テスト

紀元前40世紀

紀元前40世紀(約6000年前) タイとラオス(ビエンチャン)の国境近くの町 ウドンタニーに約6000年前に書かれた壁画が残っている

ウドンタニーの歴史遺産

紀元前30世紀(約5000年前) 紀元前3000~2000年

バンチェン遺跡バーンチアン 紀元前35世紀 国家創生以前のタイ

東南アジアの最初の文明

年代は諸説あるが近年 研究結果から紀元前3000~2000年だと推測されている

バンチェン遺跡バーンチアン

紀元前20世紀

紀元前20世紀(約4000年前)タイ東北部ウボンラーチャターニー県 約4000年前に書かれた壁画が残っている

その頃 タイでは青銅器文化を持った集落があったとされる 稲作もそのころから行われていた

2000から3000年前の壁画

紀元前10世紀

(ケーンタナ国立公園 奇岩) 2000から3000年前の壁画 

ケーンタナ国立公園

紀元前3世紀

タイ北部で製鉄が開始される 製鉄技術はその後 中国南部やベトナム北部に拡散した

紀元前2世紀

海のシルクロードを航海し中国からインド 地中海を結ぶ東西交易がタイを経由し行われていた。

4世紀

ワット・プラパトムチェーディー(120.45mの世界一高い仏塔)が建てられる

プラパトムチェーディー

4世紀 モン族によって建てられ11世紀にクメール人によって改築されて 1975年に9年の調査と6年の歳月をかけ大規模な修復が行われた

5世紀

450年 現在のタイ(東側)とラオス カンボジアの領土を要するラヴォ王国が誕生する。

ラヴォ王国はクメール(カンボジア)から独立したモン族からなる王朝で都はタイのロッブリーに置かれた 

ラヴォ王朝は14世紀末まで実に900年近く続く長い王朝

6世紀

 6世紀~11世紀 タイ中部にモン族が起こしたドヴァーラヴァティー王国が誕生する モン族は現在 ミャンマーに800万 タイに10万人ほど暮らしている※中国やベトナムに生息するミャオ系のモン族とは全くの別種類※

モン族(クメール系)

7世紀

628年

カンボジア(真臘しんろう王国)はジャヤバルマン1世の元 サンスクリット語やインド文化を多く取り入れた クメール文字が使われ始めたのもこのころ

クメール文字は現在 タイやラオス カンボジアで使われている文字の元となった字

クメール文字(タイ文字の元になった文字)

7世紀(650年ごろ建国) インドネシア スマトラ島にあった シュリーヴィジャヤ王国(ヒンドゥー教 仏教 727年続いた王朝)はタイ南部 マレー半島まで広い範囲を支配していた シュリーヴィジャヤは のちにシャイレーンドラ朝と名を変える

