テスト

江戸時代にはもう既に〃もんじゃ焼き〃はあったそうです。しかし残念ながらその食べ物を知っている人はほとんどいなかったみたいです。

東京の月島には もんじゃ焼きの店がなんと70店舗もあるそうです。しかしその昔 月島は海の中でした。そして明治時代にやっと埋め立てが完了して月島もこのとき誕生しました。

しかし明治時代 月島にはもんじゃ焼きの店はたったの4件だったそうです。そして昭和に入り戦中戦後と日本国民は貧しい生活を送る事となります。
そんなとき活躍したのが単にうどん粉に大量の水を加えただけの粗末なもんじゃ焼きでした。

次第に生活が安定してくるとキャベツやキリイカなどもんじゃに使われる具材も増えていきます。しかしその頃まだ もんじゃは駄菓子屋で出される子供用の食べ物でした。
実は僕はお好み焼きに関してもどちらかと言うと否定的です。なぜならおやつとしては量が多すぎるし昼食や夕食としては量が少ないからです。

しかし今から56年前の昭和35年にその悩みを解決してくれる。画期的な〃もんじゃ焼き〃が発明されました。それが〃明太 餅 もんじゃ〃です。
その名の通り明太子と餅を使った もんじゃ焼きです。この明太餅もんじゃの登場によりもんじゃは子供のおやつから大人の食事へと変わって行きました。

そしてそのころから月島のもんじゃ焼き店も増え出します。

しかし 近年 少子化と駄菓子屋の減少でめっきり昔のもんじゃが減ってしまったそうです。関東地区ではそんな昔のもんじゃを懐かしむ人々もいるそうです。

もんじゃの運命を変えた〃明太餅もんじゃ〃
月島もんじゃストリート

ーーーーーこのあと進化した夢のようなもんじゃが次々と登場してきます。つづきをどうぞ