テスト

1世紀

68年 インドネシアから来たクメール人(外国人)がカンボジアから南ベトナムにかけてのメコン川下流域に扶南国(ふなんこく)を建国する。なお国名は のちの時代につけられた物

扶南国(ふなんこく)の頃 インドシナ半島にインド文化が伝わった。仏教とヒンドゥー教とサンスクリット語が普及した。

扶南国

3世紀

扶南国(カンボジアやベトナム南部に存在したクメール人の国家)はフィリピンまで貿易を拡大していた

当時 インドネシアを経由しインドの言葉が多く入って来た

タガログ語(フィリピン)に古代インドのサンスクリット語に似た単語が多いのは そのころの貿易の影響からだとされている

4世紀以降
 

扶南国(カンボジア)とチャンパ王国(南ベトナム)は中国王朝に貢物をしながら中国文化を受け入れながらも ヒンドゥー文化を取り入れていった。

チャンパ王国の場所
チャンパ王国の遺跡

5世紀

450年

 現在のタイ(東側)とラオス カンボジアの領土を要するラヴォ王国(のちのアユタヤ王国)が誕生する。ラヴォ王国はモン族からなる王朝で都はタイのロッブリーに置かれた ラヴォ王朝は14世紀末まで実に900年近く続く長い王朝

6世紀

550年 カンボジアでは扶南(ふなん)は真臘(しんろう)を属国としていた頃 扶南(ふなん)と真臘(しんろう)の間にクメール人同士の戦争が勃発した。戦争は78年も続いた。

550年(同年) ベトナム南部はクメール人(カンボジア)からなる王朝 真臘(しんらん)により統治される

7世紀

7世紀 アンコール遺跡内の(真臘しんろう) チャンパ(ベトナム南部)と戦って勝利した壁

7世紀 チャンパと戦って勝利した壁

628年 カンボジアでは扶南(ふなん)と真臘(しんろう)との間で行われていた戦争が終結し真臘(しんろう)のイシャーナヴァルマン1世が扶南(ふなん)を占領し 扶南(ふなん)は滅亡した。

(真臘しんろう王国)はジャヤバルマン1世の元 サンスクリット語やインド文化を多く取り入れた クメール文字が使われ始めたのもこのころ

クメール文字は現在 タイやラオス カンボジアで使われている文字の元となった字

クメール文字(タイ文字の元になった文字)

681年 ジャヤバルマン1世が亡くなると(真臘しんろう)は北(陸の真臘)と南(水の真臘)に分裂し弱体する

8世紀

774年 水真臘がシャイレーンドラ朝ジャワ王国(インドネシア)の支配下に入る カンボジアは一時 インドネシアの王朝の支配下に入ることとなる

そのころカンボジア人(クメール人)に上座部仏教(南伝仏教)が広く伝わる 

上座部仏教

仏教弾圧で仏教の壁画は削られた 仏教弾圧を逃れるために仏像を土に埋めた  今でも4500体の仏像が埋まっているとされている 

9世紀

802年 ジャヤバルマン2世がジャワ島(インドネシア)から帰国 部族を倒しアンコール朝(クメール帝国)を建国する

シャイレーンドラ朝は解散となった

ジャヤバルマン2世

カンボジアはインドネシア王朝支配から脱却し新たなクメール人国家を設立した クメール王朝は9世紀から38代の王によって600年間栄えた

クメール帝国 国旗
クメール帝国 領土

802年 初代アンコール王は プノン・クーレンの丘(森の中の遺跡)で建国宣言をした 森の中に象やライオンの大きな石像がある 滝があり泳げる

クレーン山(森の中の遺跡)2
クレーン山(森の中の遺跡)

859年

中国 雲南省の南詔国はミャンマー タイ ラオス カンボジアを攻め さらには当時 唐(中国)の領土であったベトナム北部の交州(ハノイ)まで攻め落とした。

ミャンマー タイ ラオス カンボジア 地図

  ミャンマー ピュー王国(驃国)は南詔(中国 雲南チベットビルマ系)により滅ぼされる 

 モン族とピューの人々は雲南へ強制移住させられた

南詔国(大理
ピュー族の遺跡

877-889年 山岳型ヒンドゥー寺院 バコン

パコン

9世紀末の遺跡 プレアビヒア(カンボジアタイ国境)領土問題 軍事施設内にある遺跡 目玉は崖からの絶景 タイ名(カオプラウィハーン 

プレアビヒア

プレアビヒア3

 