シュリーヴィジャヤ(インドネシア)の支配地域

661年(又は750年) タイ北西部にモン族の国家 ハリプンチャイ王国が立ち上がる

情報は乏しく年代もあいまい

ハリプンチャイ王国

9世紀

859年  ミャンマーにあったピュー王国(驃国)は南詔(中国 雲南チベットビルマ系)により滅ぼされる 

南詔はタイ ラオス カンボジアまで攻める モン族とピューの人々は雲南へ強制移住させられた

さらに南詔は当時 唐(中国)の領土であったベトナムの交州(ハノイ)まで攻め落とした

南詔国(大理

9世紀末の遺跡 プレアビヒア(カンボジアタイ国境)※タイ名(カオプラウィハーン 領土問題を抱える世界遺産 

軍事施設内にある遺跡 目玉は崖からの絶景  その後 クメール人とモン族の戦いは何度も起こるが クメールの勝利で終わる

プレアビヒア
プレアビヒア3
プレアビヒア 崖からの絶景

10世紀

902年 南詔国の宮廷内で殺人事件が発生し800人が亡くなった。その事件を機に南詔国は滅亡した

タイの各地で いくつかのムアン(国)が形成され

ラーオ族はメコン川 上流にスワー王国を立ち上げる

メコン川沿いの洞窟

一方 ワットプーを含むラオス南部はクメール王朝の支配下にあった

10世紀から200年間 タイはクメール アンコール朝(カンボジア)の支配を受ける

950年  アンコール朝(クメール)がモン族ラヴォ王国(タイ ラオス カンボジア)を支配下に置く

11世紀

タイ族の起源は中国の長江流域とされている 11世紀 中国にいたタイ族が漢民族の圧迫を受けタイの地に逃れる そして そのままタイ族はタイに定住し始める

1002~1050年ごろ タイはチャオプラヤー川 流域までクメール(カンボジア)の支配下に置かれる クメールの支配は13世紀まで続く

アンコールワットで有名なカンボジア

1010年  ハリプンチャイ王国(タイ)とラヴォ王国(タイ)がモン族の勢力を取り戻そうとクメール朝(カンボジア)と10年戦った しかしクメールに撃退された

ハリプンチャイ王国
ハリプンチャイ朝

1011年(以降) アンコール朝 スーリヤヴァルマン1世 がタイ ピーマイ遺跡 ヒンドゥー寺院を手掛ける

ピーマイ遺跡(タイ)

 
11世紀 タイ人の中で85%を占める タイ族の起源は中国の長江流域とされている 11世紀 中国にいたタイ族が漢民族の圧迫を受けタイの地に逃れる そして そのままタイ族はタイに定住し始める

タイ族

1087年 タイ東部 ラオス カンボジアからなるモン族 ラヴァ王国はパガン(ミャンマー)の侵略をうけるが その後 撃退する

パガン朝

ラヴァ王国は都をロップリーからアユタヤへ移した。

タイ アユタヤ王朝

1094年 タイにパヤオ王国が建国される

12世紀

1113年、スーリヤヴァルマン2世がアンコールワットほかアンコール遺跡群や タイのピーマイ遺跡など数多くのヒンドゥー寺院を手掛ける

ピーマイ遺跡(タイ)

ジャヤヴァルマン7世(カンボジア クメール人)はタイ東北部 ラオスやベトナムにまで領土を広め仏教の影響を強く受ける

そのころアンコール(ヒンドゥー教)遺跡に仏教のレリーフが加えられる 

アンコール朝(スーリヤヴァルマン2世)は周辺国 チャンパ王国(南ベトナム)などを攻め領土を拡大(1回目)した。アンコール クメール帝国の領土はタイ中部、マレー半島、ベトナム南部にまで及んだ 

1181年 王位についたジャヤーヴァルマン7世(カンボジア)はチャンパ王国(南ベトナム)に奪われた領土を奪還する

続いて タイ東北部 ラオスやベトナムにまで領土を広め仏教の影響を強く受ける (2回目の領土拡大)

アンコール朝はインドシナ全域を制圧する 

パリやロンドンが人口3万だったころ アンコールは100万人都市だった 

またアンコール王朝は実力主義で世襲ではなかった

またジャヤーヴァルマン7世は国内102か所に病院を作り主要道路の脇に宿場を設けるなど国民の生活向上にも貢献した

ジャヤーヴァルマン7世(王)の指示でヒンドゥー教から仏教へと移行した そのためインドシナ全体に仏教が広まった

ジャヤヴァルマン7世
ベトナム チャンパ王国の遺跡

13世紀

雲南から南下してきたタイ族は、13世紀頃までは強力なアンコール王朝の支配力の元にあった。

しかし ジャヤーヴァルマン7世(アンコール朝)がなくなるとアンコール朝は急速に衰退していった

スコータイに残るワット・プラパーイルワン(スコータイ遺跡)はジャヤーヴァルマン7世統治の時代に建てられた

ワット・プラパーイルワン(スコータイ遺跡)

1238年 スコータイ王朝(タイ)がラヴォ王国(モン族)から独立 

スコータイ王朝の領域は、現在のタイ北部の南半分を中心としていた。

モン族が多く暮らす地位ににありながらスコータイ王朝はタイ族最初の王朝といわれる。

現在 タイにおけるタイ族の割合は85%を占める

スコータイとは幸福の夜明けを意味する

カンボジア クメールとラヴォ王国の統治下に置かれていたラオス スワー王国はタイ スコータイの一部に組み込まれる

ヴィエンチャンもスコータイの領土に組み込まれる

スコータイ(タイ)

