テスト

それこそ東京(※当時は江戸)の人が今以上に自然や植物そして花々を愛していた頃 浅草の〃花やしき〃では園内を埋め尽くすように華麗な花々が咲き誇っていたそうです。
とは言ってもそれは開業当時の花やしきの話しで今から160年も昔の江戸時代の事になります。

そんな花々の間からはまるで日本人形のように綺麗に着飾ったご婦人やお嬢さんたちの姿を目にする事が出来たそうです。そのころ花やしきではブランコが唯一の遊具だったそうです。
大正から昭和初期(90~100年前)にかけて花やしきは植物園の中でトラやクマなどの猛獣を飼いだします。すると動物たちに占領された植物園は次第に動物園になって行きます。

そして動物園となった〃花やしき〃はトラの五つ子誕生や日本初のライオンの赤ちゃん誕生などの明るい出来事が続きます。
しかしそのとき突然やって来た首都直下型地震(関東大震災)の災害を受け花やしきの経営は崖っぷちに追い込まれます。

結局そのことが原因となり多くの動物たちは殺処分されてしまう事になります。
姿こそ見えない物の今でも多くの動物たちの生霊(いきりょう)が花やしきお化け屋敷の中に残っているそうです。

その後 日本は大きな戦争に突入し動物園花やしきだけでなく日本全体がどん底を味わいます。

やがて戦争は終わり戦後 間もない昭和22年およそ20年ぶりに花やしきは復活を遂げます。今度の花やしきは植物園でも動物園でもなく なんと遊園地でした。
そのとき花やしきの社長はこれからの日本は発展するしたがってゆっくりなど見てる時間などないと言う言葉を発したそうです。

動植物園だった頃の〃花やしき〃
東京 浅草 花やしき 遊園地
動植物園だった頃の〃花やしき〃

ーーーーーーーーこのあと旧式の60年以上前のローラーコースターに乗ります。つづきをどうぞ