲げられている

1920年 タイは国連に加盟する

1921年 タイはアメリカとそれまで結んでいた不平等条約を改正した 

1932年 タイは新憲法を作り絶対君主制から立憲君主制へと移行した

1939年 国名をシャムからタイへと変更した

1940年 カンボジアとラオスの領土をめぐってタイとフランスの間で衝突が発生する。タイ・フランス領インドシナ紛争が勃発する 約半年間続いた戦闘はタイ側の勝利 

タイ・フランス領インドシナ紛争

タイはラオス カンボジアの一部の領土をフランスから取り戻す

またタイのバンコクにはこの時の勝利を記念する記念碑が建っている

1941年 第2次大戦中 日本軍がタイの領土に駐留する

日本軍はカンチャナブリにアルヒル桟道橋などタイとミャンマーに鉄道を建設した

38位 カンチャナブリ アルヒル桟道橋

1945年 タイがフランスとの戦争で勝ち取ったラオス カンボジアの領土(一部)は第2次大戦後 再びフランスが統治することとなる

戦中は日本軍に協力していたタイだったが終戦間際 うまいようにひるがえり戦勝側に付く 結果 戦後も領土を維持し独立を保った

1946年 スイスから帰国したラーマ8世が射殺され不幸な死を遂げる

1947年 軍事クーデターが発生する プリーディー首相が海外亡命した 憲法は廃止され暫定憲法が公布される

1949年 タイ メーサローン 中国国民党軍兵士がビルマを経由しこの地へ移住 武装解除と引き換えにタイの国籍を取得

タイ メーサロン

1950年 ラーマ9世 プミポン国王が即位する

プミポン国王
 
 
1957年 暫定政権が誕生 その年 選挙も行われた 新政権が成立した

1960年代 外国企業をタイ国内に誘致しアメリカのフォードや日本の自動車メーカーもタイに工場を構えた

1966年 タイはベトナム戦争でアメリカを支援し米軍にタイ国内の基地を提供した。タイを飛び立った米軍戦闘機がベトナム ハノイで空爆を行った

1967年 東南アジア諸国連合 東南アジア10か国からなる アセアンが設立される 

1973年 十月革命や血の日曜日事件など市民デモが発生し警察官と衝突する 77人が亡くなった デモは翌年まで続く

デモの後 反共産党が政権を取り その後 軍事政権が政権を取る

1980年と1984年にラオスとの国境で銃撃事件が起こった

1987年にはタイとラオスの間で軍事衝突が起こった 

1988年 タイとラオスの間に和平が提携され停戦協定が結ばれた

(同年) タイで総選挙が行われ国民党が第1党となる

1992年 政治不信から始まった民主化暴動 暗黒の5月事件発生する

21世紀

2001年 タイはアジア通貨危機を脱しないまま新憲法の元 総選挙が行われ タイ愛国党が政権を取り 実業家出身のタクシン首相(中国系タイ人)が誕生する

タクシン

2005年 愛国党が選挙で圧勝し 農民の借金を3年間猶予したり 農民ひいきの政策を実行する すべての村に100万バーツを支給したり バラマキ政策を行った

そのためタクシンは貧困層から多くの支持を得た

しかしタクシンは都市部の起業家を敵に回した インテリ層からなる反タクシン派が結成された

2006年 タクシン一族の不正が発覚し 10万人規模なデモへと発展する デモによる政権交代が起こり軍事政権が政権を取る

タイ 2006年 クーデター

(同年)タクシンは海外亡命する

2008年には デモが暴徒化し空港が占拠された(赤集団VS黄集団) 反タクシンは王宮カラーの黄色のTシャツを着て タクシンは赤のTシャツを着ていた

(同年) タイとカンボジアの国境にある世界遺産プレアビヒア(タイ名 プラーサート・プラウィハーン)が2008年 カンボジアの世界遺産として登録される

それに抗議したタイ軍とカンボジア軍の間で国境紛争が発生した。死傷者10数人を出す惨事となった

その後 国際司法裁判所で両軍の撤退を命じられ 判決の結果 プレアビヒアはカンボジアの領土と認められた

プレアビヒア3
19位 プレアビヒア(カンボジア タイの国境)

2009年にもバンコクで負傷者100人を出すデモが発生する

2010年 暗黒の土曜日(暴動)が発生する

2011年 タクシンの妹 インラックがタイ史上初の女性首相となる 

(同年)タイで大規模な洪水被害が発生する アユタヤ遺跡も一部水没した

2011 タイ 洪水2
2011 タイ 洪水

2013年 再び大規模な反政府デモが勃発し25万の暴徒化したデモ隊が選挙の妨害を行った

2014年 インラック首相は失脚 再び軍事政権が政権を取った

2016年  国民から絶大な人気があった プミポン国王が88歳で死去した

2020年 国民からの不評が高い国王に対し王室改善を要求する数百万人のデモが発生した。

<目次>
追加情報 タイの歴史1
追加情報 タイの歴史2
1 基本情報
2 バンコク市内 
3 バンコク郊外~水上マーケット メークロン市場ほか~
4 アユタヤ遺跡
5 スコータイ
6 カンチャナブリ
7 クラビー
8 チェンマイ
9 ナコンラチャシーマ
10 スリン
11 ロッブリー
12 ノンカイ ウドンタニー
13 サンクラブリー
14 パッタヤー
15 チェンライ
16 ウボンラチャターニー
17 メーホンソーン&タートパノム&カオヤイ自然保護区
18 その他の名所