10世紀

10世紀 シェムリアップに幅1.7キロ 全長7キロの貯水池 東バライが完成する

東バライ

901年 プノンバケン 夕日のスポット

プノンバケン 夕日
プノンバケン2
プノンバケン

901年~910年 プラサット・バイ アンコールトムの南大門の西側にある

プラサット・バイ

928年 アンコール王朝が遷都を記念して建てられたコケー遺跡

コーケー

10世紀初頭(944-968) バクセイチャムクロン(ヒンドゥー寺院遺跡)が完成する 高さ12メートル

バクセイチャムクロン

950年 アンコール朝(クメール)がモン族ラヴォ王国(タイ ラオス カンボジア)を支配下に置く

952年 東メボン 大きな土台といくつかの仏塔からなる巨大な ヒンドゥー教寺院遺跡 

東メボン

961年 完成の プレループ は大きな土台といくつかの仏塔からなる巨大な ヒンドゥー教寺院遺跡 

プレループ

10世紀末 ピラミッド型巨大遺跡 タケウ

ジャヤ・ヴァルマン5世の死と内乱が発生したため建設は中断 未完成のまま今に至っている

タケウ

11世紀

11世紀 ベトナム南部のチャンパ王国は一時 アンコール朝(カンボジア)に支配される

11世紀 東バライに続き幅2キロ 全長8キロの貯水池 西バライが完成する

西バライ
西バライ 小島

11世紀初頭(1002年~1050年の間) アンコールトム周辺にある遺跡 ピミアナスカ ピラミッド型の土台遺跡 高さ20メートルくらい登れる 別名 天井の寺院 や 空中の宮殿 と呼ばれている

ピミアナスカ 

11世紀  ワットエクプノン クメール王国

ワットエクプノン

1010年 ハリプンチャイ王国(タイ)とラヴォ王国(タイ)がモン族の勢力を取り戻そうとクメール朝(カンボジア)と10年戦った しかしクメールに撃退された

ハリプンチャイ王国
ハリプンチャイ朝

1011年(以降)アンコール朝 スーリヤヴァルマン1世 がタイ ピーマイ遺跡 ヒンドゥー寺院を手掛ける

ピーマイ遺跡(タイ)

11世紀中期(1060年) バプーオン ヴァルマン2世 ヒンドゥーのピラミッド型 隠し子と言う名前の付いた遺跡 その昔王妃が自分の子供を隠したという話

バプーオン ヴァルマン2世

1087年 タイ東部 ラオス カンボジアからなるモン族 ラヴァ王国はパガン(ミャンマー)の侵略をうけるが その後 撃退する

パガン朝

ラヴァ王国は都をロップリーからアユタヤへ移した。

タイ アユタヤ王朝

11世紀末~12世紀初頭 ベンメリア シェムリアップから77キロ離れた場所にある密林に埋もれた遺跡

ベンメリア2
ベンメリア

12世紀

1113年 アンコール朝は周辺国 チャンパ王国(南ベトナム)などを攻め領土を拡大(1回目)した。アンコール クメール帝国の領土はタイ中部、マレー半島、ベトナム南部にまで及んだ 

(同年)スーリヤヴァルマン2世がアンコールワットの建設を開始する

1145年 ヒンドゥー寺院 アンコールワットの完成 

世界3大仏教遺跡の一つアンコールワット(カンボジア)

建設期間は33~35年 9500~一万人が建設に携わった 背景人口は40~50万 

世界3大仏教遺跡の一つアンコールワット(カンボジア)

1113-1150年 

アンコールワットと同じころ建てられた3つの遺跡

①チャウ・サイ・テヴォーダ

チャウ・サイ・テヴォーダ

②トマノン 

トマノン

③バンテアイ・サムレ

バンテアイ・サムレ

ヒンドゥー教寺院遺跡 スーリヤヴァルマン2世による建築

1177年

チャンパ王国(ベトナム中南部)が大軍を引き連れアンコール朝(カンボジア)の都を占領する

1181年 

王位についたジャヤーヴァルマン7世はチャンパ王国に奪われた領土を奪還する

続いて タイ東北部 ラオスやベトナムにまで領土を広め仏教の影響を強く受ける (2回目の領土拡大)

