テスト

19世紀(約200年前)フランスで発売された図鑑に初めて小笠原諸島は無人島(ボニントウ)と言う名前で紹介されます。

そのころ小笠原諸島近くの海では欧米諸国の捕鯨船(ほげいせん)が多く出没(しゅつぼつ)するようになります。
そしてアメリカをはじめとする欧米諸国は食用ではなく工業用油をとるためだけに沢山のクジラを捕獲して行きました。

そのため その時代に地球上のクジラが激減(げきげん)したとも言われてます。日本の捕鯨調査に大反対の親日国家オーストラリアはその頃 一体何をしていたのでしょうか?
もし仮にその時代シーシェーパード(※暴力的な反捕鯨団体)が活躍していたら今頃 海はクジラであふれ日本人も堂々とクジラ肉を食べられるようになっていた事でしょう

ちなみに皆はクジラの肉はおいしくないといいますが僕が子供のころ(約30年前)学校給食で出されていたクジラ肉は結構好きでした。

それはさておき今から約190年前 今度はイギリスの捕鯨船母島に到着しさらにその島にフィッシャー島という名前を付けます。
さらにそのあとに来たイギリス人にビール島とベイリー島に改名されます。

これでその島はオランダ人(1回)日本人(2回)イギリス人(2回)と計5回も名前を改名された事になります。そのころ5か国目の来客であるロシア人の乗った船が父島に到達しました。

今から186年前の1930年父島に初めての入居者が現れます。しかしそれは日本人ではなくアメリカやイギリスデンマークから来た5人とハワイのオアフ島から来た20人でした。
彼らは捕鯨船に食料を売るなどして生計を立ててました。島には今でも彼らの墓が残ってます。

19世紀の捕鯨の様子
最初に島に住み着いた人たちの様子
最初に島に住み着いた人たちの様子

ーーーーーーーーこのあと 小笠原諸島は日本人による初めての繁栄期がやって来ます。つづきをどうぞ