1279 – 1299年 ラームカムヘーン王による領土拡大

1283年 アンコール王朝(タイ ラオス カンボジア)はモンゴル帝国の侵略をうけるが その後 元(モンゴル)の属国になることで存続を保った

モンゴル騎馬隊

1292年 又は1259年)タイのラーンナー王国(のちのチェンマイ王国)がアンコール王朝(カンボジア)から独立  

ラーンナー王国(タイ チェンマイ)が建国される ラーンナー王朝は700年の歴史と100を超える寺院を建てた

ランナー王国(チェンマイ)

タイのミャンマー国境近くにあった小国ハリプンチャイ王国はタイ族の国家 ラーンナー王国(チェンマイ)に滅ぼされる 

同年 1292年  

7世紀初め カンボジアでクメール文字が発明されてから664年後

スコータイ王朝が そのクメール文字を改良しタイ文字が発明された。

(カンボジアのクメール文字よりも簡素化されている)

 

タイ文字 クメール文字を改良して造られた

13世紀末 タイ スコータイ時代  タイに上座部仏教(南伝仏教)が伝わる

上座部仏教

1296年には城壁都市 チェンマイが築かれる

チェンマイ 城壁都市

ロッブリー(バンコクから150キロ) 13世紀の寺院が多く残る

ロッブリーの猿2

14世紀

1338年 ラーンナー王国(タイ チェンマイ)はパヤオ王国(同じくタイ)を併合する

1351年 アユタヤ王朝(タイ族)が成立する その三年後には隣国ラオス(南部)でラーンサーン王国が建国される

タイ アユタヤ王朝
ラオス  ラーンサーン王国

1378年 スコータイ王国はアユタヤ王国に征服され属国となる 

14世紀 タイ アユタヤ遺跡 ワットプラ マハラタート 多くの仏像の首がビルマ軍の侵攻によりはねられている ところどころ黒焦げている 仏塔も倒壊 かつては黄金の仏塔が立っていた

ビルマ軍にの破壊を受けた仏像
ビルマ軍にの破壊を受けた仏像郡

ビルマがアユタヤを制圧(1回目)の時に建てられた仏塔 ワットプーカオトン など

ワットプーカオトン

1388年 モン族 ラヴァ王国(タイ ラオス カンボジア)はスコータイ朝の領土を奪われアユタヤ王朝(タイ)に併合され滅亡する

15世紀

15世紀にはいるとアユタヤ朝統治にあったマレー半島南部(マレーシア)はマラッカ王国やイスラム勢力に占領される

1431年~1438年  

スコータイ王朝の王位継承者が途切れ事実上スコータイはアユタヤ王国に吸収される

(同年) アユタヤ王朝(タイ)がアンコール朝(カンボジア)に攻めて来る 首都アンコール トムは陥落し アンコール朝は滅亡した

アンコールトム(カンボジア)

1440年代 ラーンナー王国(チェンマイ)はプレー王国やカーオ王国と言ったタイにあった小さな王国を併合していった

1446年 それまで何度となく衝突してきたアユタヤ王国とマラッカ王国(マレーシア)だが この年 マラッカ王国が両国の戦いにおいて勝利する

1450年から アユタヤとチェンマイの王朝の間で12年間に及ぶ戦争があった

15世紀 アユタヤの町に日本人が移住する

1456–1474年

 アユタヤとランナー(チェンマイ)の王朝の間で18年間に及ぶ戦争があった

<目次>
追加情報 タイの歴史1
追加情報 タイの歴史2
1 基本情報
2 バンコク市内 
3 バンコク郊外~水上マーケット メークロン市場ほか~
4 アユタヤ遺跡
5 スコータイ
6 カンチャナブリ
7 クラビー
8 チェンマイ
9 ナコンラチャシーマ
10 スリン
11 ロッブリー
12 ノンカイ ウドンタニー
13 サンクラブリー
14 パッタヤー
15 チェンライ
16 ウボンラチャターニー
17 メーホンソーン&タートパノム&カオヤイ自然保護区
18 その他の名所