アンコール朝はインドシナ全域を制圧する 

パリやロンドンが人口3万だったころ アンコールは100万人都市だった 

またアンコール王朝は実力主義で世襲ではなかった

またジャヤーヴァルマン7世は国内102か所に病院を作り主要道路の脇に宿場を設けるなど国民の生活向上にも貢献した

ジャヤーヴァルマン7世(王)の指示でヒンドゥー教から仏教へと移行した そのためインドシナ全体に仏教が広まった

ジャヤヴァルマン7世
ベトナム チャンパ王国の遺跡

12世紀末(1181年以降) 巨大な人面からなる遺跡 バイヨン

ジャヤヴァルマン7世がチャンパとの戦いに勝利した記念として建てた 遺跡にはそれぞれ違った石材が組み込まれている

建設当初は仏教の遺跡として その後 ヒンドゥーの要素を取り入れ建てられた。

バイヨン寺院2

バイヨン遺跡の壁にはチャンパ(南ベトナム)との戦いにに勝利した時の様子が描かれている。

バイヨン寺院 壁画

12世紀末(1181年以降)完成 13世紀後半改築 象のテラス 人や象の彫刻が施されたアンコールトムの城壁 長さ350メートル

廃墟となった寺院複合体 ジャヤーヴァルマン7世によって建てられた

象のテラス

12世紀末(1181年以降)完成 ライ王のテラス 細かい彫刻(人の)が施された 一遍25メートル 高さ6メートル 王族の火葬場として使用されていた

ジャヤーヴァルマン7世によって建てられた

ライ王のテラス

1186年 大木に覆いつくされたタプローム遺跡が造られた ヒンドゥー寺院 遺跡の建物から木が煙突のように生えている

建設当初は仏教寺院として建てられたがのちにヒンドゥー寺院に改築された

タプローム
カンボジア タプローム

1190年 チャンパ王国(南ベトナム)がクメール帝国(カンボジア)に対し降伏する チャンパの都はクメールに占領される

クメールの都はヤショーダラプラからアンコールトムに移された

アンコールトム

12世紀後半に造られた遺跡 プンスナイ遺跡

プンスナイ遺跡

12世紀末から13世紀初頭 東西700南北500メートルの巨大遺跡 バンテアイクレイ バンテアイ・スレイ

   遺跡の壁に東洋のモナ・リザと言われる石像がある

シェムリアップから35キロ離れた場所にある

バンテアイクレイ モナリザ
バンテアイクレイ 

13世紀

1220年 ジャヤーヴァルマン7世の死後 王朝内で激しい権力争いが起こり 結果 アンコール王朝(カンボジア)の衰退を招いた

バンテアイ・クデイ(仏教遺跡) ジャヤーヴァルマン7世の死後に完成した遺跡

バンテアイ・クデイ

1238年 

タイ初の統一王朝スコータイ王朝が誕生する

スコータイ王朝(タイ)がアンコール王朝(カンボジア)とラヴォ王国(タイ)から独立※一部 ラオス ミャンマーの領土を含む 

スコータイ(タイ)

1259年 タイのラーンナー王国(のちのチェンマイ王国)がアンコール王朝(カンボジア)から独立

チェンマイ 城壁都市

1283年 アンコール王朝(タイ ラオス カンボジア)はモンゴル帝国の侵略をうけるが その後 元(モンゴル)の属国になることで存続を保った

アンコールワット(カンボジア)

1295年 廃仏事件を起こしたジャヤーヴァルマン8世はインドラヴァルマン3世に殺害され インドラヴァルマン3世がそのままアンコール朝の王に着いた

ジャヤーヴァルマン8世

1297年 元(モンゴル)の皇帝がアンコールワットを訪れる

14世紀

1388年 モン族 ラヴァ王国(タイ ラオス カンボジア)はアユタヤ王朝(タイ)に併合される

15世紀

1431年 スコータイ王朝(タイ)を併合したアユタヤ王朝(タイ)がアンコール朝(カンボジア)に攻めて来る 首都アンコール トムは陥落し アンコール朝は滅亡した

18位 スコータイ(タイ)

その後 カンボジアは暗黒時代に突入する タイ フランスに占領され ベトナム戦争に巻き込まれ ポルポト大虐殺がおこる

暗黒時代は20世紀末まで562年間続く

<目次>
追加情報 カンボジアの歴史1
追加情報 カンボジアの歴史2
1 基本情報
2 アンコールワット
3 プレアビヒア
4 プノンペン
5 バッタンバン